5.帰し方駅
見知らぬ場所で、誰かが息も絶え絶えにこちらに向かって走ってくる。
目を凝らして見てみると、その誰かは制服を着た背の低い少女だった。輪郭がぼやけていて、どんな顔をしているのかまでは分からない。
一方、わたしはつるつるした床の上に立っていた。吊り革と長椅子と、なんて読むのか分からない文字列のバナー広告に囲まれている。ただ、ホームに立っている看板に「帰し方」と書かれていることだけは認識できた。
ここは電車の中だ。少女はこの電車に乗り込もうとしているらしい。
もうすぐ出発すると車内アナウンスが知らせる。彼女がたどり着く前に、ドアは閉じてしまった。
せっかくホームまで来た少女は呆然と立ち尽くす。可哀想と思いながらその様子を車窓から眺めていると、彼女は突如降り掛かってきた黒い空をバックにわたしの視界から消え去った。
不思議な光景だ。やっぱり夢はわたしに非日常を与えてくる。いつの頃からか、眠るたびに刻架の都市伝説に関する悪夢を見るのは定番となってしまった。
――ん? 夢? そうだ。わたしはこれから帰し方駅に行って咲良を連れ戻しに行くんだ。
半ば無理やり目を開けると、既に電車は止まっていた。車窓から覗く太陽の光が、椅子と床の一部に白い長方形を形作っている。
どこの駅に着いたんだろうと電光案内板を見る。そこには大きな文字で「帰し方」と書かれていた。
車内にはわたし1人。まだ遼司さん、由幸さん、原田先生はここに来ていないみたいだ。自分の想いが刻鉄に届いているなら、きっとここは咲良が求めた過去の世界だ。持ってきたはずの鞄はなく、小銭入れだけが転がっていた。
過去に持ち込める物は、やって来た過去に存在していた物と身につけている衣服やアクセサリーだけである。
今は新品の通学用鞄も長財布も定期券も、高校入学を機にお父さんが奮発して買ってくれた最新型のスマホもない。まあ仮にスマホがあったとしても、どうせ文字化けしてるし位置情報機能も電話も使えないから、帰し方駅で持ってなくても困ることはないけれど。
一方、ブレザーの胸ポケットを漁ると、定期券の代わりに「新浜松→230円」「2020.-3.22」などと印字された切符が入っていた。それじゃあここは2年前の浜松か。どうりで荷物がほとんどなくなっていたわけだ。
ただ、昔から使っている小銭入れと数百円分の硬貨があるのは助かった。現代に帰る時にも切符は必要だから。
ホームに出ると、赤い電車は扉を閉めてまた走り出した。
どうやらここは「さぎの
周囲を見渡してみると、目の前に大きなドラッグストア、さらに住宅街が広がっていて、少し離れた所に五階建てのマンションがあった。鉄道駅周辺でよく見られる風景だ。
天井からぶら下がってる時計の針は、2時2分を指していた。
所在なくベンチに座って右膝を両手の人差し指で叩いていると、今度は青い電車がやって来た。中から先輩たちが出てくる。3人とも鞄を身につけたままだ。
「お待たせ」
「やあ、美亜ちゃん。さっきぶり」
由幸さんと遼司さんがフランクに手を振る。とっくに慣れてしまったのか、帰し方駅へ来たのに緊張感が低くて拍子抜けしたけれど、一応会釈をしておく。反面、原田先生は「今回は変なトラブルが起きなきゃいいけど」とぼやいていた。
改札で切符を駅員さんに手渡してさぎの宮駅を後にする。駅前の駐車場に出た時、不意に見たことない景色が脳を掠めた。
――そこは、ある小学校だった。正門をくぐると、等間隔に並ぶ桜の木が花びらをふわりと踊らせている。その木々の隙間を覗くと、色とりどりの遊具たちが校庭に散りばめられていた。
そしてグラウンドの隅で並ぶタイヤ跳びの1つに、咲良が座っていた。彼女の隣で、友達であろう少女も足をぷらぷらと揺らしている。
この光景はわたしの単なる想像に過ぎない。でも、彼女がそこにいた過去をかつて肉眼で捉えていたかのように、やけに鮮明に映った。
「美亜、どうかしたか?」
原田先生に声をかけられて、意識が現実に戻される。いつの間にか3人とも数メートル先に立っている。もうあの不思議なイメージはどこかへ行ってしまった。
