29.監禁事件

 俺たちは再び歩き出し、夜環駅へ向かう。この時代から約1ヶ月後、監禁事件が起きた7月18日の西夜環町へ。


 帰し方駅に行く時は下りの電車に乗るのが基本だけど、現代よりも前の時代なら上りの電車で現在地よりも未来の帰し方駅へも行ける。


「梨奈の監禁時間を短くするって言っても、何か策があるんですか?」


 由幸くんが怪訝そうに問う。作戦は既に考えついてるようで、原田先生は流暢に語り出す。


「扉の取っ手に巻きついた約10本のワイヤーを総動員で……いや、4人で作業するには狭すぎるから2人掛りでニッパーで切る。あれは硬いから、1人で全部切って扉を開けるのにそれなりに時間がかかるんだ。梨奈の監禁時間を10分と仮定して、その半分の5分を目安に開放するか」


「5分ですか……随分短いですけど、試行回数を重ねたらいけそうですね」

「待て待て、5分以内に廃倉庫を開けるのはどう考えても無理だろ!」


 簡単に実現できそうな作戦だと感心する俺に、晃弘が反論する。いよいよ夜環駅の駅舎が見えてきた。


「だって先生が言う『5分』の中には、犯人が梨奈を閉じ込めてから扉にワイヤーを巻き付けてる時間もカウントされてるんだろ? 犯人がそこで時間をかけてたらすぐオーバーするだろ」

「確かにその可能性は十分あり得るな。だからもし香菜子が施錠に5分以上かけると確定したら、現代に帰って他の作戦を考える」

「え、帰んのかよ?」


 無人駅である狭い夜環駅構内に入ると、晃弘は不服そうに口を尖らせる。俺は原田先生の判断は真っ当だと思う。


 先生は呆れたようにため息をつく。


「今日中に目的を果たせるに越したことはないが、別に今日中である必要はないだろ」

「そうだけど……オレの道理がそれを許さねぇんだよ。今日梨奈を助けるって決めたからにはよ」


 晃弘は原田先生を睨みつける。一方、原田先生には彼ほどの戦意はなく、こちらに背を向けて券売機で切符を買っていく。


「晃弘、帰し方駅では何があっても自分優先だ。でいるのはいいが、絶対には持つんじゃない」


 原田先生が再三警告を放ち、切符を俺たちに配ってスタスタと改札を通り抜ける。晃弘はまだ納得できてない様子で、無言を貫く。


 しかし、俺もホームへ向かおうとしたところで晃弘は話しかけてきた。


「なあ、自己犠牲心ってのは刻研や先生も持ってるもんじゃねえのか。オレに付き合って帰し方駅に来てるし」


 どうやら、傍から見ると刻鉄研究会は他人のためだけに多大なリスクを冒して帰し方駅に来てるという印象らしい。


 だけど、刻鉄研究会は決して慈善活動団体ではない。


「刻研は人助けもするけど、そこに自己犠牲心はない。基本好奇心っていう完全な自己満足で動いてるんだ。人のためじゃなくて自分のために」

「オレも自己満足で動いてるのに何が違うんだ?」


 晃弘はさらに疑問符を浮かべる。


「晃弘のはそこに自己犠牲心も入ってそうで危なっかしいんだよ。自分はどうなってもいいから何がなんでも過去を変えたいって思ってるだろ?」

「そこまでしないと変えられないならそうするしかないだろ」


「その自己犠牲心で時の使者に消された人を、俺や原田先生や今年卒業していった先輩たちは見てきてる。だから余計に心配しちゃうんだよ」


 原田先生みたいな抽象的な言い方じゃダメだ。今の晃弘にはこのくらい刺激を与えたほうがいい。


「……そうか。そういう事情があるならあんま焦らないようにするわ」


 よかった、やっと折れてくれた。しょうがねぇなぁ、と頭を掻きながら改札を抜ける後ろ姿に、俺と由幸くんも続く。


「口ではああ言ってますけど、絶対どこかで死にかけそうですよね、あの人」


 俺の懸命な説得が功を奏したというのに、由幸くんは意地悪に水を差す。俺も未だに晃弘が何かしでかすんじゃないかと危惧しているけれど。


「とりあえず今は信じてみようよ。もしトラブルがあったとしても、それはそれで楽しもうじゃないか」


 でも用心に越したことはない。俺はホームで改めて身を引き締めた。



 電車に乗って7月18日の夜環駅へ着く。


 冷房のよく効いた車内から一変、鋭い直射日光と鼓膜を破らんばかりにけたたましく鳴くミンミンゼミに悶えながら、男4人はほんの少しの清涼感を求めて袖をまくった。


「さあ、準備を始めるぞ」


 駅舎を出て原田先生がそう合図すると、過去の自分に憑依するために母校の刻架大学へと歩を進める。晃弘は自宅へ、俺と由幸くんは夜環駅のそばにある、外観も内観も古めかしい小さなホームセンターへ向かった。



 ニッパーを2本買ってホームセンターを後にすると、ちょうど大学生の姿をした原田先生と鉢合わせた。6年の歳月が経っていても、外見はちょっと若々しいなと思う程度でそこまで変わりはない。


