17.時間警察

 時間警察。刻鉄研究会が噂だけの、実在しない都市伝説と認識していた存在。


 ご名答、と長髪の男がニヤリと笑う。やっぱり刻架の都市伝説は全部本物なんだ。


「お前らにはしょっちゅう過去の世界を荒らされてるからな。こっちも断罪したくてたまらねえんだよ」


 彼が言う「お前ら」に、果たしてわたしも含まれているんだろうか。遼司さんや原田先生ほど帰し方駅には行ってないんだけど。


 とんでもない人たちと遭遇してしまった。もう行くぞ、と原田先生が急き立てる。しかし、遼司さんはすかさず長髪の男に反論する。


「心外だな。俺たちは世界の常識を元に戻すために過去に介入してるだけだよ」


 常識を元に戻す? 笑わせんな。今度は帽子を被った男が鼻を鳴らした。


「餓鬼が細々と過去の世界から帰ってこない人間を現代に帰すだけで世界を元の状態に戻せるわけねえだろ。知ってるか? 刻架じゃお前らが知らないところで毎日誰かが消えてるんだぜ」


「知ってるさ。俺たちがやってることがただの自己満足だってことも、刻架の人口動態が不自然だってことも。でも、俺たちの目的はあくまで『依頼人が持つ、世界が消そうとしている記憶を肯定して取り戻す』ことだ。そっちみたいに世界全体を見ている暇なんて一介の高校生にはないんだよ。むしろそっちが俺たちみたいに囚われ人を現代に帰してほしいね」


「人間ごときのためにわざわざそんな手間はかけたくないな。だったら帰し方駅で消えてもらったほうがずっと楽だ」


 緋山さんも帽子を被った男も歩み寄ろうという意思はないらしく、お互い流暢に嫌味をぶつけ合う。出会ったら言いたかったことを元々用意していたかのように。


 時間警察はヒトの姿をした化け物とは言われているけれど、言動をみると人間と同じように感情を持っているようだ。それも相当厄介な感情を。


「それはじゃないのかい?」

「仕事の効率化って言えよ。こっちも人間社会と同じで人手不足で忙しいんだよ。最近また刻架市民が都市伝説の謎を調べたり過去に執着したりしてるせいでな!」


「……そんなに面倒なら、誰も帰し方駅に行けないようにすればいいのに」


 ふと2人の口論に割って入ると、全員の視線がこちらを向く。


 前々から帰し方駅を恨んではいたけれど、ここまで考えが及ぶことはなかった。こんな状況下で咄嗟に冴えた言葉が出たのは、無意識のうちにずっと望んでいたからなのかもしれない。


 時間警察のギラギラした目は怖いけれど意外にも頭は冷静で、不思議と死の恐怖は感じなかった。現にあんなに煽ってる緋山さんはまだ殺されてないし。


 もしかして殺す気はないんじゃないだろうか。


 その直感は正しかった。彼らはわたしにも襲いかかるようなことはしなかった。


「おっと、相変わらず無茶なことを言うね、黒い子羊さん」


 長髪の男が気色悪い笑みを浮かべ、猫なで声で答える。


 なんて嫌味な男だ。わたしをそんな不名誉な名前で呼んだなら、本来の論点を差し置いてでもこれだけは訴えなきゃいけない。


「わたしはまだ黒い羊じゃないよ」


 黒い羊とは、刻架の都市伝説に深く干渉している人間の呼称だ。つまり世界から消されるリスクが高い人間のことだ。


 わたしも刻鉄研究会に入ったし、黒い羊になる因子は持っているけれど、まだそう呼ばれるほど干渉していない。


 なのに長髪の男は喉を鳴らして笑い、光のない目で見つめてくる。


「誰のせいで人間が帰し方駅へ行けるようになったか、誰のせいで帰し方駅が認知されるようになったかを知ってる分際でまだそう宣うか」

「だってそれはあくまで人から勝手に聞かされた情報で、自分から知りたくて知った情報じゃないから……」

「知った経緯なんて知らねえよ。知ってる時点でお前も同類だ。一生な」


 帽子を被った男も加勢する。しかも語尾を強めてわたしを嘲笑う。


 そうか。時間警察にとってわたしの存在は単なる「異物」じゃない。既に「黒い羊毛を纏った異物」なのか。


「何はともあれ、黒林宗一郎が刻架に電車を作った時点でもう手遅れなんだよ」


 長髪の男は議論を戻し、切り捨てるように結論を出す。


 その肝心な問題を時間警察が諦めてどうするんだと言ってやりたい。だけど、どうせまた本質を見抜かれ、ショックを受ける未来しか想像できないから何も言わないでおく。


 本当はできるんじゃないの、と遼司さんは突っかかる。耳の中で再びゴングが鳴る音がした。

 

「どうせ人が掃除屋に消される様を面白がってあえて帰し方駅を残してるんじゃないの?」

「そんな悪趣味はねえよ。俺たちは人間の殺人鬼みたいな低俗な輩とは違うんだ」

「さっき野蛮な行為をしてた奴がよく言うよ」


 遼司さんが小生意気に言うと、不敵に笑っていた帽子を被った男の表情が曇る。


 長髪の男もうつむいて、骨が抜き取られたかのような不安定な足取りで遼司さんに近づく。そして、緋山さんの頬めがけて拳を振りかざす。


 そこで原田先生が待て、と抑圧的に声を張ると、彼はすんでのところで手を止めた。鼻先に届きそうな前髪から虚ろな瞳がちらりと覗く。


「好き勝手帰し方駅に来ていることは謝るよ。悪かった。でも、今は用があってここにいるんだ。用が済んだらすぐに帰るから、もう見逃してくれないか」


 沸騰した心が冷静な口調に冷やされたのか、時間警察は2人して忠犬のようにおとなしくなった。


「チッ。今回は先公に免じて見逃してやる。運が良かったな、餓鬼共!」


 やっと彼らはわたしたちが目指す方向とは真逆の進路へと去っていった。


 よかった、これで一馬さん探しができる。光は変わらず同じ座標を灯している。

 

 脅威が消え安堵して歩いていると、背後から鋭い声が飛んできた。


「遼司。いくら物珍しい奴と会ったからって調子乗って話してんじゃねえよ」

「うっ、すいません。人生で初めて見たし、もう二度と会えないかもしれないからなるべく長くあの顔を拝んでおきたいなって……」


 遼司さんの言葉尻が小さくなっていき、冷や汗が額から湧き出ている。原田先生はご立腹だ。


「いいか。時間警察は気まぐれで人を殺すようなイカれた奴しかいないんだ。今までは運良く出会わなかったけど、奴らはどこに潜んでいてもおかしくない。時間警察が目の前にいると分かったらすぐ逃げろ」


「何ですか、その分かりきったような口ぶりは。先生は時間警察が本当にいるって知ってたんですか」

「ああ。どっかの誰かさんの友達の受け売りだけどな」


 先生は話し相手の遼司さんではなく、なぜか乱れたヘアピンを直しながら静かに2人の会話を聞いているわたしに視線を送る。

 

 わたしも共犯みたいなものだから怒りの矛先がこっちにも向けられるかと思いきや、何も言わずに視線を外した。


「じゃあ最初から教えてくれればよかったじゃないですか!」

「どうせ実物を見ないと信じないだろ。滅多に会わない奴らだし」


 ムッと顔を歪める遼司さんは気にせず、「あそこに一馬はいそうか?」と原田先生はわたしに尋ねる。


 スタジオ店はすぐ目の前で、壁に同化したようにひっそりと建っている。予想通り、光もそこに灯っていた。

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