4.刻鉄研究会

「美亜、ちょっといいか」


 放課後になると、担任の原田はらだ先生が何の前触れもなくわたしに話しかけてきた。


 長身でクールな顔立ちをしているけれど、たくましい声に柔らかさが含まれているおかげであまり威圧的だと感じない。


 体格差が大きいからか小柄な咲良は怯えていたけれど、わたしたちと10歳しか年が違わないこともあって、他のクラスメイトたちからは既に好感を持たれている。


 原田先生の担当教科は物理で、今も白衣を身に着けている。


「はい。何か用ですか?」

「今から変なことを聞くかもしれないんだが……美亜もを覚えているのか?」


 今日は他人の口から二度と聞くことはないだろうと思っていた名前がいきなり出てきて、わたしは目を見張る。わたしと同じ記憶を持ってる人が、ここにいる。


「せ、先生も咲良を覚えてるんですか⁉」


 興奮して大きく一歩踏み出して顔を近づけると、原田先生はうっとうしそうに後ずさる。


「あ、ああ。顔は曖昧だが、名前ははっきりと覚えてる。他にも覚えてる人がいないか探してて、それで明らかに様子がおかしかった美亜に声をかけたんだ」

「……そんなにおかしかったですか」

「何もないのにこの世の終わりみたいな顔をしてたぞ」


 そこまで悲しそうな顔を浮かべていたらクラスメイトにも指摘されるんじゃないか……でも陽菜乃以外には心配されなかったから、特別に気を配っていた先生の誇張表現だろう。


「そういうことだから、ちょっとついてこい」

「え? ついてこいってどこに……」

「行けば分かるよ」



 原田先生はわたしを教室棟2階の物理準備室の隣にある、もう使われなくなったという旧資料室へ連れていった。ドアの磨りガラスに、


「刻鉄研究会

 の相談はこちらまで」


 と黒のマジックで丸っぽくてかわいらしい字が書かれた紙が、ガムテープで貼りつけてある。


 わたしは「どうしてまた刻鉄研究会なんてものを」と思わずにはいられなかった。どんな活動をしているのか瞬時に理解したからだ。


「何ですか、これ」

「見ての通り、刻架の都市伝説を調べてる人間が集まってる場所だ。って言っても、今は2人しかいないが。それから、帰し方駅に囚われた生徒を現代に連れ戻す手伝いもしている非公認の同好会みたいなもんだ」


 ほらやっぱり。わたしは変人揃いの集団に招かれたのだ。だけど、消えかかってる人のためにも活動しているのはすごく心強い。


「で、俺はここの管理を任されてる」

「顧問みたいな感じでですか?」

「ああ。生徒の趣味を監視するのはどうかと思うが、時々危険な目に遭うせいで教員の誰かしらが見張るのが昔からの伝統なんだ」


 原田先生は面倒くさそうにため息をつく。あまり刻鉄研究会に関わりたくないらしい。何かと苦労が多そうだ。


「それは大変ですね」と返したその時、「ちょっと先生」と不機嫌な声が横から聞こえてきた。


 左へ顔を向けると、そこにくせっ毛混じりの茶髪の男子生徒が顔をしかめて立っていた。赤いネクタイを着けているから3年生だ。


 先輩はわたしの顔と緑のネクタイを一瞥する。


「やめてくださいよ、そんなネガティブな情報を新入生に吹き込むのは。刻研こくけんのイメージが悪くなっちゃうじゃないですか」

「それは元からだろ」


 不満を漏らす彼を先生は冷たくあしらう。薄情ですね、と先輩は口を尖らせた。


「ところで、新入生をここに連れてきてどうしたんですか。『依頼』ですか?」

「ああ。俺のクラスの生徒が帰し方駅へ行ったきり帰ってこないんだ。詳しい話はこっちから聞いてくれ」


 先生はわたしへ親指を指す。こんにちは、と会釈をすると、先輩は微笑んで旧資料室のドアを開けた。わたしたちは灰色の空間へ足を踏み入れる。


 元資料室なだけあって、左右の壁に天井まで届きそうなスチール棚が打ち付けられていた。下には透明な引き戸がついている。サイズの割にノートが数冊入ってるだけでどこかもの寂しい。


 中心には2台の長机と、その左右に3脚ずつパイプ椅子が置いてあって、左手前のパイプ椅子に童顔の男子生徒が座っていた。青いネクタイを着けているから2年生だ。


「こんにちは。依頼ですか?」


 アルトに近いテノール声で、彼も3年生の先輩と同じ質問をする。原田先生はまたうなずいて、右側の真ん中のパイプ椅子に座った先輩の手前に腰掛ける。


 君も座りなよ、と2年生の先輩が左隣のパイプ椅子を軽く叩いたから、わたしは遠慮なくそこに座った。


 まず、向かいに座る3年生の先輩が自己紹介を始める。


「俺は3年の緋山遼司ひやまりょうじ。そっちは2年の相沢由幸あいざわよしゆきくんだよ、よろしく。君は?」

中谷なかや美亜です」

「今回消えた人の名前は?」

「新島咲良って子です」

「うん、新島咲良ちゃんね……」


 遼司さんは背後の棚からノートを1冊手に取り、ブレザーの胸ポケットに引っ掛けていたボールペンで「ニイジマサクラ」と罫線をはみ出しながら書き込む。ボールペンを持ったまま、わたしへの質問を続ける。


