ⅲ両目:逢魔が時に囁かれる秘密

32.小さな意地

「……ねえ、美亜ちゃんと歌音ちゃんは帰し方駅に行ったことある?」


 土曜日の夕方。歌音と純夏と3人で我が家の自室のテレビで、数十種類のミニゲームを集めた最大4人プレイができるバラエティゲームを遊んでいると、純夏がおもむろにそう尋ねてきた。


 今まで、この3人で刻架の都市伝説の話なんてしたことがなかった。そもそも都市伝説は誰もが嫌い恐れている。軽率に出せる話題じゃない。


 ゲームが終わり順位が出て、ゲーム選択画面に戻る。操作者である1Pのわたしのカーソルが動かないことにまずいと思ったらしく純夏はすぐさま謝罪して、わたしと歌音に繕った笑顔を見せた。


「き、急に変なこと聞いてごめんね! 花村結生が行方不明になってから、なんとなく都市伝説のことを考えちゃって……嫌だったら無視していいから!」


 女優の花村結生は刻架市にある実家へ帰って以降、消息を絶っているという。


 こういう話を聞かされたら、刻架市民は事件に巻き込まれたのかと心配する他に、帰し方駅に行ったんじゃないかとも疑う。だから今、純夏の頭に都市伝説のことがちらついてるんだろう。


「うん。あるよ」


 歌音はあっさりと答える。さすが刻鉄創業者、黒林宗一郎のひ孫。彼女は刻架の都市伝説をタブー視しないのだ。


 想定外の回答だったのか、純夏は拍子抜けして目を見開く。


「え? そ、そうだったんだ」

「なんか自分で聞いてきた割にめっちゃ引いてない?」

「いや、歌音ちゃんは都市伝説平気なんだなってびっくりしただけだよ」

「都市伝説の話なんか全然話せるよ。結局干渉しすぎなきゃ消されないんだし。ちょっと話しただけで過干渉扱いはされないでしょ」


 ……都市伝説の話題になるといつも、思い出したくない過去が頭の中を駆け巡る。


 2人が盛り上がってる横で、わたしはカーソルを動かして次のミニゲームを選ぶ。操作説明画面になると歌音も純夏もテレビへ向き直り、準備完了ボタンを押す。


 様々な形のブロックを枠の中に全部はめ込むパズルを解いてる間も、2人は話を続けていた。早く切り上げてくれないかな。


「実はね、私も帰し方駅に行ったことがあるんだよ」

「へぇ。意外と誰でも行ってるんだね」

「それで花村結生がいなくなってから思い出したことなんだけど、あの時変な男の人とか黒い手に遭遇したんだよね。歌音ちゃんは見たことある?」

「んー、何それ。ねえ美亜、帰し方駅でそんなの見なかったよね?」


 純粋な瞳を向けて、歌音はわたしに問う。ずっと無視してたのに都市伝説の話題に引きずり込まれたから、わたしは思わずコントローラーのボタンから指を離して抗議する。


「ちょっと歌音! 純夏にわたしも帰し方駅に行ったことばれたじゃん!」

「あ、言っちゃった」

「もう、わたしは都市伝説は嫌いなのに」

「あはは……ごめんごめん」


 わたしを勝手に巻き込んだくせに、歌音は平謝りで済ませる。もうこの話やめよっか、と言い出しっぺの純夏が提案するも、


「えー、その男の人と黒い手のこと教えてほしいなー」


 なんて歌音が駄々をこねるから、純夏はどちらの意見を採るべきか困り果てている。


 3人ともコントローラーを操作せずに会話に興じていたからか、いつの間にか4Pの代わりに参加させた最弱設定のコンピューターが1位を勝ち取り、わたしたちは時間切れで同率2位となっていた。


「そんなに都市伝説の話をしたいならわたし出ていくよ。リビングにいるから。終わったら教えて」


 再び戻ったミニゲーム選択画面のBGMが流れる中、わたしは立ち上がってドアへ向かう。しかし、歌音がわたしの腕を掴んで引き留めてきた。


「いいじゃん。美亜も話聞こうよ。家主を除け者にするのも悪いし、また帰し方駅に行った時に役立つかもしれないし」


 わたしの立場には気遣いができるのに、わたしを仲間に入れて話す話題には気を遣えないのか。


 とはいえ、歌音の言い分は一理ある。今後の参考になる可能性は十分高い。


「……分かった。純夏、わたしにも聞かせて」

「いいの?」

「うん。大丈夫」

「じゃあ言うね――私、小6の時に帰し方駅に行ったんだ」

「小6!? その歳で帰し方駅に行けるもんなの?」


 早速歌音が純夏の話を中断させる。わたしも驚いた。だって一般的に、小学生までは過去に強い執着が芽生えず、帰し方駅には行かないと言われているから。


 本当だよ、と純夏は柄にもなく語気を強めてから、説明を再開する。


「あの時はクラスの男子に惚れられてて、その人が好きな女子がいるグループにちょっとした嫌がらせをされて耐えられなって……だから帰し方駅に行って、その男子に惚れられる前に冷たい態度を取って嫌いになってもらおうとしたの」


