15.騙し討ち
《次は――帰し方、帰し方です》
乗ったばかりの電車で、車内アナウンスは刻鉄に存在しない駅の名前を告げる。
抗えない睡魔に襲われひとつまばたきをすると、なぜか暗く細い路地裏を歩いていた。
ここがどこなのか見当もつかないのに、少しも迷うことなく進んでいる。いったいどこを目指しているんだろう。
足が誰かに操られてるような感覚に気持ち悪さを感じていると、不意に目の前に2人の男性が現れた。
2人分しか通れない道であるにもかかわらず、彼らはうつむきがちでその場に立ち尽くしている。まるでわたしの進路を阻むように。
邪魔だ。早くどいてほしい。わたしは声を上げようとする。しかしその刹那、男性のうち1人が急にナイフを振りかざしてきた。自分と同じヒトとは思えない不気味な笑みを湛えて――
現代と過去の間にそんな悪夢を挟んでやって来た場所は、2021年4月25日午後4時40分の刻架市だった。薄暗い世界の夢を見ていたからか、現実の空があまりにも眩しくて目を細める。
「すごい……本当に過去に来たんだね、あたしたち!」
帰し方駅に来るのは2回目だというのに、咲良はうさぎが跳ねるみたいに左右に結んだ髪を縦に揺らしている。この時代にはまだ存在してないから、今回もわたしと咲良には鞄がなく身軽だ。
一方、初めて帰し方駅に来たであろう紀斗さんは全身が強ばっていた。
「紀斗くん、早速だけど一馬くんの居場所を特定できるかやってみて」
「は、はい。頭の中で光が見えるんですよね?」
遼司さんの指示で、紀斗さんは宙を仰ぐ。飲み込みが早いようで、ものの10秒ほどで「あ!」と何かを見つけたように目を見開く。
同じタイミングでわたしも試してみたけれど、一馬さんの存在を感知したもののさすがに彼ほどの短時間で特定はできなかった。
「見えた! あっちに一馬がいる!」
紀斗さんが指差した先は、ちょうど星霜高校がある方角だった。わたしも首を縦に振る。一馬さんは学校にいるのかもしれない。
案の定、一馬さんの存在を示す光は学校にあった。正門から道路を1本挟んだ先にある書店の西側の壁に沿って身を潜める。こちらから見て左に寄りながら正門を出た何人かの生徒が、横断歩道を渡って書店の北入口へ入っていく。
時刻は午後4時50分。夕方が近いけれど、この時代の原田先生や先輩たちはまだ校内にいるんだろうか。
もし校内にいるのなら、生徒たちに彼らの姿を見られたら「さっきまで校舎にいたのに、どうしてこんな所に?」と騒動になるに違いない。
でも、この場所は正門からは見えないし、見張りにはうってつけだ。
「お、『
書店の壁に設置されている掲示板に、紀斗さんが興奮ぎみに声を上げる。刻架市とその周辺地域を拠点に活動している5人組ジャズバンドの宣伝だ。
アルトサックス担当の
日程は5月30日。行きたかったけれど、部活があるせいで行けなかったライブだった。
ふと紀斗さんの横顔をちらりと見やると、少し表情が柔らかくなっていた。こんな状況だけど、緊張したままだと疲れるだろうからちょっと息抜きをしよう。
「いいなぁ、このライブわたしも行きたかったです。でも部活があって行けなくて……ゲームの収録曲をたくさん演奏してくれたんですよね。特に『
そう羨ましがると、紀斗さんは目を輝かせて語り出す。
「それって『カプリティオ』っていうゲーセンの音ゲーに入ってる曲だろ? あれは連符は多いし変拍子だしで忙しそうなのに、全員涼しい顔して演奏してるし音に色気が乗ってて惚れ惚れしたぜ!」
「やっぱりそうだったんですか。さすがプロですね! Folly Starはどんなにハイテンポな曲でも地に足が着いた演奏って感じがして落ち着いて聞いてられるんですよね」
「そうそう! しかも安定感があるのにアドリブになると急にカオスになるっていうギャップもあって――」
「おい」
紀斗さんと盛り上がっていると、原田先生が呆れた声で会話に割り込んできた。いつの間にか、全員の視線がわたしたちに集まっている。
「2人にしか一馬の顔が分かんないんだから監視だけはちゃんとしてくれよ」
「う……すんません。調子乗りすぎました」
「き、気をつけます……」
束の間の息抜きのつもりが目いっぱい話し込んでしまった。いや、まだ話し足りないな……現代に帰ったらまた語り合おう。
リラックスもほどほどにね、と苦笑する遼司さんが再び学校のほうへ顔を向ける。
彼に倣ってわたしも見張りを再開したその時、一馬さんの存在を示す光が動き出した。ゆっくりとこちらに近づいてきている。
「一馬さん、そろそろ外に出てくると思います」
「了解。見逃さないようにね」
「はい」
見逃さないよう、という遼司さんの言葉が体にずしりとのしかかる。紀斗さんも鋭い眼光を放っている。
「こんなチャンス滅多にないよ。僕らに光を感知させなくして逃げ回る囚われ人がほとんどだから」
由幸さんはにやりと口の端を上げ、わたしたちを煽る。
そうか。それならこのチャンスは絶対に掴み取らなきゃ。いろいろと厄介なことになる前に!