「咲良ちゃんがいつ頃いなくなったか分かる?」

「昨日の放課後までは一緒にいました。だから帰し方駅に行ったのは夕方か夜だと思います」

「消えた原因に心当たりは?」

「……そこまでは分からないですけど、刻架の都市伝説を教えた後帰し方駅に行きたそうに見えたので、もし行ったら早く帰ってくるように言っておきました」

「ん? ?」


 遼司さんは手を止めて不思議そうに首を傾げる。


「まるで咲良ちゃんが都市伝説のことを何も知らなかった、みたいな口ぶりだね」

「実際そうでしたよ。だって咲良は去年浜松から引っ越してきたばかりで、帰し方駅のことすら知らなかったんですから」


「だとしても、1年も都市伝説を知らずに刻架で暮らすって難しくない? 絶対誰かしらから都市伝説のことを聞くでしょ」


 由幸さんも疑問を口にする。わたしもまさか咲良が何も知らないとは思わなかった。


「由幸くんはこっちに引っ越してから割と早いタイミングで都市伝説を知ったのかい?」


 遼司さんが尋ねる。


「はい。僕の場合はお父さんの実家に住んでるから、引っ越したその日におじいちゃんとおばあちゃんとお父さんから教えてもらいました」

「……家族経由じゃあまり参考にならないな。本当は身内の外での環境を知りたかったんだけど」

「地域によっては市外から来た人間には何も教えないらしいぞ。特に田舎のほうは」


 咲良はどの辺に住んでるんだ、と原田先生に問われ、河多礼かわたれ駅辺りだと思います、と答える。昨日、咲良はそこで降りると言っていたのだ。


 すると原田先生は頭を抱える。


「あー……あそこら辺の住人は結構閉鎖的で、刻架市民になったとしても部外者には都市伝説を一切話さないって聞いたことがあるぞ」

「可哀想に。ただでさえ異質な刻架で孤立させられたら、余計に刻架が嫌いになるって」


 由幸さんも咲良を哀れむ。ただ、彼の発言には自虐も含まれている気がした。


「しかも故郷が恋しくなったところに帰し方駅の存在を教えてもらえば、すぐに帰し方駅に行きたくなるでしょ」

「それじゃあ咲良には都市伝説のことを教えなかったほうがよかったんですかね?」


 由幸さんの推理が自分を責めているように聞こえて、思わず声を上げる。


 正しいと信じていた選択へ皮肉を言われた苛立ちもあったけれど、それ以上に間違えたかもしれないという大きな不安に襲われてしまったのだ。さっき覚悟を決めたのに、本当に咲良を救えるのか自信がなくなってきた。左手で髪をさする。


 由幸さんはそんなわたしの顔を見るなりはっと目を見開いて、それから苦笑する。


「別に美亜さんがしたことが間違ってるとは思わないよ。だって刻架で暮らすうえで重要な情報を教えただけなんだし。まあ、帰し方駅に居座って悩みを解決した気になってるのは間違ってると思うけどね」


「そうそう。ていうか、今由幸くんが言ったことなんかただの憶測なんだから、真に受けることはないよ。真実は本人に会ってみなきゃ分かんないだろ」


 そう励ます遼司さんも遼司さんで、律儀に由幸さんの推理もノートに書き込んでいるみたいだ。


 でも、彼のおかげで失いかけてた自信と覚悟を再び取り戻せた。大丈夫、わたしたちは咲良を救える。


「だからさ、そろそろ帰し方駅に行こうか」


 遼司さんに促されて、わたしたち4人は学校の最寄り駅の鏡後駅へ向かう。


 原田先生が白衣を物理準備室へ置いていき、ボディバッグを纏って引率するのは意外だったけれど、どうやら由幸さんと遼司さんが過去にようで、一緒に帰し方駅に行くようになったらしい。


「いいかい、『この時代に生きなければならない咲良ちゃんが行った過去に行きたい』ってことだけ考えるんだ。俺たちは『美亜ちゃんが行きたい過去へ行く』ことを考えるから」


 改札で定期券を通してホームへ続く階段を上りながら、遼司さんが説明する。存在が消えかかってる人を「囚われ人」と呼んでいることも教わった。


 囚われ人の存在をイメージできないと、囚われ人がいる時代へ行けないそうだ。成功すれば、囚われ人の所在地の最寄り駅に着く。


《――間もなく、下り「桜瀬木」行きの電車が参ります。黄色い線の内側で、お待ちください。なお、くれぐれもに囚われないよう、ご注意ください》


 水色の電車がやって来て、わたしたちは電車に乗り込む。


 咲良がどんな事情で帰し方駅に行ったのかは分からない。だけど、頑張って説得すればきっと現代に帰ってきてくれるはずだ。


 お願い。わたしたちを咲良がいる時代に連れてって!


 電車が動き出したのとわたしがそう強く願ったのはほぼ同時だった。


《次は――帰し方、帰し方です》


 わずか数秒で聞き慣れないアナウンスが流れる。そして、急に強烈な眠気が襲ってきて、すっと意識がなくなった。

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