34.行方不明
人気女優、花村結生が行方不明だと全国で報道されて4日が経った。
週明けの教室は花村結生の話題で持ち切りだったけれど、1日過ぎれば様々な話題が入り乱れるいつもの教室へと戻っていた。
でも、みんながいつにも増して帰し方駅を意識しているような空気は残ったままだ。そう感じる。
「ちょっと教室に居づらいかも」
昼休み、屋上前の踊り場で、スマホを耳に当てながらわたしは弱音を吐く。
「だって昨日はみんな花村結生と勿忘草畑の話ばっかしてたんだよ? 今日もそれを引きずってる気がして……こんなのおかしいでしょ」
『うん。確かに異常だね』
「勿忘草畑」という帰し方駅の隠語を使いながら話す愚痴に、スマホの向こうで伊吹くんは共感を示した。
メディアでは花村結生は何か事件に巻き込まれたんじゃないかと推測されている。でも、花村結生が刻架に帰省してたとなれば、別の可能性も出てくる。
花村結生は帰し方駅に行ったかもしれない。
全刻架市民がそう考えてると言っても過言ではない。教室で花村結生の話題が上がるたび、誰もが帰し方駅のことを口にしていたのが何よりの証拠だ。1年3組には刻架市外から通ってる生徒はいないから、よりオープンに話せたのもあるだろう。
ただ、わたしは帰し方駅という後ろめたい話題を、誰もが公に話すという非日常を受け入れたくなかった。非日常の原因である、花村結生がいないという現実も。
『この異常事態を解消するには、花村結生の帰りを待つしかないね。仕方ないけどここは我慢だ』
「伊吹くんも花村結生は勿忘草畑に行ったと思ってるんだね」
もし事件に巻き込まれたと思ってたら、「帰りを待つ」なんて発想は出てこないだろう。伊吹くんは素直に肯定した。
『うん。俺は彼女がいつか必ず帰ってくるのを信じてるから』
無期限の活動停止を発表した芸能人の熱狂的なファンみたいなことを言って、伊吹くんはそれじゃあもう昼休み終わるから、と電話を切った。
かくいうわたしも、花村結生は帰し方駅に行ったと確信している。
〈放課後旧資料室に集合! 花村結生を助けに行こう!〉
教室に戻って入口横の自分の席に座ると、刻鉄研究会のグループチャットに由幸さんのメッセージが入った。人に興味がなさそうなのに、こんなに人情味のある文面を書くなんて珍しい。
「美亜ちゃん、花村結生って誰?」
同じく由幸さんのメッセージを見たんだろう、咲良がこちらに駆け寄って問う。
咲良は芸能関係に疎い。花村結生の名前を知らないほどに。だから今日も説明をする。
「すごく有名な女優だよ。CMとかバラエティ番組とかよく出てるし、今期のドラマでも主演やってるよ。刻架出身で高校もここを出てて、入学したての頃にいろんな先生がそれを自慢してたんだけど」
「そうなんだ。全然覚えてなかったよ」
「ニュースでも毎日報道されてるんだけど、見てない?」
「ニュースは今朝も見てきたよ。でも流してるだけだから頭から抜けてると思う」
「じゃあ咲良とこの話するのがこれで3回目ってことは覚えてる?」
「嘘! あれ、前にもそんな話したっけ? あたし初めて聞いたよ?」
咲良は目を見開いて不審がる。そう、咲良とは今と同じ会話を既にしていたのだ。
1回目は先週の金曜日、梨奈さんと晃弘さんがラルゲットから帰路に就いた直後だった。由幸さんが花村結生の行方不明報道を真っ先に見かけてわたしと遼司さんと原田先生も驚愕する横で、そこまで騒ぐことなのかと首を傾げた咲良に由幸さんが熱弁していた。
2回目は昨日、教室が花村結生の話題で持ち切りだった時だ。花村結生は誰、と問うてきたから、前に教えたばかりなのにと半ば面倒臭がりながら説明した。その時も「この話をするのは2回目だ」という話をしたけれど、咲良は初耳だと答えた。
2回目の時点で、わたしは花村結生が帰し方駅に行ったという可能性を確信へ変えた。
咲良だって記憶力が悪いわけじゃない。興味のない分野だとしても、1日2日で印象的な素性を持つ人間の名前を忘れるとは思えない。
となると、一晩明けるたびに世界が咲良の記憶から花村結生の存在を消してるとしか考えられないのだ。そして今の世界では、マイノリティであるけれど咲良の記憶が正しい。
だからこそ、たとえわたしが花村結生の知名度が高いおかげで大多数側にいられるとしても、咲良から信じられなさそうに驚く顔を向けられると「お前は異物だ」と糾弾されてるみたいで悲しくなってくる。
「美亜ー、2クレ分あげるから世界史の課題見せてー」
不意に陽菜乃がノートをひらひらさせながらこちらにやって来た。花村結生や帰し方駅のことなんか頭になさそうな間抜けな調子で。こういう時だけプライドを捨てて媚び売っちゃって……
わたしは彼女から顔を背ける。
「嫌だ。自分でやれば」
「そこを何とか! 日付が出席番号だから当てられそうなの! 6時間目始まるまでには絶対返すから!」
「教科書と資料集見たら答え載ってるんだからそっちを見てよ」
「じゃあ見せてくれたら3クレ分あげる!」
「なんで頭を下げる側の分際でそんな上から目線なの。10クレ分はないと見合わないんだけど」
「はあ? 1000円なんかそう簡単に払えるわけないでしょ。いくらゲーセンでいっぱいカプリティオで遊びたいからって馬鹿な交渉しないでよ」
「たった2、300円でわたしの時間を買おうとしてるほうがおかしいんだからね!」
「なんだ、つれないかぁ」
陽菜乃はしゅんとうなだれる。自業自得だ。恨むならわたしじゃなくて昨日の自分を恨むことだ。
しかし、陽菜乃はまだ諦めない。今度は咲良をじっと見つめている。
「……咲良ぁ」
「見せちゃダメだからね!」
そう強く言い聞かせると、咲良は苦笑しながらごめんね、と手を合わせる。陽菜乃はついに観念して窓際の席に戻っていった。
自力で課題をこなすのかと思いきや、ノートは机上に置いたまま物憂げに窓の外を眺めている。
「美亜ちゃんと陽菜乃ちゃんってすごい仲良いよね」
「えぇ?」
咲良が急にそんなことを言い出すから、わたしは思わず眉をひそめる。今のやり取りを見たうえでそう評価する理由が分からない。
「どこをどう見たら仲が良さそうに見えるの? 全っ然仲良くないから!」
「そう? 陽菜乃ちゃんも美亜ちゃんが着けてるヘアピンと同じ柄のシュシュを着けてるのに?」
咲良は陽菜乃の黒いポニーテールを飾る、星空柄が入った水色のシュシュを一瞥する。わたしが左耳の上で留めている、2つのヘアピンに着いた星形の飾りの模様と同じデザインだ。
「あれはたまたま! わたしが着けたのと似たような物を陽菜乃が勝手に着けてるだけ!」
「そっかそっか。じゃあそういうことにしておくよ」
屁理屈をこねる子どもをあやすような口調で、咲良にあしらわれる。どうやら誤解は解けなかったようだ。
だから違うんだってば、と釈明しようとした矢先、予鈴のチャイムが鳴った。咲良はそそくさと教卓前の席へ着いて準備をし出す。5時間目の授業がもうすぐ始まる。
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