30.動機

「なんでこんな所に原田先生が?」


 梨奈ちゃんは首を傾げる。


 どういうことだ? 小学生の梨奈ちゃんは、大学生の原田先生しか知らないはずだ。それなのに、彼を「先生」として見ている。


 早く廃倉庫から出してあげなきゃいけないんだろうけれど、俺たちは呆然と立ち尽くす。


「それに晃弘もいるじゃん! うわぁ、この頃はちっちゃくてかわいいなぁ」

「この頃って……おい梨奈、何言って――」

「あ、由幸と遼司さんも!」


 戸惑いがちに声を上げる晃弘の言葉を遮り、梨奈ちゃんは事件の被害者とは思えないほど溌剌はつらつと、俺と由幸くんの名前も呼んだ。


「え、なんで僕たちのことも知ってるの!?」


 由幸くんが俺の気持ちも代弁するように驚嘆する。


 ひょっとしてこの梨奈ちゃんは――


 今回は人捜しが目的じゃないから、星影は気にしてなかった。ちゃんと意識してみると、確かに彼女のもとに星影が浮かんでいた。


「君も帰し方駅に来たんだね」


 確信を持って、俺は尋ねる。梨奈ちゃんはおもむろに微笑んだ。


「はい。そっちも同じなんですよね」

「そうだよ。ちょっとした事情があってね」

「私もどうしてもやりたいことがあったのでつい」


「それがこれか?」


 俺と梨奈ちゃんの穏やかな会話を切り裂くような原田先生の厳かな低い声が、薄緑色の床の底へ沈む。


 軽蔑してるような心配してるような。苛立ってるような悲しんでるような。この一言には、そんな複雑な含みがあるように聞こえた。


「そうですよ。だって暗所恐怖症とか閉所恐怖症とか、いつかは必ず克服できなきゃいけないじゃないですか。じゃなきゃやりたいことも満足にできませんし」

「だからって……わざわざもう一度事件に巻き込まれに行くことはなかっただろ。命がかかってるのに、あまりにも危険すぎる」

「危険なんかじゃないですよ! だってここに閉じ込められても、絶対に助けが来るって分かってるんですから!」

「でも、当時の梨奈を助けた俺と、今回の未来から来た自分に憑依されてる俺は違う。もし今回の俺がここを無視してたら、今頃どうなってたか……」


 原田先生は親が我が子を諭すようにまくし立てる。


 ついでに、梨奈ちゃんは梨奈ちゃんで今回は内側から何も助けを求めなかった。そんなことをしたら尚更、原田先生がいなかったら誰からも助けられなかったんじゃ……


「……すいません。そこまで考えられてなかったです」


 ここまで言われるとさすがに懲りたようで、梨奈ちゃんはしゅんとうなだれる。が、何かに突き動かされたようにすぐ顔を上げた。


「あれ、先生、本当にあの時助けてくれた大学生なんですか?」

「ああ。だからそう言ってるだろ」

「えー! じゃあ私たちは運命的な再会を果たしたってことですか!」


 湿っぽい空気はどこへやら、梨奈ちゃんは太陽のような笑顔を浮かべる。結局原田かよ、と晃弘が不貞腐れてぼそりと呟いた。


「ん? 晃弘何か言った?」


 その声は梨奈ちゃんにも届いたらしく、晃弘は誤魔化す。


「いや、別に何も……」

「ていうか、そっちはなんで帰し方駅に来たの?」


 梨奈ちゃんにそう問われると、晃弘の小さな頬が赤く彩られた。


「……り、梨奈とだいたい同じ理由だよ! オレも梨奈のトラウマをなくしたくて……でも、自分が梨奈の代わりにここに閉じ込められようと過去を変えようとしたけど失敗して、それで梨奈が監禁されてる時間をできるだけ短くしようってなって今があるって感じだ」


「ふうん。じゃあ私と犯人の関係とか、刻研はもう全部知ってるんだ」

「まあね。それにしても、梨奈の目的がトラウマの克服なら普通に現代でもできそうじゃない? お化け屋敷に入ったりしてさ」


 由幸くんは不思議がる。さっき原田先生も言ってた通り、帰し方駅に来ずともいくらでもやりようはあったはずだ。


 ラフな感じの由幸くんに対して、梨奈ちゃんは神妙な面持ちでいた。


「あー、それはね、他にも気になることがあって――」

「どうして開いてるの?」


 不意に、背後から聞き慣れない陰気な女性の声がした。いや、聞いたことがある。廃倉庫裏で微かに聞こえた、梨奈ちゃんを監禁した犯人の声だ。


 唯一入口のほうを向いている梨奈ちゃんの目がキッと鋭くなる。臨戦態勢の彼女に触発されるように振り返ると、やはりそこにはストレートロングの髪を重たそうに垂らす伏見香菜子の姿があった。


