27.ライバル
「こんな偶然あってたまるか!」
しばらく放心状態だった晃弘さんは、急に何かに突き動かされたようにテーブルを叩く。
結構大きい音だったから、わたしの肩は反射的にビクリと跳ね上がる。咲良も同じ反応を見せる。どうしてこんなに怒っているんだろう。
「えっと……な、何かあった?」
遼司さんが恐る恐る尋ねる。晃弘さんはテーブルに置いた両手のひらを、今度は顔面へ持っていく。
「梨奈の初恋相手ってのはよぉ、廃倉庫に閉じ込められた時に助けてくれた男子大学生なんだよぉ」
原田の話が本当なら梨奈は初恋相手と感動的な再会を果たしたわけで、こんなの運命以外の何ものでもなくて、そういう奇跡が起きたらもうオレに勝ち目なんかなくて――
なんて泣き言が、晃弘さんの大きな手を貫通して微かに外界へと伝わる。
もし梨奈さんが真実を知ったとしても、自分の立場を弁えてる感じだったから今更原田先生に告白するようなことはないだろうけど、晃弘さんがこんなにも悲嘆するのも無理はないと思う。原田先生は一度梨奈さんの心を射止めてるんだから。
うじうじ弱音を吐き続ける晃弘さんに、わたしたちは慰める言葉も見つからなかった。何を言っても晃弘さんの心は救えないと、誰もが察していた。
身代わり作戦を実行する前に、晃弘さんはすっかり大きな精神的ダメージを追ってしまったようだ。皮肉にも原田先生のカミングアウトによって。このメンタルじゃ今から帰し方駅に行くのは難しいだろう。
個室内に気まずい空気が流れる。
居心地の悪さを誤魔化すように飲んでいたレモンティーのグラスはそろそろ底が見えそうだ。ストローがジャリジャリと沈殿していた砂糖と氷に当たる。
こまごました甘い氷の群れを口に放って噛み砕いていると、再び柊さんが個室にやって来た。お盆にお冷とウーロン茶と、丸まった伝票を乗せている。彼の背後には原田先生もいた。
原田先生は晃弘さんの向かいの席へ座り、そこにお冷とウーロン茶が置かれる。そして晃弘さんは「この女たらしが!」と唐突に先生へ罵声を浴びせた。
「……なあ晃弘、さっきからやたら俺を敵視してないか。俺何かしたか?」
晃弘さんの梨奈さんへの想いに気づいてないのか、原田先生は事情も掴めないまま切なげに問う。晃弘さんは偉そうに人差し指を向けながら答える。
「さっきからどころか、オレはずっと前から先生を敵だと見なしてるんだ! しかも梨奈の初恋を奪った男ときた。そんなの敵視するしかないだろ!」
「好きなのか、梨奈が」
「そうだ。だからめちゃくちゃ嫉妬してるんだよ!」
清々しいほどに駄々をこねる晃弘さんを、原田先生はどう扱っていいか分からないようだった。
やっと出てきた言葉は「おい、誰か晃弘を何とかしろ」という一言で、こちらに全て丸投げされる。こっちも対応に困っていたところなんだけど。
どうすればいい? 晃弘さんの精神状態を元に戻すには――って、なんで帰し方駅へ行く前からメンタルケアをしなきゃいけないんだ。晃弘さんがこうなったのは原田先生のせいなのに。
と、理不尽に感じてきて思考を放棄する。そして、わたし以外の誰かが最善の言葉を見つけてくれるだろうと期待を込め、刻鉄研究会の面々を見回した。
咲良は小さく唸りながら考える素振りをしている。一方、由幸さんは無関心そうに頬杖をついてグレープフルーツジュースを飲む。
咲良と同様に、遼司さんのことだから晃弘さんのために思考しているかと期待したけれど、何だかそわそわしていて心ここにあらずという風だった。
……ダメだ。咲良以外まともに考えてくれそうもない。わたしも仕方なく思考回路を巡らせた。
新しく発想するのは面倒だから、過去の言動を振り返って晃弘さんを救えそうな言葉を探す。
放課後の初対面時から、ラルゲットの個室で依頼内容を聞いた現在までを振り返る。するとある結論に思い至った。
――晃弘さんが梨奈さんの身代わりになるなら、梨奈さんの小学生時代の記憶からは犯人どころか原田先生の存在も消えるはずだ。
それじゃあ……
「もし晃弘さんが事件の被害者になったら、梨奈さんは犯人とも原田先生とも出会わないですよね。なら梨奈さんが原田先生に惚れることはなかったことになるんじゃないですかね」
「あ、そうか! そうだよな!」
わたしの推測に、晃弘さんは嫉妬心に燃えていた目を輝かせる。
「はっは! 残念だったな、先生。梨奈の初恋相手になれなくて!」
「はぁ、調子の良い奴め……」
原田先生は疲れきったようなため息をついた。
「そういえば、先生さっき『気になることがある』って言ってましたけど、それって何なんですか?」
思い出したように遼司さんが話題を変える。いや、さっきの反応を見るに、早くその話を切り出したくてしょうがなかったものの、晃弘さんと原田先生のやり取りに決着がつくまで待っていた、といったところだろうか。
「ああ。梨奈を助けた日の記憶に違和感があってな。何というか、他人の記憶を外から覗いてるような感覚で……とにかく、そんなふうに記憶してるから本当に自分が経験した記憶かどうか、当時どんな感情だったか曖昧なんだ。せっかくの機会だしそれを確かめたい」
「自分が経験した記憶かどうか曖昧って……その時は別人格の先生でも表に出てきて行動したりしてたんですかね?」
「まさか。漫画じゃあるまいし」
咲良の少し現実離れした妄想を、原田先生は鼻で笑い一蹴した。わたしは先生の話に即した、合理的な妄想だと思うけれど。
由幸さんも咲良に便乗する。
「えー、その説面白いから切らないでくださいよー」
「切らないと俺が異常者みたいになるだろ。ほら、くだらない話してないでもう行くぞ」
「はーい」
原田先生が促すと、先輩たちは残りのドリンクを飲み干し、鞄を持って立ち上がる。夏の時代に行くからか由幸さんはブレザーを脱ぎ、晃弘さんはいかにも重たそうなスポーツバッグは椅子の下に置いたままだ。
「ん? 美亜と咲良は行かないのか?」
椅子にくつろいだまま彼らを見送ろうとするわたしたちを、原田先生は訝る。
「犯罪者に会うのは怖いので、わたしたち今日はパスします」
「そうか。賢明な判断だな」
そのウーロン茶はまだ口につけてないからやるよ、と言い残して、原田先生は個室を出ていった。続いて晃弘さん、由幸さん、遼司さんの順で入口へ向かう。
「き、気をつけて行ってきてくださいねー」
咲良がそう呼びかけると、最後尾の遼司さんはちらりとこちらを向いて「分かってるさ」と言うように微笑み、小さく手を振った。
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