14.依頼
「すんませーん!」
不意にドアが開かれる。青いネクタイをした茶髪の男子生徒が慌ただしく旧資料室に入ってきた。
「どうも。俺は刻研3年の緋山遼司。君の名前は?」
何やら焦ってる様子の彼とは反面、遼司さんは手元に置いてあったノートを開きながら穏やかな口調で自己紹介をする。
男子生徒はもどかしそうに「……2年の
「それより聞いてくださいよ、友達が急にいなくなったんです! しかも席もないし出席簿に名前もないし誰もそいつのこと覚えてないみたいで……」
「なるほど。それはその友達が帰し方駅に行ったせいだよ。帰し方駅で一晩過ごすとほとんどの人間から存在を忘れられるからね。幸い、紀斗くんは偶然友達のことを覚えてるみたいだけど」
「へぇ。やっぱり一馬の奴、帰し方駅に行ったのか」
「えっ!?」
思いがけず大声を上げると、全員が一斉に不思議そうな目でわたしを見る。美亜ちゃん知ってるの、と咲良が尋ねてきて、開いた口が塞がらないまま彼女のほうを向いて数回うなずいた。
もしわたしが知ってる「一馬さん」だったら――左耳の上に着いた、水色の星空模様入りで星形の飾りがついた2つのヘアピンにそっと触れる。
「その人……昨日都市伝説の話をしたっていう例の先輩なんだけど……紀斗さんが言う一馬さんの苗字って『倉田』ですか?」
「ああそうだ、その一馬だよ! あんたも一馬を覚えてるんだな! なあ、一馬は何か言ってたか?」
紀斗さんは興奮気味に問う。
身近で人が消えた事実は変わらないものの、囚われ人が一馬さんじゃなかったらここまでショックを受けることもなかったのに……
紀斗さんと話しをしようと、咲良の席から再び首を回す。すると紀斗さんの顔が思ったより近くにあって、無意識に体が仰け反った。
「何かって言われても……えーと、さっきも言った通り一馬さんとは都市伝説の話しかしてないですよ。現代と帰し方駅とで時間が流れる速さが変わるのかっていう」
まあ、そういう会話から帰し方駅に行きたがってそうな予感はしてたけれど。そう補足しようとした矢先に、
「そっちこそ『やっぱり帰し方駅に行った』って言ってたわけだし心当たりはないの?」
と、由幸さんが口を挟む。
「オレも一馬から帰し方駅の話を聞いてた。行ってみたそうな感じでよ。それとドラムを軽音楽部でやるか外のドラム教室でやるか選べって親から言われて悩んでて、時間がいくらあっても足りないとも言ってたな」
「掛け持ちって選択肢はないんだね」
「その掛け持ちが原因で親側は一馬のドラムは高校に入ってから腕が落ちたって思ってるんだとよ。ドラム教室でやってる音楽と部活でやってる音楽はジャンルが違うせいでどっちも中途半端な演奏になってるって」
「演奏するジャンルが違うってだけで、得意不得意はあっても技術はそんなに変わらないと思いますけど……一馬さんほど長くドラムをやってるなら尚更」
わたしが突っ込むと、紀斗さんも「そうだよなぁ。前に一馬んとこのバンドの演奏聞いたら素人でもレベルが高いって分かるくらいドラムめっちゃ上手かったし」と共感する。
それほどの実力があってもなお、わたしたちよりも長く彼のドラムを聞いてる家族からそう評価されたのなら、実際にそういうことなんだろう。
「……まあそういうわけだから、一馬は帰し方駅へ行ってじっくり気持ちの整理をしてるんじゃないかって思うぜ。で、本当に現代と帰し方駅は時間の流れが違うんですか?」
紀斗さんはひたすら乱雑な字でノートにメモを書き込む遼司さんに尋ねる。
「それは本人次第だね。紀斗くんの言う通り、もし一馬くんがじっくり考え事をしてるなら、帰し方駅の時間の流れは現代よりも遅いはずだ」
「つまり、一馬が帰し方駅で過ごす1日は現代の時間に換算すると25時間とか26時間になってるかもってことですか」
「そうだね。だから『ちょっとくらい帰し方駅にいても』って思考が命取りになるんだよ」
「じゃあそのことを早く一馬に知らせて連れ戻さないと――」
「あ、その前に原田先生を呼んでくるからちょっと待っててくれよ」
今にも旧資料室を出て廊下を駆け抜けんばかりに意気込む紀斗さんを言葉だけで抑えて、代わりに遼司さんが旧資料室を出ていく。行き先は隣の物理準備室だ。
「……なんで原田先生なんか呼ぶんだ?」
遼司さんを見送って、紀斗さんは眉をひそめながらこちらを向く。答えたのは由幸さんだった。
