16.急襲

 光が灯っている場所にたどり着くには徒歩だけじゃ時間がかかるため、再び電車に乗って光に最も近づける春生しゅんしょう駅で降りる。


 春生駅の東側には、色とりどりで多種多様な店が並ぶ春生商店街がある。近場にショッピングモールはなく、しかもコンビニやドラッグストアやスーパーの他にゲームセンターやカラオケといった娯楽施設もあるから、客層は幅広い。

 

 しかし、この一帯にはもう1つの顔がある。


 商店街中心の交差点を左に曲がると向こう側の大通りへ繋がる、くすんだ色のビルが点在する人けのない入り組んだ通りがあるのだ。そこは通称「裏春うらはる」と呼ばれている。


 わたしたちは今、その裏春を歩いてる。


「……ねえ、本当にこの道で合ってるの?」


 隣で左右のいかがわしい看板が取りつけられたビルを交互に見ながら、遼司さんが顔をしかめて問う。


「はい。光はここら辺にありますからね」

「一馬くんが裏春に何の用があるって言うんだよ? 子どもが立ち寄るような所じゃないだろ?」

「多分音楽スタジオに行ってるんじゃないですかね。奥のほうにあるんですよ」


「そっか……俺あんまりこういう道歩きたくないんだけどなぁ」


 遼司さんは不満げにため息をつく。


 何度も帰し方駅に行くような物好きならどこに行こうと文句は言わないだろうと勝手に解釈していたけれど、さすがに裏春はお断りのようだ。うつむきがちで歩く遼司さんの顔は、嫌悪感だけじゃなく敵意も抱いてるように見えた。


「そのスタジオには別ルートから行けないのか? 裏春の中でも特にここは治安が悪いし、どうせならもうちょっとマシな道を歩きたいんだが」

「いや、絶対にこの道を通らないと着きませんよ。それとも商店街に戻って向こう側の大通りまで遠回りしていってそっちから入りますか? どっちにしろ距離は変わらないですけど」

「……随分変な所にあるんだな」


 背後で原田先生も面倒くさそうに息を吐く。すると、何に驚いたのか「先生まで嫌がることないじゃないですか」と遼司さんが目を見開いた。


「高校生だと舐められちゃうので、大人にはもっと堂々としていてほしいです。それに裏春って先生の昔のだったんですよね」

「へえ。元不良だったんですね」


 昔から平穏を求めるタイプだったのかと思いきや、先生にはそんな一面もあったとは。


 きっと壁に下品な落書きをしたり、煙草の吸殻やごみを道端に捨てたりしてたんだろうなと冷めた目を背後に回すと、「違う違う!」と原田先生は焦った様子で否定する。


「裏春で一時期起きてたいざこざに巻き込まれただけだ。遼司、勝手に誇張するな」

「あはは、すいません……でも誇張したくなるくらい、裏春に慣れてる人は頼りにしてるんですよ」

「あまり褒められた気はしないな……そういえば、美亜もやけに裏春に詳しいよな? こんな複雑な通りで、迷わずに目的地まで進めるのはおかしくないか?」


 不意に後ろで鳴っていた足音が止む。振り返ると原田先生が探るようにわたしを見つめていて、一瞬どきっとする。


「言われてみれば。光を感知できるとはいえ、どの道を進めばいいかまでは分からないですもんね」


 遼司さんも原田先生に便乗して疑問視する。


 裏春で特に後ろめたいことはない。だけど、2人の視線がわたしを異常だと見定めてるように思えて緊張してしまう。


 それでも、わたしは真相を答えなければいけない。2人から――特に遼司さんから変な想像をされる前に。


「……中2の時に、友達と裏春のスタジオへドラムを叩きに行ったことがあるんですよ、お父さん同伴で。楽器も機材も質が良いって噂だったから気になって」

「たったそれだけの理由で?」

「そうですね」

「そりゃとんだ物好きだね」


 遼司さんには言われたくない。帰し方駅に行くことも裏春を出入りすることも、変人度合いで言えば同列だろうに。


 それにあの時の言い出しっぺは歌音だ。わたしは遼司さんが呆れ返るほどの物好きじゃない。


 ……なんて文句をこぼしたら「その2つで比較するんじゃないよ」と怒られそうだから、口を噤んで歩き出す。清々しいほどに真っ青な空は、いつの間にか灰色の雲に覆われていた。


