35.噂話
「どうしてまた帰し方駅に行かなきゃいけないんだ」
学校から鏡後駅へ向かう道中、うんざりした顔で原田先生が深いため息をつく。
放課後に咲良と旧資料室へ行くや否や、既に待機していた由幸さんが「さあ花村結生を助けに行こう!」と颯爽と出てきて、わたしたちに旧資料室へ入る余地すら与えず開け放たれたドアを閉め、物理準備室で仕事に手をつけようとしていた原田先生も呼び出して今に至るわけだけど……先生の足取りはかなり重たそうだ。遼司さんは図書委員の当番と進路相談があるらしく、今回は不参加だ。
一方、由幸さんは花村結生の大ファンだといい、やる気満々だ。にもかかわらず、なぜ週明けの月曜日ですぐ行動に移さず、火曜日に助けに行くと提案したのか少し引っかかっていた。由幸さんが原田先生に喧嘩腰で話しかけるのを横目に、そう考える。
「そんなの花村結生を現代に連れ帰すために決まってるじゃないですか。それとも、先生は花村結生が心配じゃないって言うんですか?」
「由幸ほどは心配してないな。どうせしれっと帰ってくるだろ」
「随分悠長に構えてますね。僕なんか報道された翌日から3日3晩ショックで寝込んでたっていうのに!」
なるほど、昨日何も言わなかったのはそういう事情があったのか。まさか体調不良になるほど花村結生に思い入れがあったとは。
とはいえ、わたしも花村結生の帰りを待っている1人だ。原田先生のように楽観視はできない。
「わたしには花村結生が自力で帰ってくるとは思えないです。だってもう4日経ってますよ?」
「そうですよ。花村結生に何があったか知らないですけど、第三者の助けが必要なのは間違いないですよ!」
「学校関係者じゃない人間のために刻研が体を張る理由はないと思うけどな」
「あー、花村結生がいない世界で生きるなんて気が狂いそうだ困ったなー……これで刻研が動く正当な理由になりませんか?」
ふざけた調子で冗談ではないであろう悩み事を棒読みで吐露する由幸さんの理論に、原田先生は仕方ないなとまたため息をついた。
「その人、本当に帰し方駅に行ってるんですか? 美亜ちゃんも由幸先輩も先生も覚えてるのに」
若干蚊帳の外だった咲良がようやく口を開き、首を傾げる。初めにその疑問に答えたのは由幸さんだった。
「花村結生みたいに知名度が高い人の存在は消えるまで何日かもつんだよ。帰し方駅に行ってるかどうかは……まあこの目で確認しないと分からないんだけど、誘拐とか監禁とかされてるほうが心配になるから、帰し方駅に行ってたらいいなって思うよ」
「今まで2回も花村結生の説明をしたのに咲良は花村結生を覚えてなかったっていうのも、帰し方駅に行ってる根拠になり得ますよね?」
そう問いかけると、由幸さんは口をぽかんと開けて立ち止まる。わたしたちもつられて歩みを止めると、素っ頓狂な声を上げた。
「え、金曜日あんなに花村結生の魅力を伝えてたのに!?」
「そ、そうだったんですか。なんかすいません……」
「いや、いいんだよ。咲良さんに花村結生の魅力を伝えきれなかった僕が未熟だったんだ……」
「他にも根拠になりそうな情報といえば、地元の警察がまともに捜査してないだの、花村結生の家族が今回の事件に対して『うちに娘はいない』と言い張ってるだの、花村結生が市街地を歩いてたであろう時間帯のライブカメラに映ってないだの言われてるらしいな」
という噂話を垂れながら原田先生が歩き出したので、わたしたちは先生についていく。花村結生の捜索には乗り気じゃないのに意外と情報収集をしてるみたいだ。結局誰もが、芸能人の事件には興味があるものなのか。
「ちょっと、それどこ情報ですか!? ネットで花村結生のことを散々調べましたけど、そんな情報見なかったですよ?」
肩を落としてた由幸さんはいきなり何かに突き動かされるように原田先生を見上げ、顔を近づける。原田先生は鬱陶しそうに眉根を寄せるも、情報源を教えてくれた。
「……あるオカルト雑誌の記事だよ。そこの編集部に刻架観光したことがある人間がいて、そいつは当時『刻架には他とは違う異様な空気が漂っている』と感じたらしく、今回の花村結生の事件にも刻架という街が何かしらの影響を及ぼしてるんじゃないかと読んだんだ。それで実際に調べたら、さっきも言った通り不可解な現象が起きまくりだったってわけだ」