「すいません。今、咲良の姿が頭に浮かんできて……」
慌てて彼らのもとに駆け寄ると、ただの戯言なのに「もっと具体的に教えて」と真剣な表情で遼司さんに迫られたから、ダメ元でさっきのイメージを伝える。
「――なるほど。一瞬だけど小学校に咲良ちゃんがいるのが見えたんだね。じゃあその小学校に行ってみようか」
「え?」
遼司さんが事もなげに告げた提案に、わたしは絶句した。
ここは初めて来る土地だ。小学校がどこにあるか知るわけがない。さっきホームで周囲の景色を見た時も、学校らしき建物は見当たらなかった。
「ちょっと、小学校に行こうって言ったってどこにあるのか分からないですよ」
「広めの道を歩けばどこかしらに『学校まで何メートル』って看板はあるだろ」
「あー、そんなのもよくありますね……ていうか『わたしが見た幻みたいなもの』を信じるつもりですか?」
普通は信じないだろう。ふと頭に浮かんだ説得力のない想像上の映像なんて。
そんな思い込みを嘲笑うかのように、遼司さんはニヤリと口の端を上げる。
「確かにそこに咲良ちゃんがいるかどうか怪しいけど、今は美亜ちゃんが見たって主張するものを信じるしかないんだよ。俺たちが知ってる見え方とは違うけど、美亜ちゃんは咲良ちゃんの存在を感知したと思うから」
「存在を感知?」
聞き慣れない言い回しだ。前々から周りに刻架の都市伝説に詳しい知り合いや友達がいる環境で生きてきたから、不名誉なことにわたしも他人より少し都市伝説に明るいけれど、やっぱり知らないことはあるらしい。
「そう。帰し方駅では、『自分と同じ時代から来た人間の存在』を感知できるんだ。その人間が帰し方駅のどこにいるか知りたいって考えると、頭の中に丸い光が浮かんでくる。それが美亜ちゃん以外の――例えば俺や良幸くんや先生、咲良ちゃんの存在を示してるってわけさ」
「でもあくまで自分が記憶してる人間を感知できるだけだから、僕と遼司さんには咲良さんの光は見えないけどね」
とりあえずやってみなよ、と由幸さんに促されるままに咲良や彼らの感知を試みる。帰し方駅へ行く時と似た要領で、みんなの居場所を知りたいと強く願って。
すると自分の周りに3つ、遠く離れた所に1つ、頭の中で光が浮かび上がった。遠い場所にある光が、おそらく咲良の存在を示しているんだろう。
「見えました! 多分あっちに咲良がいます!」
わたしは正面へまっすぐ腕を伸ばし、指を差す。あの光が小学校に浮かんでるかどうかに関係なく、これで咲良がどこにいても見つけだせるはずだ。
先生も見えましたよね、と念のため原田先生に尋ねる。しかし、先生は首を横に振った。
「悪いな。存在の感知の仕方には個人差があってよ……俺は不器用だから、いくら消えかかってる人間の存在を覚えてるからってそいつがこの時代の自分に『憑依』してたら感知できないんだ。その代わり、この時代の俺がどこにいるかは感知できるんだがな」
帰し方駅では過去の自分の肉体に乗り移ることができ、一部の生理現象が発生しないことから、魂だけが活動していると言われている。頭の中に浮かぶ光とは、その魂を表してるんだろうか。
「あと、時々俺じゃない別の人間を感知することもある。今みたいにな」
「それはかえって『器用』なんじゃないですか?」
「まさか」
そう茶化してニヤニヤ笑う由幸さんの言葉を即否定して、原田先生は何か考え込むように細めた目を地面にぶつける。帰し方駅での人探しには向いてなさそうだ。
先生の証言もあれば、遼司さんも由幸さんもわたしの言葉に確信を持ってくれると思ったのに。まあ、今の2人ならわたしがどんな
「行き先もちゃんと決まったし、早速咲良ちゃんを捜しに行こうか」
「美亜さん、案内よろしく」
……案の定、わたしを完全に盲信している。でも、この言動を日常生活でされたら逆に不安になるけれど、帰し方駅ではすごく頼りになる。それだけで刻鉄研究会に依頼した価値がある。
そう安心しきっていると、突然遠くに浮かぶ光が消えた。
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