 3人で事件現場である廃倉庫に行く。遠目だけど錆びた扉に南京錠がかかっているのが見えた。


 そして廃倉庫と広い駐車場を囲むフェンスの端に、小学6年生の姿の晃弘が寄りかかっている。よっ、と晃弘は小さく手を挙げた。


「準備は整ったな。あとは隠れ場所だが……」


 原田先生は辺りをきょろきょろ見回す。公園で連なっていた低木のような、ちょうどいい隠れ場所は見当たらない。


「こことかどうだ?」


 晃弘は廃倉庫裏へ駆けていく。後を追うと、フェンスと廃倉庫裏の僅かな隙間を指差していた。由幸くんが困ったように苦笑する。


「いやぁ……どう考えても晃弘さんしか入れませんよ。フェンスの向こうに隠れるならまだしも」

「フェンスの外側か……扉へ行くまでにいちいちフェンスを駐車場まで回り込まなきゃいけないよなぁ」

「ですよね。解放するまでにかなり時間がかかりますし」

「わざわざ走り回らなくても飛び越えりゃいいだろ」


 俺と由幸くんの不安を払拭するように、原田先生は豪快な提案を出す。なるほど、その手があったか。


「ちょっと待ってくださいよ。僕にそんな身体能力があると思ってるんですか?」


 自虐混じりに由幸くんが抗議する。去年の新体力テストの総合評価はDだったっけ。


「嫌なら無理しなくていいぞ。遼司もいるしな。その代わり、スマホでタイムを測ってくれ。扉を開けるまでの時間の目安を知りたい」

「……分かりました。パスコードは何ですか?」

「『5792』だ」


 原田先生は由幸くんに旧型のスマホを手渡す。現代ではもう使ってないとはいえ、ロック解除のパスコードを外で口にしていいものなのか。


「由幸が計測係で遼司と先生がワイヤーを切る係なら……オレは何をすればいいんだ?」

「俺たちが切ったワイヤーを取っ手から外してくれたら、手元が見やすくなる」

「おう、任せとけ!」


 そう勇ましく放ち、晃弘は廃倉庫とフェンスの隙間に挟まる。俺たちも駐車場を出てフェンスの外側へ回る。待機している間に、袋に入ったニッパーを開封した。


 しばらくすると、廃倉庫の向こうから足音が聞こえてきた。


 死角から少し顔を出す。茶髪のショートヘアの眼鏡をかけた少女と黒髪のストレートロングの女性が、談笑しながら廃倉庫に近づいてる。梨奈ちゃんと伏見香菜子だろう。


 軋んだ音が耳をつんざく。そのわずか数秒後に扉は再び軋んだ音を鳴らし、ガシャンと閉まる。由幸くんがスマホアプリのストップウォッチでタイムを計測し始める。早くそこを離れてくれ……


 ようやく伏見香菜子が廃倉庫から立ち去るのを見送ったと同時に、俺と原田先生はフェンスを登った。原田先生がひょいと腕以外の全身を浮かせて華麗に飛び越え2、3歩で地面に着地したのに対して、俺は慎重にゆっくりとフェンスをまたいで下りる。あんな大胆には動けない。


「今3分経ちました!」


 フェンスの向こうに取り残された由幸くんが、駐車場へ走りながら叫ぶ。制限時間は2分だ。


 俺は右側に、原田先生は左側に立って、扉の取っ手に固く結ばれたワイヤーにニッパーの刃を食い込ませる。これはなかなか硬い。


 だけど、思いきり力を入れればちゃんと切れる。既に俺と先生で1本ずつ切った。


 そして俺たちが切ったワイヤーを、晃弘が引っ張って地面へ放る。視界からワイヤーが減るだけで、達成感と更なるモチベーションが湧き上がってくる。


「おかしいな……」


 2本目のワイヤーを切って、続いて3本目のワイヤーに取りかかる原田先生が不審げに呟く。


「おかしいって、ぐっ……何がですか?」


 未だに手と腕を震わせながら2本目のワイヤーと格闘する最中さなか、俺は尋ねた。


「解錠作業の序盤、内側から扉を叩く音と『開けて』って声が何度も聞こえてたんだ。扉も少し揺れてた」

「でも今は……ふぅ、全く聞こえないですね」


 やっと俺も2本目のワイヤーを切り終える。猛暑のせいもあってか、意外としんどい。


「もしかして中で熱中症とかで倒れてるんじゃ……」

「や、やめろよ、そういう笑えない冗談は!」


 ふと想起された最悪の展開を口にしたら、下から晃弘のお叱りを食らってしまった。今病気にかかっていたとしても、現代の梨奈ちゃんは元気そうだったから大丈夫だと思うけれど。


「あと30秒で5分です」


 解錠作業をしているうちに、由幸くんがタイムリミットを告げながらやって来る。取っ手に結ばれたワイヤーは、いつしか残り2本となっていた。


 俺と先生がその2本ともを切ったのはほぼ同時だった。役目を果たした満足感でどっと疲れが押し寄せてきて、俺はしゃがみ込む。


「お疲れ様です、ちゃんと5分以内に切れましたね」


 由幸くんも腰を下ろして、スマホの画面を見せつける。およそ4分50秒。何とか間に合った。


 ひと休みを入れる俺たちをよそに、原田先生は建てつけの悪い扉の左側を全身を使って動かす。微力ながら晃弘も手伝っていた。


 閉ざされた扉の向こうの世界が露わになる。


 灼熱に包まれた、広いようで窮屈な薄暗い世界の中心で体育座りをしている1人の少女。額から大粒の汗を流し、肩で浅い呼吸を繰り返している。


 梨奈ちゃんは俺たちの姿を捉えるなり、きょとんと目を見開いた。


「え、……?」

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