「なんだか花村結生の存在を消そうとしてるような気味が悪い記事ですね。警察がまともに捜査してないって話なんか、ただの主観にしか聞こえないですし」
ライターに仕事してないと思い込まれてる警察を気の毒に感じながら、わたしはオカルト雑誌に文句を言う。
それに、今まで聞いてきた噂話とは明らかに毛色が違う。わたしたちは花村結生の所在について考察をしていたけれど、その記事では花村結生を「もうどこにもいない存在」と確定させたそうに見える。
「気味が悪いのもそうだけど、本当に花村結生の家族に取材したかどうかも怪しくない?」
初めて聞いた情報に興奮していた由幸さんは、ふと冷静な口調で不思議がる。
「だってどこのテレビ局も花村結生の家族に取材できてないんだよ。テレビ局に許可しないなら出版社だってNGでしょ。まあ、家族から花村結生の記憶がなくなってるってのは事実だろうけどさ」
「記事の内容自体は否定しないんですか?」
咲良が訝しげに口を挟む。気に食わない記事だけど、帰し方駅のルールを詳細に知ってる人間からしたら、その内容に関しては安易に否定できない。
由幸さんもうなずいた。
「うん。囚われ人の存在は、最初に家族や親戚の記憶から消えるらしいからね。囚われ人のいない世界を日常にするために、世界はまず身内から手をかけるんだって。ほら、囚われ人の記憶が残ってたら一番面倒そうなのって身内だと思わない?」
「確かに……じゃあ、あたしが帰し方駅に行った時も家族はみんなあたしの存在を覚えてなかったってことですか……」
咲良の寂しげな声が地面に落ちる。気持ち分かるよ、悲しいよね、とかつて自分が囚われ人になった日に「美亜の家族も美亜を忘れてたんだよ」と陽菜乃に言われた時の感情を思い出しながら、咲良を慰める。直後に、でも最終的に全部元通りになったんだからよかったじゃん、なんて由幸さんが心ないことを言うものだから、わたしは「空気を読んでください」と半目だけで訴えた。
しかしわたしの小さな憤りは本人に伝わってなさそうなので複雑な感情を抱いている反面、被害者の咲良は気を取り直した様子で話題をオカルト雑誌へ戻した。
「あ。あたしも記事で気になったことがあるんですよ。ライブカメラって地面から結構高い所についてて個人の人間を特定するのは難しそうだと思って……人気女優なら帽子とかマスクとか着けて変装してるだろうから、余計分からないんじゃないですかね?」
言われてみればそうだ。市街地のライブカメラは人の姿を頭から映し出す。中学の社会の授業でライブカメラの配信を見た時、画角的に人の顔は全然映ってなかった。
それにしても、原田先生が持ち出した記事はなんて突っ込みどころが多いんだ。真実を追求しているわけじゃなくて、ただ単に注目してほしいだけのような……ゴシップ記事とはそういうものなんだろうけど。
「やっぱでたらめだってばれるよな」
原田先生は不意にネタバラシをして、思いがけずといった感じでクスリと笑う。
「なんだ、嘘だったんですか。道理で初耳だと思いましたよ」
由幸さんがほっと息をつく。そして、先生に毒を吐く。
「でも、なんてまたチープなデマを言ったんですか?」
「悪かったな。友達に高校で花村結生と同級生だった奴がいてな、そいつが花村結生の存在が消えないように噂話を考えてきたらしくて、それを学校で流行らせろって頼んできたんだよ。あまりにお粗末な作り話だったからさすがに学校じゃ言わなかったけど、由幸たちで試したらすぐにボロが出たな」
美亜も伊吹からそういう噂を流せって言われなかったか、と原田先生はわたしに問う。先生も伊吹くんと友達なんだっけ。あの嘘っぱちは伊吹くんが作ったのか。たった今、初めて知った。
「花村結生がいなくなってから伊吹くんと電話しましたけど、そんな話は特にしてないですね」
「そうか。高校生のほうが噂を伝播させるのは得意だし、てっきり頼まれてるもんかと思ったが……」
「わたしは噂を流すの苦手ですよ。信憑性が低いものをあたかも事実であるかのように説明できないし、自分にそこまで影響力があるとは思えないので」
「俺だって同じだ。なのにあいつはしょうもないことを頼んできて……まあ、何かと都合が良かったんだろうな」
そうして伊吹くんへ文句を言ってるうちに鏡後駅に着いて、わたしたちは電車に乗り込んだ。
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