26.計画

「――梨奈は小5の時、ある女子大生と仲良くしてたんだ。友達にも親にも内緒で。そしたらそいつに騙されて、夏休み前に暗くて狭い廃倉庫に閉じ込められてよ。それがトラウマで、梨奈は暗い場所とか狭い場所にいられなくなったんだけど……」


「監禁事件に巻き込まれちゃったのか、可哀想に。晃弘はそれをなかったことにするために、帰し方駅へ行って事件を止めたいってわけだ。いやぁ、愛する人のために自ら危険を冒そうとするなんて健気だねぇ」


 遼司さんは感心しながらもニヤニヤと微笑む。一方、晃弘さんは息を飲んで口を固く結ぶ。


 ひょっとして、わたしたちはとんでもないことに巻き込まれてるんじゃないだろうか。帰し方駅で犯人と遭遇するのは嫌だな。


「い、いや! べ、別に梨奈のことが好きだから助けたいってわけじゃねぇよ! オレはただ梨奈の行動範囲を広げて、梨奈が自由にいろんな所に行けるようにしたいってだけで!」

「はいはい。そういうことにしておくよ」


 晃弘さんの顔はたちまち火を噴いたように赤く染まり、音を立てて椅子から飛び上がる。遼司さんはまだからかいたそうだったけれど、本題からずれるのを避けてか早々に切り上げた。


 お待たせしました、と柊さんが暖簾をくぐってストローとドリンクを持ってくる。


 全員にドリンクが行き渡ると、晃弘さんは感情をリセットするかのようにストローでコーラをぐびぐび吸い込んだ。九分目までコーラが注がれた細長い円筒のグラスは、わたしがレモンティーにシュガースティックを流してる間に半分になる。


「それにしても、なんでまた急に今依頼をしたんですか? 梨奈を助けるチャンスは前から何度もあったはずなのに」


 柊さんが個室から出ると同時に、由幸さんはグレープフルーツジュースを飲みながら晃弘さんを詰める。晃弘さんはバツが悪そうに目を逸らした。


「だって相手が女とはいえ、1人で犯罪者がすぐそばにいる時代に行くのは怖いし」


 どうやら晃弘さんは正義感は強いものの、無鉄砲な人ではないらしい。ちゃんとしてそうな人でよかった、と咲良がわたしにこっそり囁き、幸せそうにメロンソーダを吸う。


「……それに、さっきはあんなことを言っておいてアレなんだけどよ、恥ずかしい話高校に入ってからその感情をずっとんだよ。最近になって梨奈が『プラネタリウムに行きたい』って言い出すまで」

「プラネタリウム? 暗くて狭い場所がダメなのに行きたがってるんですか?」


 今度はわたしが問う。梨奈さんの過去を聞いた手前、どうしても突っ込まずにはいられなかった。


「そうなんだよ。あの事件があってからも、梨奈はお化け屋敷やら映画館やらに行こうって誘ってきたんだ。元々『秘密基地みたいで楽しい』とか言って暗い場所も狭い場所も好きだったからかもだけど。でも、当然そのたびに事件を思い出しちまって、入った瞬間に怖くなって抜け出すってのがお決まりのパターンだった」


「不思議ですね。ずっと記憶に残り続けそうなのに、晃弘さんも梨奈さんも忘れちゃうなんて」

「ああ。しかも2人して実際にそういう場所に行くまで記憶から抜け落ちてるんだぜ。ったく、なんでこんな大事なことを忘れちまうんだよ!」


 晃弘さんは悔しそうに頭を抱える。そこに、遼司さんがカルピスに浸ったストローを噛みながら、のんきな調子である考察をした。


「それは多分、暗くて狭い場所っていうのが非日常な空間だからじゃないかな。例えば学校でのいじめがトラウマで、今はいじめがなくても教室に行くたびにまたいじめられるんじゃないか常に不安だっていうのと比べたら、トラウマを気にする頻度は変わってくるだろ」

「そういうもんなのか?」


「晃弘と梨奈ちゃんが実際にそう経験してるんだから、俺は一理あると思うな。まあ、過去さえ変えちゃえばそんなこと考える必要もないけどさ。ちなみにどうやって過去を変えようとしてるの?」