「それにどうして裕也がいるの? 知らない高校生や小学生もいるし。なんでこんなことになってるの?」


 伏見香菜子は焦りと怯えを湛えた声色で疑問をぶつける。ただ、表情からそれらの感情は読み取れない。


 原田先生は適当な理由をこじつけた。


「たまたま見かけたんだ。お前がこの子をここに閉じ込めてるのを。で、たまたま近くにいた高校生とこの子の友達とであのワイヤーを切って扉を開けた」

「……何それ。私の計画が全部台無しじゃない! この子を殺そうと思ってたのに!」

「お前――」

「あ、おいやめろ!」


 晃弘が伏見香菜子へ飛びかかろうとするのを左腕で受け止め、さらに右腕を彼の背中に回し抱え込む。厄介だ。由幸くんの予想が当たってしまった。


「何をするんだ、離せ! オレはあいつに1発かましてやらないと気が済まないんだ!」

「電車に乗る前に言ったことを忘れたのか? 自己犠牲はダメだって!」

「でも……!」

「あっちが何をしてくるか分からないんだ。例えば刃物をこっちに向けてくるとか……」


 そう警告しながら、伏見香菜子のほうを見やる。


 案の定、彼女は逆手で小型ナイフを持っていた。どこか不自然な構えだ。ナイフを握る右手は自らの顔の前にある。闘争心を抱きつつも、敵からの攻撃を恐れて身を守るように。


「わ、私に手出しするなら刺すわよ」

「ひぃ怖い」


 由幸くんは廃倉庫の端へそそくさと逃げる。凶器を見た恐怖で、というよりはこの時代に来る前から続く緊張感ある空気から抜け出したかったようだ。


 そういえば、原田先生は「伏見香菜子は男尊女卑が激しい」と言っていた。今も男である俺たちを、小学生の晃弘をも恐れているんだろうか?


 それなら下手にこちらに手出しはできないんじゃないか。謎に包まれた伏見香菜子の本当の犯行動機を知れるチャンスじゃないだろうか。


「あの、あなたはなんでこの子を閉じ込めるようなことをしたんですか?」


 変に刺激しないように、限りなく丁寧な口調で俺は尋ねる。こいつはまた、と原田先生が呆れてる。先生の感情の機微には気づかないまま、伏見香菜子は右腕を首の辺りまで下げて答えた。


「嫌気が差したのよ。勉強もバイトも人間関係も何もかも上手くいかない、自分の最低な人生に。そこで裕也が偉んだあの女と同じ笑顔で笑う餓鬼を見つけたから、ムカついて殺したかったの」

「梨奈がこんな目に遭ったのははら……大学生の兄ちゃんのせいだって言うんだな?」


 また晃弘が首を突っ込む。今回は冷静だけど、この質問に伏見香菜子がどう反応しようが殴り込みに行きそうな気配がするし、心苦しそうにうつむく原田先生がこれ以上傷つけられるのも気分が悪い。


 彼女が言葉を発する前に、俺は6月の帰し方駅で考えた推理を披露する。


「だったら出会ってすぐに監禁すればよかったじゃないですか。この子から聞きましたよ、あなたとは1ヶ月ほど前から一緒に遊ぶ仲で、ついさっき裏切られたって。普通、ストレス発散で1ヶ月もかけて信頼を得て最後に裏切る、って綿密な犯行計画を立てる労力を使いますかね? 実は『ストレス発散』ってのは建前で、他に動機があるんじゃないですか?」


「いいえ。私はどんなに時間がかかっても、人が大きな絶望に打ちひしがれる様を見たかったわよ。そこで得られる快楽は、何よりもストレス発散になるわ」

「たかが不幸が重なっただの振られただのって理由で犯罪を犯すなんて、ばっかみたい」


 梨奈ちゃんも前のめりで伏見香菜子に追い討ちをかける。自分より立場が弱いと思ってる人間に罵倒されて、彼女は無表情な顔を般若のように歪め、ナイフの刃先を梨奈ちゃんに向ける。


 まずい流れだ。原田先生が気を取り直して約3メートルの距離を保つ2人の間に半身を入れるくらいに。晃弘も彼女のそばに駆け寄る。


 しかし、梨奈ちゃんは動じることなく主張を続けた。


「あんたは時の使者だから、私が春に帰し方駅に行って時の使者に人が消されるのを見た罰で殺そうとしたんでしょ! 知られたらまずい記憶なんでしょ!」


 ……え? 伏見香菜子が時の使者?


 春に帰し方駅に行って6月に伏見香菜子に接触されて7月に事件が起きる――時間警察に襲われたと仮定した場合の時系列に矛盾はない。ただ、経験上掃除屋に人が消されるのを見ただけで時間警察に襲われるとは思えない。


 でも、案外そういう理由で奴らは人を殺すのかもしれない。


 それに時間警察だからという理由のほうが、犯行動機としてもまだ納得できる。


「そんなの知らない」


 俺や梨奈ちゃんの期待とは裏腹に、伏見香菜子は冷たく切り捨てる。


 なんだ、違うのか。じゃあ本当にストレス発散が犯行動機なんだ。道理で梨奈ちゃんに「馬鹿みたい」と言われてキレたわけだ。


 ふと、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。音はだんだん大きくなっていく。


「警察を呼んできましたよ」


 戦線離脱していた由幸くんが戻ってきて、原田先生に借りたスマホを返す。さてはこっそり通報するためにわざと逃げたな、さすがだ。


「そう……私はもう終わりね」


 カラン、と伏見香菜子の手からナイフが落ちる。


「もう行きますか」


 伏見香菜子に聞こえないように由幸くんは囁く。事情聴取はこの時代の原田先生たちに任せよう。


「香菜子。たとえ自分のせいでこの子が殺されそうになったって未来を知ってたとしても、俺はお前とは付き合わないからな」


 外に出る間際、原田先生がとどめを刺す。伏見香菜子は膝を折って両手で顔を覆う。小さな手じゃ覆いきれない嗚咽が、廃倉庫内にこだました。


 泣きじゃくる彼女を残し、俺たちは廃倉庫を後にして現代へ帰った。


 ***

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