 T字路に突き当たり、左方向へ足を向ける。進もうとすると、不意に目の前に2人の男性が現れた。


 彼らはどういうわけかわたしたちの行く手を阻む。


 1人は帽子を目深に被り両手をパーカーのポケットに突っ込んでいて、もう1人は長髪でうつむいている。どんな表情をしているのか分からなくて気味が悪い。


 しかもどことなく既視感があるような……


「あの……すいません。僕たちそこを通りたいんですけど」


 遼司さんが愛想良く話しかけるも、彼らは大人げなく無反応を貫いて、一歩たりとも退こうとしない。


 この先が光への最短ルートだけど、立ち入ったらいけない事情でもあるんだろうか。


 それなら仕方がない。遠回りになるけれど、右の道へ進もう。


「向こう側には行けないみたいですし、あっちから行きましょう」


 早くこの奇妙な2人組から離れたい気持ちがはやり、遼司さんと原田先生を急かす。


 2人もそういう印象を受けたらしく、相手への無礼な態度なんかお構いなしで立ち去ろうと試みる。


 しかし、そこに因縁をつけるかのように帽子を被った男性が近づいてきた。左右のポケットからすらりと伸びた指が飛び出てくる。


 どんな手入れをしているんだろう。彼の艶やかな爪に傷一つない指先をしばらく見ていたいと思った。右手にナイフを光らせていなければ。


 わたしたちは男の殺意に晒される。なんて非現実的な光景だ。今すぐ逃げ出したいのに、彼から視線を外せず身動きが取れない。まるで誰かに操られてるかのように。


 男はナイフを一回転させ、逆手に持つ。ひっと悲鳴を上げると、彼の瞳がわたしの姿を射抜く。


 その瞬間、やっと既視感の正体に気づいた。この人たちはさっき夢で見た2人組だ。でも今は夢の世界にいるわけじゃない。


 足が震える。背筋に悪寒が走る。全身から血の気が引いていく。


 ああ、わたしはもう――


「おい、逃げるぞ!」


 先生の声で我に返る。そうだ。わたしたちは一馬さんを救うためにここにいるんだ。まだ死ぬわけにはいかない。


 3人で右の道へ一斉に走り出す。後ろから「待ちやがれ!」と怒号が飛んできて怖かったけれど、こんな荒くれ者の話なんか聞き入れたくない。足を止めずに、とにかく走り続ける。


 しかし、次の角を曲がろうとすると、いつから待ち伏せていたのか長髪の男が行く先を塞いだ。


 ここは一方通行だ。他に繋がってる道はない。後ろにも帽子を被った男がいる以上、逃げ場はどこにもない。


 ふと振り返ると、ちょうど男がナイフを振りかざしているところだった。標的は原田先生の首を指している。


「先生!」


 わたしが叫ぶと同時にナイフが皮膚に接近する。これじゃあ先生が死んじゃう、とこめかみの髪を握り反射的に目を瞑ったのも束の間、刃が空を切る虚しい音だけが裏春に響く。


 ゆっくり目を開けると、原田先生は半身でナイフをかわしていた。しかも男の右手首を強く掴んでいる。ひねりを加えると、男は苦しげに唸ってナイフを落とした。


「ったく、面倒なことさせんなよな……」


 原田先生は再び敵の手に渡らないようナイフを踏みつけ、ため息をつく。長髪の男も動揺している。


 が、彼らは諦めない。原田先生さえ仕留めればわたしたちも殺せると思っているのか、今度は2人がかりで、長髪の男はわたしと緋山さんの合間を縫って彼に殴りかかる。


 原田先生は2人の攻撃を淡々といなしていく。しかも傷一つつけないよう努めているようだった。


 やがて2人は疲れ果てて膝に手をつく。原田先生はあまり動いてないこともあってか、彼らほど息は上がってない。だけど、精神がすり減っているのか顔色が悪い。


「これで懲りただろ。もう俺たちに関わるな」


 原田先生は蔑んだ目で二人を見下ろす。強気な態度から一転、屈辱を味わってる姿を見るのはちょっとだけ気味がいい。


「さすが先生! 元空手部で全国大会に出場しただけありますね!」

「やめろやめろ。おだてるな」


 ひたすら褒めちぎる遼司さんに、原田先生は興味なさそうに手をひらひらとさせる。謙遜しているわけではなく、心底嫌がっているようだ。


 彼が空手の実力者だったなんて初めて知った。それにしても、命の危機に陥っても冷静に対処できるのは不思議だ。


「こいつらがたまたま俺より弱かっただけだ。毎回こうはいかない」


 原田先生はナイフを遠くへ蹴飛ばして、わたしたちに逃げよう、と穏やかな声でささやく。


 こっちが全く気にも留めないのが面白くないのか、長髪の男が大きく舌打ちをした。さらに、帽子を被った男も捨て台詞を吐いていく。


「くそっ! お前さえ殺せりゃ餓鬼がき共も殺せたのに!」

「俺たちはもう構ってる暇はない。通報されたくなきゃ諦めろ」

「通報? お前にそんなことできるわけないだろ。だってお前らはこの時代の人間じゃないもんなあ!」


 彼の言うとおり、原田先生は絶対に警察に通報することはない。この時代のわたしたちは今は他の場所にいて、ここで起きた事件とは無関係なのだ。


 かといって、1年後の未来から来たわたしたちが事情聴取を受けるのも難しい。この時代のわたしたちにはアリバイがある。同じ時代に同じ顔をした人間が2人いるなんて、双子でもなきゃ通用しない。


 ――ん? どうしてこの人はわたしたちが別の時代の人間だと知ってるんだ?


 遼司さんと原田先生も、おそらく同じ疑問を抱いている。


 わたしたちと同じ時代から来た人たちだろうか。だとしても、誰とも面識がなさそうだから、どうやってわたしたちが帰し方駅に来たという情報を仕入れたんだろう。


 あれこれ思考を巡らせていると、遼司さんがそういうことか、とこの状況で最もしっくりくる答えを導き出した。


「――初めまして、『時間警察』さん」

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