25.ラルゲット
それは、刻鉄研究会でテスト結果の一件があってから4日後のことだった。
咲良と昇降口を出て、遼司さんと由幸さんの姿を探す。昼休みに〈放課後用事がないなら外で刻研の活動をやるから昇降口に来てね〉と遼司さんから突如招集をかけられたのだ。
6月手前に差し掛かり、天気予報で午後から気温が高くなると言っていたから、今日はブレザーを着ずに学校へ来た。咲良もその1人だ。最近はワイシャツやブラウスの眩しい白が校内で目立っている。
「あ、おーい! こっちこっち!」
左から由幸さんの声が聞こえてきて、そちらを向く。視界に入った生徒たちの中で、まだ暑くないのか唯一ベージュのブレザーを着ている由幸さんと、他に自転車を持った2人――遼司さんと長身でガタイの良い男子生徒が待っていた。シルエットの大きさにドキッとしたけれど、優しそうな顔をしているから恐怖が和らいだ。
彼は自転車のカゴに通学用鞄を入れ、荷台にスポーツバッグを括りつけていた。
「こんにちはー」
挨拶をしながら、先輩たちのもとへ駆け寄る。ふと横を見るとそこに咲良はいなくて、どこにいるのかと後ろを振り返ったら、何かに警戒するように重たい足取りで歩いていた。
「どうしたの、咲良ちゃん。元気ないみたいだけど」
遅れてこちらへやって来てしれっとわたしの背後に隠れる咲良に、遼司さんが心配そうに声をかける。咲良はうつむきがちにわたしの横に並んで答える。
「い、いえ……別に何でもありません……」
「あ、もしかして
遼司さんは「晃弘」という名前らしい隣の体格が良い男子生徒を指差す。咲良が彼を一瞥して控えめにうなずくと、遼司さんは笑いだした。
「あはは、大丈夫だよ! 晃弘はでかいけど中身は乙女だから!」
「うるせぇ! 余計なこと言うんじゃねえ! ……あ」
2人は親しい間柄なのか、晃弘さんは荒々しい口調で遼司さんに突っかかる。そして、「しまった」という表情を浮かべておそるおそる再びわたしの背後に身を寄せた咲良を見やる。
「ご、ごめん! 勢い余ってつい……」
「もう、気をつけてよね。ほら、全員揃ったし行くよ」
元凶が何を言ってるんだか……そういえば、外で刻鉄研究会をやるそうだけど、どこでやるのかまでは聞いてない。
「行くってどこにですか?」
「学校の近くにある『ラルゲット』っていう喫茶店。美亜ちゃんも咲良ちゃんも電車通学だし、いつも通ってるでしょ」
「ああ、確かにありますね」
正門から出て5分ほど歩くと、赤茶色の木目調の外装と、入口側の壁一面がガラス張りになっている2階建ての建物へ着く。
2階は黒い壁と屋根に覆われていて、ベランダには服やタオルが干されている。どうやら居住空間となっているようだ。
遼司さんと晃弘さんは自転車を駐輪場に置くのを待ち、ラルゲットのドアを開ける。カラン、とドアの上についてる小さなベルが鳴った。
暖色の照明が降り注ぐ白と黒を基調とした店内に、サックスがメインのジャズが流れている。
「いらっしゃいませー。5名様ですかー?」
明るい茶髪の女性店員がわたしたちを出迎える。
店内にはデザートを食べる親子連れや、カウンター席で新聞を広げている白髪の男性客、さらにドリンクを片手に教科書とノートをテーブルに広げ勉強している星霜高校の生徒3人がいた。
たまに昼休みにラルゲット前のコンビニへ買い物に行くと駐車場に車がたくさん停まっているのを見るけれど、もうピークは過ぎたようだ。
「勿忘草のハーブティーが欲しいんですけど」
開口一番、遼司さんが席に着く前からオーダーを入れる。
初めて聞くハーブティーだ。まるで刻鉄の車体の水色を「勿忘草色」と公式が呼び、帰し方駅の隠語として「勿忘草畑」という言葉を使うこともある刻架市のために作られたようなお茶だ。
遼司さんの注文に、女性店員は神妙な顔でうなずいた。
「はい、かしこまりました。それではこちらへどうぞー」
彼女はわたしたちを奥へと連れていき、ルームプレートのついてない、この先に何があるかも分からない花と蔦と葉の模様が彫られたおしゃれな茶色のドアを開ける。
次に、せいぜい2列でしか歩けないほど狭く短い通路を渡って突き当たりまで行く。無地の紺色の
普段使われてないのか、電気は点いてない。そのせいで中は薄暗いものの、ここが6人がけのテーブル席が2席あるだけの簡素な部屋であることは認識できた。
「この個室をご利用の際には、必ず1人1ドリンクご注文していただく形になります。ご注文が決まりましたら、注文票にご記入ください。ピーク時でなければ呼び出しベルを押すと店長が対応しますので、ぜひお気軽にお呼びくださいー」
女性店員は電気と空調の電源を入れたらすぐに部屋を出ていった。
わたしたちは席に着く。壁際の席に座ったから、壁とブックスタンドに挟まってるメニュー表をテーブルに広げ、ボールペンと縦型の小さな卓上ボックスに何十枚と入ってる注文票を手に取る。
