28.身代わり
***
午後3時、薄緑色のフェンスに囲まれた公園にて。
点々と散らばった遊具の外側に植えてある、由幸くんと原田先生と共に雨上がりで湿った低木の後ろにしゃがみ込んで、ジャングルジムを頂上まで登っては降りを繰り返す身長140cmにも満たないタンクトップに半ズボン姿という典型的なわんぱく少年をじっと見つめる。
「――ああ、もう! 全然来ないじゃんか!」
小学6年生の自分に憑依した晃弘が、ジャングルジムの2段目から飛び降りて、地団駄を踏みながら叫んだ。幼く甲高い声が公園にこだまする。
晃弘の話では、犯人は事件を起こす1ヶ月くらい前に梨奈ちゃんとこの公園で接触したらしい。だから2016年6月中旬の西夜環町に繰り出したわけだけど、犯人が来る気配はない。
「あ。晃弘じゃーん!」
「なあなあ今から遊ぼうぜー!」
晃弘の友達と思しき2人の男子小学生が声をかけてきた。ああ、今回もダメだったか。
「……撤収だ」
原田先生がかつてここ近辺の大学に通ってたこともあって、いざ知人と出くわした時に混乱させないようにと憑依した、右耳に銀色のリングピアスを光らせているこの時代の自身の体から飛び出て、真っ先に立ち上がる。「この回は失敗」の合図だ。
「ごめん! これから用事あるから帰るわ! おーい、遼司ー」
晃弘は俺の名前を呼びながらこちらへ走っていき、4人で公園を後にする。閑静な住宅街を進んで行く先は、最寄りの夜環駅だ。
小学校の放課後、誰もいない公園で晃弘が犯人を待つ、しかし犯人が来る前に他の子どもたちが遊びに来るから作戦を中断する――という流れをやるのはこれでもう3回目だ。
日付や時間、天候の条件を周回ごとに少しずつ変えて検証したけれど、どうやっても犯人とは出会えなかった。
風に吹き飛ばされそうなほど華奢な小学生時代の晃弘の体がどうしたら40cm以上も伸びるのかと、由幸くんと笑い転げていたわずか1時間前が懐かしい。
「犯人は晃弘さんに興味ないんですかね」
「何だよ、じゃあ最初から梨奈が狙いだったって言うのかよ?」
小学6年生の体から離れ元の姿に戻った晃弘を見上げて由幸くんが放った言葉に、晃弘は喧嘩腰で突っかかる。由幸くんは「いや、僕がそこまで分かるわけないじゃないですか」とこちらも強い語気で返した。
「男には逆らえないけど、女は弱いから自分でも簡単に捻りつぶせると思ってたんだろ、どうせ」
原田先生が断定的な推理をする。その違和感を指摘する間もなく、
「悲しいけど、梨奈よりオレのほうがチビだし弱そうに見えるだろ。むしろオレを狙ったほうが都合いいって」
と、晃弘が自虐を吐いた。先生の言動には何も引っかかってなさそうだ。
原田先生は首を横に振る。
「体格じゃない。性別だ。あいつは前時代的な奴で男尊女卑が激しくてな。男には歯向かうべきじゃないと本能で思い込んでるんだ。たとえ小さな子どもだろうとな」
「なんか犯人のことを全部知ったふうな物言いですね。知り合いか何かなんですか?」
やっと原田先生へ抱いた疑問を口にできた開放感と同時に、喉のつかえも解消される。先生は不服そうにうなずいた。
「ああ。大学の元同期で、同じサークルにいた女だ。名前は
そうカミングアウトされると、由幸くんと晃弘は
「えぇ!? そうだったんですか!?」
「マジかよ……あ、だから先生も犯行現場にいたのか!」
「知り合いだからってのもあると思うが、実際なんであそこにいたのかは分からずじまいだ。でも、あいつが犯罪に走った理由に心当たりがある」
不意に原田先生が立ち止まる。つられて俺たちも足を止める。全員、発言を一言一句聞き逃すまいと先生の悔恨混じりの表情にじっと目を向けていた。
「香菜子は犯行動機として、自分の思い通りに人生が上手くいかないことが重なったストレスで人を殺したくなったと証言してた。その1つに……俺が香菜子を振ったからってのもあると思う」
この告白には、今度は誰もが口を閉ざした。まるで自分の行いが遠因となって悲劇が起きた、みたいな言い方をされたら、誰だって反応に困る。先生を敵視している晃弘でさえ冷静で、批難しようとはしなかった。
突然、アスファルトや信号機、周りの家々に翳りが差す。ふと視線を宙へ遣ると、灰色の雲が空を覆っていた。
やがてまばらに雨が降ってきて、静寂を切り裂いた。その大きな雨粒は、穿つようにアスファルトや俺の頬を叩く。この程度なら雨宿りの必要はなさそうだ。
雨音に触発されたのか、晃弘がおもむろに言葉を発する。
「……じゃあ先生が犯人を振ってなかったらその……梨奈が閉じ込められることもなかった、ってことか?」
「待って。先生のはあくまで原因の1つかもしれないって話でしょ。まだ先生が悪いって決まったわけじゃない」