 意外と大変だったんだよ、と純夏はため息をつく。


「どんなに無視しても話しかけてくるから全然思い通りにいかなくてさ。結局現代に戻って告白を振って、いじめも解決したんだけど。でも、帰し方駅で1人でいる時に何回か知らない男の人が現れて『そろそろ元の時代に帰りなよ、純夏』って言ってきたのが未だに気になって……誰だったんだろう、あの人は。どこかで見たことがある気もするんだけど」

「気持ち悪っ。何そいつストーカー?」


 歌音は嫌悪を露わにする。ストーカーがわざわざ帰し方駅まで行って付きまとうとは思えない。その男はただ者ではなさそうだ。


「うーん、予言者かも。だってあの人に『早く現代に帰らないと消えるよ』って言われた後、すぐに黒い手が襲いかかってきて私をから」

「え、その黒い手って人間を消してくるの? 消そうとしてきたってどういうこと?」


 謎の男から黒い手へと興味が移り、歌音が立て続けに質問する。純夏は戸惑う彼女を落ち着かせるように、さっきとは違い何もかも知ってるような余裕感を持って答えた。


「文字通り、人間の存在を跡形もなく消すんだって。黒い手を見たら本能が『捕まったら殺される』って直感して、人は逃げなきゃいけないって思うみたいだよ。私もあの時、死ぬかと思って急いで電車に駆け込んだから多分正しい情報だよ」


「それって誰かから聞いた情報なの?」


 まるで他人の言葉をなぞるような語り口に、わたしは疑問を呈する。


「原田先生に教えてもらったの。その黒い手は都市伝説を調べてる人たちの間だと『掃除屋』って呼ばれてることも聞いたよ」


 宙を仰ぎながら、純夏は情報を加える。原田先生は刻架の都市伝説に詳しい。ただし、それを知る生徒はごくわずかだと聞く。


「さすがに掃除屋は見たことないけど、帰し方駅で一晩過ごしたら現代にいるほとんどの人から記憶が消えるっていうのはお兄ちゃんから聞いたよ。世界が自分が生きるべき時代にいない人間をとみなして人類の記憶から完全に消そうとするんだって」


 歌音のお兄さんの奏太さんも、刻架の都市伝説について人並み以上の知識を持っている。「それ先生も言ってた!」と純夏も何度もうなずく。


「原田先生が詳しいなんて意外。理科の先生は非科学的な現象は信じなそうなのに」

「でしょ? 陽菜乃ちゃんが音楽の授業のペアワークで教えてくれたの」


 不意に出てきた不仲の幼馴染みの名前に、思わず眉をひそめてしまう。


 と同時に、わたしが帰し方駅で一夜を過ごした時のことを思い出す。どうして陽菜乃は、歌音と同様にわたしの存在を覚えていたんだろう。



 中学2年生の冬休み、インフルエンザのせいで打楽器四重奏でアンサンブルコンテストに出場できず、わたしはずっと根に持っていた。


 そして当時の後悔や自責の念を抱えたまま迎えた高校入試を終えた後に乗った電車で、知らず知らずのうちに帰し方駅に来てしまった。


 降り立った過去は、アンサンブルコンテストの5日前。わたしがインフルエンザにかかる3日前だった。


 その日から家にいた自分に憑依して、入念に手洗いとうがいをした。人通りの多い一部の通学路を避けて、人けのない裏道を通った。部活中は管楽器を吹いてる時の部員には一切近づかなかった。


 すると舞台に立ちたいという強い意志もあってか、無事に健康体でアンサンブルコンテストに出場できた。


 ――アンサンブルコンテスト当日の時点で、現代ではわたしの存在が消えかかっていたことも知らずに。スネアドラムやタムやシンバルを激しく叩くわたしの横で厳かにチャイムを鳴らす歌音と楽器運搬の助っ人に来た陽菜乃が、わたしと同じ現代から来た自分に憑依されてる2人だとも知らずに。


 学校に戻って楽器の運搬を終えて解散した直後、歌音と陽菜乃に事情を聞かされ強制的に現代へ帰らされた。


 現代ではたった1日しか経っていなかった。わたしはとても濃密な5日間を過ごしていたのだ。


 これが初めて帰し方駅に行った時のエピソード。でも、純夏のようにそれを暴露する勇気はなかった。事の顛末も含めて、こんな間抜けな醜態は誰にも晒すわけにはいかない。このことは3人だけの秘密だ。


「答えられたらでいいんだけど、美亜ちゃんと歌音ちゃんはいつ帰し方駅に行ったの?」

「中3の時だよ。なんで行ったかは言えないけど」


 他人の事情で帰し方駅に行ったと弁えてるからか、歌音はわたしを庇うように唇の前で人差し指を立てた。そっか、と純夏は寂しそうに声を落とす。


「小学生で帰し方駅に行くって、やっぱり珍しいことなんだね。何だか『お前は異物だ』って言われてるみたい」


 そんなことはないよ、とは軽々しく言えなかった。


 よわい12で帰し方駅に行った純夏も、刻架の都市伝説に物怖じしない黒林社長のひ孫の歌音も、余計な記憶を持っているわたしも、きっとこの世界からしたらみんな異物だ。


「次は何のゲームやろっか?」


 わたしはそう誘うだけで精一杯だった。

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