「……何なんですか、ここは?」
早速注文票にアイスレモンティーの注文番号を書き込んでそう問いかけると、遼司さんはニヤリと企み顔を浮かべた。
「ラルゲットの裏メニューの『個室プラン』ってやつだよ。合言葉を言うとこの個室に連れてってもらえるんだ。友達と密談するもよし、都市伝説の話をするもよし。完全予約制、先客がいなければ遅くても5分前に予約を入れてもオッケー、料金1回2000円、1人1ドリンク制の時間無制限! 2000円は活動費から出るけど、ドリンク代は割り勘だからね」
「なんで今日はわざわざこんな所で刻研をやるんですか?」
今度は向かいの席で咲良が尋ねる。
「晃弘がどうしても梨奈ちゃんに内緒で頼みたいことがあるんだってさ。ほら、梨奈ちゃんってよく旧資料室前の廊下にいるだろ? だから旧資料室じゃ晃弘の思惑が即バレるんだよ。まあ、俺もまだその思惑ってのを知らないけどさ」
というわけで依頼内容を話してくれよ。遼司さんは促す。ついでに「俺はカルピスで」と付け加えて、わたしは注文票に書き込む。彼の隣で咲良も「あたしメロンソーダにしようかな……」と呟いたから、続けて書く。
「由幸さんと晃弘さんはどうします?」
「オレはコーラでよろしく」
「僕は……もうちょっと考えるよ。紙とペン、こっちにちょうだい」
「はい。どうぞ」
注文票とボールペンを左へスライドさせて、由幸さんの前に移す。
由幸さんがメニュー表と睨めっこをしながらあれもいいな、いやこれもいいなと吟味している横で、それで依頼のことなんだけど、と晃弘さんは話を切り出した。
「梨奈のある過去をなかったことにしてほしい」
「過去をなかったことに?」
遼司さんは前のめりになって晃弘さんの意味深な話に食いつく。一方、「よし、決まった!」と由幸さんがマイペースに真ん中の席から手を伸ばして呼び出しベルを押す。
すると、十数秒ほどで暖簾の向こうからお盆にお冷とお手ふきを乗せて、眼鏡をかけた小柄な男性がやって来た。深緑色のエプロンを着て、「店長
彼はお盆をテーブルに置き、丁寧に挨拶をする。
「いらっしゃいませ。今日も依頼があってここにいらしたんですか?」
「はい、そうなんですよ。あ、紹介しますね。今年刻研に入った中谷美亜ちゃんと新島咲良ちゃん、それでこっちが依頼人の
遼司さんが新顔を順々に紹介すると、「私は店長の柊です。皆さんよろしくお願いします」と柊さんから返ってきた。彼に合わせて、こちらも会釈をする。
「それにしても、刻研がここを使うなんて去年の夏以来ですよね。そういえば今はちょうどテストが終わった時期ですけど、また赤点でも取ったんですか?」
柊さんが純粋な目をして問う。まさか活動禁止期間中に招集をかけたのか。
近場だから晃弘さんと一緒にお冷とお手ふきを全員に配って、誰よりも先にお冷に口をつけていた由幸さんが急にむせた。
「ちょっと柊さん、人聞きの悪いことを言わないでくださいよ! 人は失敗から学ぶ生き物なんですから、もう赤点を取るわけないじゃないですか!」
「今回も赤点ギリギリだったくせによく言うよ」
「結果的に取ってないからいいんですよ!」
「そうでしたか。それは失礼しました」
と謝罪はしてるものの、柊さんは由幸さんと遼司さんのやり取りを見て静かに笑っていた。声を出したそうに肩を震わせていたけれど、接客中だからか自重しているようだった。
「それでは注文票を確認させていただきますね。えーと、アイスレモンティーとカルピスとメロンソーダとコーラとグレープフルーツジュースですね」
「はい。お願いしまーす」
由幸さんから手渡された注文票とお盆を回収して、柊さんは去っていった。
「活動禁止中でも刻研をやってたんですね」
咲良は柊さんが言ってた話を掘り返す。すると由幸さんは露骨にうんざりそうな顔をした。
「えー、まだその話するの? ……あの時はたまたま依頼が来たから、刻研をやらなきゃいけなかったんだよ」
「だけど旧資料室の鍵は原田先生がずっと持ってて入れなくて、それでこの部屋を使ったんだ」
原田先生に対しての隠密行動は二度と御免だよ、と遼司さんは嫌味ったらしくため息をついて肩を竦める。あの一件では、相当由幸さんに恨みを持ってるようだ。
まあ恨まれても無理はない。少しの努力もしなかったのが悪いんだから。
「ほらほら、そんな昔の話より今は晃弘さんの話を聞くほうが大事でしょ。ですよね、遼司さん!」
由幸さんは自身の不都合な過去を隠すように、半ば無理やり話題を塗り替える。遼司さんは苦笑しながらもうなずいた。
「そうだね。晃弘、過去をなかったことにしたいってどういうことだい?」
「ああ。オレは梨奈の記憶から、女子大生に廃倉庫に監禁されたって過去を消したいんだ」
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