3.消えた席

 中学の時からの友達と廊下で別れて教室に入った瞬間、ある違和感を覚えた。


 昨日と比べて、机の数が1つ足りない気がする。1年3組の生徒数は40人のはずだ。


 ひょっとして誰かが……と嫌な予感が脳裏をよぎる。いやいや、まさか。これは単なる記憶違いだ。中学よりもクラスメイトの人数が増えて、教室の席の多さに順応できてないだけだ。違和感にそっと蓋をして、自分の席に着く。


 その直後に、教室に入ってきた男子がわたしのすぐ後ろの席に座った。昨日、彼は2つ後ろの席に座っていたと記憶している。そこに座るのは咲良のはずだ。


「ねえ、その席咲良の席だけど……」


 そう指摘すると、彼は怪しげに表情を歪める。


「はあ? 何言ってるんだよ。ここは元々オレの席だろ――ってどこ行くんだおい」


 わたしは文句を聞き終えるより先に立ち上がり、教卓に乗った座席表を確認する。咲良の名前が書かれてない。スカートのポケットに入れたままのスマホを見ると、昨日登録したばかりの咲良の連絡先もなくなっていた。嫌な予感は的中してしまった。


 ――咲良が消えた。


 咲良は帰し方駅に行ったんだ。そう断言したのは、帰し方駅へ行った人間が一晩経っても現代に戻ってこなかった場合、世界は帰し方駅にいるとなった人間の存在を消そうとすることを知ってるからだ。だから今、咲良の席は教室にない。


 当然、世界は人類の記憶からも異物の存在を消してくる。全人類の記憶から存在が消えた時、異物は完全に消えてしまうという。


 それでもなお、どうしてわたしが咲良の存在を覚えているのか――それはおそらく、前日に咲良と深く関わったからだろう。たった1日だけ話した相手とはいえ、いつの間にか記憶に強く刻まれていたみたいだ。そういう人間や知名度が高い人間の存在は、簡単に記憶から消えない。


 本当は咲良にここまで教えたかったけれど、かつて帰し方駅のルールを身をもって体験したしかこの情報を記憶できないのだ。当事者以外の人間に話したところで、たった数分で内容を忘れてしまうそうだ。


 教室内の空気を見るに、おそらく咲良の存在はわたし以外のクラスメイトの記憶から消えている。まだ顔と名前を覚えていなくても、席数の少なさを疑問に思うはずだ。


 それなのに、あたかもこれが日常であるかのようにみんな過ごしている。わたしだけが、彼らと違う世界を生きている。


 今日は雲ひとつない青空なのに、わたしには黒く分厚い雲に覆われているように見えた。


 そんな孤独嫌いな異物が今の世界に耐えられるわけがなく、授業中も休み時間も咲良のことで頭がいっぱいで気が気じゃなかった。


 今すぐ学校から抜け出して、咲良に会いたい。一刻も早く、この世界をわたしが知る世界に戻したい。


 そのためには、咲良の存在を覚えているわたしも帰し方駅に行き、咲良を連れ戻す必要がある。他人の過去に土足で踏み入れるのは不謹慎だけど、こうなってしまったら仕方がない。


 でも、咲良を救いたいという意志はあっても、実際に行動に移す覚悟はできていなかった。


 だから、昼休みに屋上へ繋がる階段横の隅に座って、背中を押してもらうために旧知の仲のに電話をかけた。彼は刻架の都市伝説に詳しく、わたしの記憶を信じてくれる友達だ。


「あ、もしもし。今ちょっと大変なことになっちゃって……」


 わたしは髪をさすりながら「友達が失踪した」と、咲良が帰し方駅へ行って消えかかってることを説明する。なぜか電話やネットでのチャットのやり取りでは、刻架の都市伝説に直結する言葉を相手に伝えられないからだ。