俺はすかさず擁護する。不確定情報を真実だと確信するのはよくない。
そのことはさすがに晃弘も理解していた。
「わ、分かってるよ、遼司! だけど、もし先生が犯人を振らなかったら未来も変わったかもしれないって……」
「どうだろうな。俺に振られた以外に、成績不振だったりバイトでミスが続いたり、いろいろあったらしいからな。あと香菜子の告白には絶対オーケーを出したくない」
「そんなに嫌だったんですね、その伏見香菜子って人のこと」
「ああ。基本無愛想で何を考えてるのか分からない人間と関わったって楽しくないだろ。しかもその割に男相手には何の見返りもなく頼まれ事をどんどん引き受けるから、男受けは良いっていう奇妙な奴だった。逆に女子には『女は男を立てるべき』って思想を披露して嫌われてたけどな。とにかく、俺にとって香菜子は『不気味な女』以外の何者でもない」
由幸くんの発言が起爆剤となって、普段人の悪口を言わない原田先生はかつて拒絶した女へ散々な評価を下す。
由幸くんは苦笑を浮かべる。
「うわぁ、かなりヤバい人ですね。ていうか先生は伏見香菜子のことをそこまで嫌っていたのに、向こうはなんで先生が好きになったんですかね?」
「そうだな……一度香菜子に少し優しくしたことがあって、多分そこから懐かれたかもしれない」
「そこでまんまと惚れていざ告白したら振られて、挙句にはストレス発散で小学生を監禁して――あれ。先生、本当に香菜子さんはそんな動機で事件を起こしたんですか?」
そう指摘すると、原田先生がよくぞ気づいたとニヤリと口の端を上げる。
「それは俺も疑問に思ってることだ。おそらく、というか絶対に香菜子には他の動機がある。俺には見当もつかないけど」
「え、どういうことですか?」
俺たちが感じた違和感をまだ理解できてないようで、由幸くんは首を傾げる。晃弘も顔をしかめて唸っている。こっちも分かってなさそうだ。
「由幸くんと晃弘は、ストレス発散したいって時はどうしてる?」
俺は2人にヒントを与える。2人とも考える間もなく答えた。
「えっと、いつも寝るか映画やドラマを観て現実逃避してますね」
「オレはバレーをやるぜ。思いっきりスパイクとかサーブを打ってさ」
「それはストレスを感じてからどのくらい時間が経ってからやるの?」
「そりゃあもちろん、すぐに発散するに決まって……あ!」
晃弘がようやく何かにひらめいたらしく、大きく目を見開く。由幸くんも誇らしげに笑う。
「そっか。ストレス発散目的で人を殺したくなったらすぐ実行に移しそうなもんなのに、わざわざ1ヶ月もかけて梨奈から信頼を得て監禁するっていう遠回りをして事件を起こすのはおかしいってことですね!」
「ご明察。まあ香菜子の真の犯行動機なんて考えたって仕方ないから、これから新しい作戦を立てるぞ」
推理を披露した由幸くんを讃えながらも、原田先生は話を切り替える。ついに今の作戦じゃ過去を変えられないと見切りをつけたか。
晃弘は既に諦めてるようで、首を横に振った。
「作戦? オレにはもうストックないっすよ。これ以上他の策を考えられる頭もないし」
「いや、晃弘はまだ無理して考えなくてもいい。でも教えてほしい。梨奈が廃倉庫に閉じ込められてた時間は分かるか?」
「うーん、だいたい10分から20分だって大人たちから聞いたけど……それがどうかしたのかよ?」
「もし梨奈のトラウマの原因が長時間廃倉庫に閉じ込められてたからだとしたら、監禁時間を短縮すればトラウマをなくせるかもしれない」
つまり、香菜子さんには史実通り梨奈ちゃんを被害者にした監禁事件を起こさせる、ということか。
あまり説得力のない仮説も含まれてるけれど、原田先生の作戦を実行する価値はありそうだ。
「僕は賛成しますよ。どうせ行き詰まってるなら、他の策も試してみないと」
「ですね。香菜子さんは晃弘さんにビビってるみたいですし」
俺と由幸くんは原田先生へ同意を示す。さて、あとは晃弘の返事を待つだけだ。
「……あのさ、犯人に裏切られたこともトラウマになりかねないと思うんだけど、それも原因で梨奈が暗くて狭い場所がダメになってるかもしれないっすよ」
さっき思考放棄したとは思えないくらい鋭い指摘を、晃弘が入れる。その点は俺も気になってたところだ。
原田先生はバツが悪そうに目を逸らす。
「そこはまあ……賭けだよ。マイナスの概念がない、プラスになるかプラマイゼロのままかの2択の賭けだ」
「じゃあお得だな。決めた、オレも賭けるぜ!」
晃弘はしたり顔を浮かべた。いつの間にか、空に晴れ間が差していた。
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