「原田先生は刻研の管理人をしてるんだよ。部活の顧問的なやつ。面倒だけど、刻研で帰し方駅に行く時は先生同伴じゃないといけないってルールだから」
「別に先生がいなくても問題ないんじゃねえの。刻研って学校の許可なく勝手に活動してるんだろ?」
「そうなんだけど、帰し方駅で危険な目に遭ったら困るからって原田先生もついてくることになったんだよ」
そう説明する由幸さんに、咲良は首を傾げる。
「なんか意外です。原田先生、都市伝説あんまり好きそうじゃないのに自分から帰し方駅に行こうとするなんて」
「そりゃあ自分がいない時に、しかもよりによって帰し方駅で当時の依頼人のストーカーに追いかけ回されるようなことがあっちゃたまったもんじゃないよね」
「あー、それは先生側からしたら心配になっちゃいますね」
「……紀斗さんは一馬さんからそういう被害に遭ったって話とか聞いてますか?」
帰し方駅へ行く直前なのに急に不安になって、わたしは紀斗さんに縋りつくように問う。当然それなりのリスクを承知の上で刻鉄研究会に入ったわけだけど、詳細まで語られるとさすがに怖気づいてしまう。
そんな顔しなくても、と紀斗さんは呆れつつ、かぶりを振った。
「今のところ一馬から犯罪に巻き込まれた、的な話は聞いてないな。オレに言ってないだけかもしれねぇけど。あと、あんたも知っての通り一馬は音楽にストイックだから、変な奴ともつるんでないと思うぜ」
「そ、そうですよね。きっとそうですよ! 一馬さんは帰し方駅で何事もなく過ごしてますよね!」
……いや、帰し方駅にいる時点で何事もないわけないじゃないか、と内心で指摘する。
しかし、この矛盾した台詞が誰からも突っ込まれなかったのは、ちょうど遼司さんが原田先生と一緒に旧資料室に戻ってきたタイミングと重なったからだった。
「お待たせ。原田先生連れてきたよ」
「話は遼司から聞いた。ほら行くぞ」
先生に促され、わたしたちは学校を出て最寄り駅の鏡後駅へ向かう。その道中で紀斗さんに帰し方駅のルールを教えてひと段落すると、遼司さんは突然こんな質問をしてきた。
「ところで、美亜ちゃんと紀斗くんは『時間警察』っていう都市伝説を知ってるかい?」
わたしは首を横に振る。聞いたことのない都市伝説だ。隣で紀斗さんも「何ですかそれ?」と返す。
「時間警察っていうのは、人の姿をした化け物のことだよ。刻架の都市伝説を調べてる人間や都市伝説の真実を知ってる人間を『世界の秩序を乱す者』とみなして殺すらしいよ」
「なんで帰し方駅に行く前にそんなことを言うんですか!」
このタイミングでわざわざ不安を煽ってくるとは、なんて意地悪なんだ。
じゃあ刻鉄研究会は絶対に時間警察とやらに目をつけられてるじゃないか。都市伝説に干渉しすぎても消されないから大丈夫と言っていたのは誰だったっけ。
もう一言二言文句を言おうとしたら「まあまあ落ち着いて」と遼司さんに宥められ、仕方なく彼の話に耳を傾ける。
「時間警察に殺されるとは言ったけど、実は俺たちはまだ一度も遭遇したことがないんだ。過去の日誌には時々出てくるんだけど、時間警察が本当に存在するかどうかも怪しいと思ってる。だから気にしなくていいよ」
「だってさ。よかったじゃねぇか」
「そうですかね……」
遼司さんも紀斗さんも楽観的すぎる。消される消されないはともかく、帰し方駅に行くたびに掃除屋や犯罪者の他に時間警察のことも考えなきゃいけないという重荷を背負うのは、誰にとっても苦痛だろう。
「心配なら美亜さんだけ現代に残っててもいいんだよ」
わたしの顔がよっぽど不安がってるように見えたのか、目の前の横断歩道が赤信号になったタイミングで由幸さんが優しさとも嫌味ともとれる言葉をかけてくる。まあこんなにビビってる人間を無理やり帰し方駅に連れていこうとはしないか。
だけど、誰に何と言われようとわたしが選ぶ選択肢はただ1つだ。
「仲間外れにしないでくださいよ。わたしも行くに決まってるじゃないですか」
いくら都市伝説の存在が嫌いとはいえ、世界の常識が勝手に書き換えられたと知ったら見て見ぬふりはできない。常識が変わる前の世界を知る人間として、世界の異物だと思われないように。
「美亜ちゃん、青だよ。行こ」
咲良に声をかけられて、物思いにふけっていた精神を現実に連れ戻す。わたしは横断歩道を軽快な足取りで渡った。
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