光が動いてしばらくして、3人組の男子生徒が校舎の影から姿を現した。遠くて顔はよく分からないけれど、彼らの歩く速度と一緒に光も移動しているから、あの中に一馬さんがいるのは確実だ。
念のため、学校前に来るまでに立てた一馬さん発見後の作戦を復習しよう。
学校から出てきた一馬さんを尾行して、学校との距離がある程度空いた辺りで一馬さんに声をかける。もし一馬さんが複数人で行動してたら一馬さんが1人になるまで待つ。
一馬さんに気づかれないように、慎重に。足音も、衣擦れの音すらも立てずに――
「一馬!」
イメージトレーニングをしていたら、いきなり紀斗さんが一馬さんの名前を叫ぶせいで心臓が跳ねた。横断歩道を渡りきって書店の目の前まで来た3人組のうち、向かって左にいる男子生徒は一馬さんだ。
紀斗さんが書店の角から顔を出して飛び出そうとするのを、由幸さんが腕を掴んで引き止めた。紀斗さんの体は強制的に書店の壁に隠される。
由幸さんは声を抑えながら叱責する。
「ちょっと、勝手に出ていっちゃダメだよ! ばれたら逃げられるんだから!」
「あ、そうだったな。ごめん、早く現代に帰らせなきゃと思ってつい……」
「ほら見てよ。やっぱ警戒されてるじゃん」
道路寄りの歩道を歩く少年は急に立ち止まって、周囲をきょろきょろ見回している。わたしたちは息を殺して彼の動向を窺う。
結構大きな声で名前を呼んだから気づかれてるだろうと思っていたけれど、結局一馬さんは特に何かすることもなく、他の2人と共に書店を横切って東の歩道を進んでいく。
「よかった……何とかやり過ごせましたね」
しかし、彼は大きな違和感を置いていった。
「でもなんであんなに危機感がないんだろう……?」
咲良が訝しげに呟く。そう、自分と同じ時代を生きる人間の声を聞いても平然としているのだ。
普通なら気のせいだと無視するだろうけど、囚われ人という立場なら誰かに追われてるかもしれないと恐れたっていいのに。
しかも一馬さんの存在を示す光も消えてない。現代との繋がりを断つためにこちらに光を感知させなくするのがよくあるパターンらしいのに、どうして何とも思わないんだ。
もしかしてわたしたちのことはとっくに気づいていて、ポーカーフェイスでやり過ごそうとしているのか? 一馬さんのことだ、ドラマーとして何度もステージに立ってるだろうしポーカーフェイスくらい得意だろう。
そんな憶測をしていると、2つの光を感知した。1つは市街地周辺に、もう1つはそこから北東に離れた場所に。と同時に、突然目の前の一馬さんと重なっていた光が消えた。
紀斗さんはわたしにぎょっとした顔を向ける。
「おい、どういうことだ!? 一馬はいるのに光が見えなくなってる……その代わりなんか光が2つ増えてるし!」
「いや、わたしにも何が何だか分からないですよ! こんなこと初めてですもん!」
「光が2つ増えた? 俺には見えないけど」
この異常事態にわたしと紀斗さんが慌てふためく一方で、遼司さんはわたしたちのものとは意味の違う困惑の表情を見せる。「僕も見えないね」「あたしも……」と由幸さんと咲良も向こう側につく。2対3というバランスの良い分かれ方をしてるのに、なぜか疎外感に襲われる。
やられたな、原田先生が悔しそうに舌打つ。
「一馬に騙されたんだよ、俺たちは。一馬はこの時代の自分に憑依してない。わざとあっちの存在を感知させて、自分の居場所を悟られないようにしたんだ。現代の一馬は、美亜と紀斗が新しく感知した光のどっちかにいるのかもな」
「はあ? そんな複雑なことができるのかよ?」
「器用な人間ならできるぞ」
そう断言されると、やや喧嘩腰だった紀斗さんも「確かに一馬はドラム叩けるしな……」と納得する。ドラマーかどうかはあまり関係ないんじゃないだろうか。
それにしても、原田先生はやけに都市伝説に詳しいみたいだ。どうして原田先生が刻鉄研究会の管理人になっているのか理由が分かった。
「光がどっちもダミーの可能性もあるが、とりあえず手分けして行ってみるか」
一馬さんの居場所の手がかりを掴めるわたしと紀斗さんを中心に二手に分かれる。わたしは遼司さんと原田先生、紀斗さんは咲良と由幸さんと行動することになった。
わたしたちは市街地の北東に灯っている光を追うことにした。
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