 この情報と対処法を教えてくれたのは彼だから、当然彼には一発で言いたいことが伝わった。


 彼は改めてわたしがやるべきことを話し、目いっぱい励ましてくれた。彼とはチャットでも話すけれど、こういう時は彼の声を聞いたほうが安心できる。


 しかし、不意に目の前に大きな影が現れて、彼との会話は中断された。


「そこで何してるの?」


 幼馴染みでありクラスメイトでもある村越陽菜乃むらこしひなのが、猫のような鋭利な目で尋ねてくる。凛とした高い声が廊下によく響く。


 相手を知られたくないから、わたしは咄嗟にスマホを背後に隠す。


「……知り合いと電話してるだけ」

「他校の人と?」

「陽菜乃には関係ないでしょ。どうしてここに来たの?」


 今度はこっちが問うと、陽菜乃は白いチラシを無言で差し出した。そこにマジックで書かれてる文字に、思わず顔をしかめる。


「こんなことされたって、わたしは吹奏楽部には入らないからね」


 陽菜乃は吹奏楽部の裁量枠で星霜高校に入学してきた。だからまだ部活見学期間なのに部員ヅラをして、元吹奏楽部を勧誘しているんだろう。


 彼女はアルトサックスという、吹奏楽でよく使われる4種類のサックスの中で中高音域を鳴らせるタイプを吹いている。


 ちなみにわたしはパーカッション担当で、いろいろな打楽器を叩いていた。当時はドラムやティンパニといったリズム系の楽器が得意だった。


 演奏するのは好きだけど、練習が厳しい吹奏楽部ではやりたくない。しかも星霜高校は強豪だ。練習についていけるわけがない。


 断ったにもかかわらず、陽菜乃はチラシを無理やり押し付ける。


「いや、絶対に入ってもらうから。楽器経験者って時点で部活側にとっても有利だし。まあ、受け取るだけ受け取ってよ」

「……分かったよ」


 いったんスマホを灰色の床に置き、チラシを四つ折りにしてスカートのポケットにしまう。そこで、ある疑問が浮かび上がる。


「ていうか、用件はそれだけ? 勧誘のためだけにわざわざこんな所まで来たの? 同じクラスなのに?」


 そう問い詰めると、陽菜乃は「それは……」と決まりが悪そうに目を逸らす。


 そして、当てつけのようにつむじに近い位置でひとまとめにした髪束を彩る、わたしのヘアピンの飾りと同じ色と柄のシュシュを外し、黒いヘアゴムに被せて結び直した。


「だって、今朝からずっと美亜が暗い顔してるから気になって。何かあったんでしょ?」


 心配している口ぶりなのに、表情はなぜか険しい。照れ隠しというわけではなく、独りで悩むわたしに怒ってるようだった。


「……別に何もないけど」

「そっか。じゃあそういうことにしておくよ」


 ため息をついて、陽菜乃は踵を返す。それから追い討ちで忠告じみた捨て台詞を吐いていった。


「誰にも心配されたくないなら、癖の1つくらい直せばいいでしょ」


 ……そういえばさっき、左耳の上に着けている2つのヘアピンを触りながら通話していたっけ。確か授業中もそうしていた気がする。どうしようもなく不安になった時に現れる、昔から続く悪い癖だ。


 階段を下りる陽菜乃の姿が視界から消えたのを確かめて、再びスマホを耳に当てる。


「ごめんね。今友達と話してて――え、全部聞こえてたの!?」


 彼の前でとんでもない醜態を晒してしまった。幼馴染みとのしょうもない口喧嘩ほど聞かれたくないものはない。彼は仲が良いね、とけらけら笑っている。


 お願い、今のは忘れて、なんて文句を言いながらはしゃいでいると、屋上の扉がキィと音を鳴らした。


 屋上で昼休みを過ごしていた生徒たちがまばらに廊下へ出ていく。スマホの画面を見ると、そろそろ5時間目の予鈴が鳴る頃だった。


「そ、それじゃあもう切るね。またね」

「うん、じゃあまた。あ、1人で無理はするなよ」


 心配性な彼は最後にそう言い残して、通話を切った。

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