 遼司さんが促すと、晃弘さんはよっぽど自信があるのか誇らしげな顔で答えた。


「作戦はずばり、オレが6年前の自分に憑依して梨奈の代わりに犯人と仲良くなること!」

「標的を自分に向けて梨奈ちゃんに手出しさせないって策か。いいね!」

「単純に梨奈と一緒に行動して、犯人と接触しないよう犯人につけ入られる隙を作らないって安全策でいったほうがよくないですか?」

「チッチッ、分かってないなぁ」


 由幸さんの反論に、晃弘さんは人差し指を左右に揺らす。


「それだと一生あの時代の梨奈についてなきゃいけねぇじゃんか。帰し方駅にずっといると時の使者に消されるんだろ? だったら一時的に犯人と接触したほうがマシだ」

「……ああ、確かにそっちのほうが効率的ですね」


 由幸さんはうなずく。これで犯人と接触せざるを得ない状況をこちらで生み出すことが確定してしまった。


「で、この作戦を実行するのに刻研が見守ってくれるだけでもだいぶ心強いんだけど」

「分かった。任せてよ」

「え、わたしは嫌ですよ。犯罪者がすぐそばにいるっていう危険すぎる状況なんて」


 今回ばかりは帰し方駅に行く気になれなくて、つい言葉を選ぶ暇もなく率直な感想を放ってしまう。


「あ……あたしも嫌です」


 普段は都市伝説に興味津々な咲良でさえも、控えめに抵抗を示す。


 刻鉄研究会に入ってるのに情けない、と思われただろうか。という懸念があったけれど、意外にも遼司さんと由幸さんは優しかった。


「そうだね。普通は犯罪者と遭遇するの怖いよね。今日は2人ともパスしていいよ」

「犯人と接触確定なのにわざわざ帰し方駅に行く馬鹿は男だけで十分だよ。問題は原田先生が許可をくれるかどうか……」

「は? なんで原田が関わってくるんだよ?」


 由幸さんが原田先生の名前を出した途端、晃弘さんは目を細めて不審がる。


「なんでってそりゃ、原田先生が刻研の管理者だからだよ。先生の許可が下りないと刻研は帰し方駅に行けないんだ」


 遼司さんが説明しても、晃弘さんの表情は険しいままだ。


「今は校外にいるんだし、こっそり行くんじゃダメなのかよ?」

「先生はただの管理者じゃなくて用心棒でもあるんだよ。時の使者と渡り合えるくらい強いんだ。な、メリットしかないだろ?」

「初恋相手に似てるからって理由で梨奈に惚れられてるっていうデメリットがメリットを大きく上回るけどな」


 そういえば、梨奈さんは原田先生と仲が良いんだった。そりゃあ嫉妬心や敵対心くらい抱くだろう。


「そうやって卑屈でいると、いつまで経っても欲しいものは手に入らないんじゃないの。ここはむしろライバルをとことん利用してやるって気概でいかないと」

「でもそしたら余計に原田に勝ち目が出るんじゃ――」

「じゃあ原田先生を呼ぶから」


 遼司さんは晃弘さんに反論の余地を与えず、通話画面が表示されてるスマホをテーブルに置く。スピーカーモードをオンにして。


 2コールで〈もしもし?〉と原田先生の声が個室内に響く。


「あ、もしもし緋山ですー」

〈断る〉

「え、まだ何も言ってないじゃないですか!」


 わざわざ遼司さんが電話をしてくる、という時点で厄介事だと察したんだろう。しかし、〈……一応話だけは聞こう〉と原田先生は呆れながらも容認した。


「ちょっと6年前に起きた監禁事件に巻き込まれに行こうかと思ってるんですけど」

〈は? どうしてまた〉

「その事件、梨奈ちゃんが被害者になってるんですよ。それで暗い場所とか狭い場所がトラウマらしくて。だから晃弘に身代わりになってもらって、梨奈ちゃんが被害者になった過去をなかったことにしようと思いまして」

〈ふうん。それを遼司たちや俺が手伝うわけか〉

「はい。まあ僕らは事件が終わるまで見守るだけなんですけど」

〈そうか。やめとけ〉


 遼司さんが計画の概要を話し終えるとすぐに、スマホからそう諌める声が返ってきた。


「なんでだよ!」と晃弘さんは責め立てる。


〈確かに、その作戦なら梨奈を救える可能性は高い。? そういう策が出るくらいだ、特に何のリスクもなく事件を終わらせられると思ってるんだろうな。だけどよく考えてみろ。こっちの予想以上に凄惨な現場で、晃弘までもがトラウマを抱えるかもしれないぞ〉


 感情を露わにする晃弘さんに対して、原田先生は極めて冷静だった。


 晃弘さんは先生が想像した最悪のシナリオに一瞬たじろぐ。しかし、警告を受けても彼は諦めなかった。


「そ、そこまで心配することじゃないだろ。オレだってもう高校生だし」

〈どの歳だろうと、事件の被害者になれば少なからずショックを受ける。そんな想像もできずに他人をただの監視役として帰し方駅に連れていって、自分だけに負担をかけるような愚か者には手は貸さない〉


「じゃあ刻研とも負担を共有すればいいのかよ? オレが受けるショックを最小限に抑える努力をしてくれるって言うのか?」


 晃弘さんが挑戦的に言い放つ。するとふっ、と短い吐息のくぐもった音が聞こえた。何だか原田先生が笑ってる気がした。


〈つまり、監禁されたらとっとと外に出せってことか。どうせ鍵がかかってるんだろ。俺には監禁場所の鍵もピッキング技術も持っていないがどうする?〉

「いいや、梨奈が閉じ込められた廃倉庫の鍵は壊れてて、犯人の女子大生は両開き扉の取っ手に厳重にワイヤーを巻きつけてた。で、それを通りすがりの男子大学生が解錠して――」

〈おい、場所はどこだ?〉


 不意に原田先生の声色が変わる。どこか焦りを覚えたような声に戸惑いながらも、晃弘さんは「……西夜環町にしよわまちだけど」と答えた。


〈分かった。すぐに合流しよう〉

「え?」


 わたしたちはどよめく。さっきまで帰し方駅に行くのを渋ってた人が、急に手のひらを返すなんて。原田先生らしくない。


「ど、どうしたんだよいきなり。怖いんすけど」

〈ちょっと気になることがあってな。あと晃弘が言ってた男子大学生――そいつはだ〉

「はぁ!?」


 とスマホに怒号を飛ばすと、晃弘さんはなぜか今にも椅子から滑り落ちそうなほどに脱力した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る