郷愁列車にて君をすくう(改)
低音果実
1.プロローグ
《間もなく、下り「
友達になったばかりの小柄なクラスメイト、
「もうすぐ電車来るね。ちょっと急ごうか」
裾に黄色いラインが入った茶色のスカートを翻し、わたしは早口ぎみで咲良に声をかける。
だけど、咲良は浮かない顔をして、自販機から落ちた影で立ち止まったままだ。
黒いローツインテールもなびかせずに。構内に入り込んでくる、うららかな空から差す暖かな光を拒絶するように。心なしか、ベージュのブレザーの襟元を飾る緑のリボンも垂れ下がってるように見える。
「……どうかしたの?」
おそるおそる尋ねると、彼女は縋るような目つきでわたしを見上げる。
「
え、とわたしは首を傾げる。今のアナウンスにおかしなところはあっただろうか。戸惑うわたしに、咲良は寂しそうな目を向ける。
「えっと、咲良はどこが変だと思ったの?」
「『過去に囚われないよう』ってところ。他の電車じゃ絶対に言わないでしょ」
――ああ、言われてみれば。市外の電車にも乗ったことがあるのに、
「そうだね。今まで気にしたことがなかったよ」
「
「多分」
「じゃああのアナウンスが流れる意味も分からないの?」
「……ううん。分かると思う」
「え、本当に!?」
不意に咲良の表情がぱっと明るくなる。アナウンスの異質さを認識できた今なら、その真相を推測するのは簡単だ。
ただ、咲良が期待するほど面白い話じゃない。少し顔を伏せると、肩まで伸びた茶髪の細い束が目の端にかかり、緑のネクタイに締め付けられる感覚に襲われる。
「あれは市民が
そう答えると、今度は咲良が首を傾げた。てっきり口に出したくないほど不快な言葉を聞いて後悔すると思いきや、なぜか不思議そうに眉をひそめている。
「帰し方駅って何?」
その純粋な質問で、咲良はこの刻架市を何も知らないんだと今更気づいた。去年静岡県浜松市から刻架に引っ越してきたばかりとはいえ、さすがにここがどんな街かを知ってるだろうと信じて疑わなかったのだ。
同時に、「刻架の都市伝説」を教えなければならないという使命感にも駆られた。次に来た電車に乗ろうか、と言いベンチに座って、革製の鞄をスカートの上に乗せる。
正面の壁に飾られた刻鉄創業者のモノクロ写真に睨まれている。青く澄んだ空気に隠れていた
「乗らなくてもいいの?」
「いいよ。それより、今から刻架の秘密を教えてあげる」
そう誘ってみると、心配そうにしていた咲良は興味津々な様子で左隣に腰掛ける。刻架で暮らしている以上、何も知らないまま電車に乗ってほしくない。
わたしは周りの刻鉄職員や電車から降りてきたばかりの乗客に聞こえないよう、声を潜める。信じてもらえるか分からないけれど、今言わなきゃ気が休まらない。
「帰し方駅っていうのは、下りの電車に乗って戻りたい過去に行きたいって強く願うと本当に過去の世界に行けるっていう刻鉄の都市伝説だよ。過去に着いた時に電光案内板に『帰し方駅』って書いてあるからそう呼ばれてるの。まあ、電車の中でどんなに思い出話をしてもよっぽど意思が強くなきゃそう帰し方駅には行かないみたいだけど」
「じゃあいつも通り話してても大丈夫なんだね」
咲良もつられて声を抑えながら話す。よかった、信じてくれてるみたいだ。わたしはうなずいて続ける。
「それで、現代に帰るには過去の世界での目的を果たして上りの電車に乗らないといけないんだって」
「ふうん。それが刻架の秘密なんだね」
咲良は真剣な顔で何か考え込むような仕草を見せる。
何だか不安だ……念のため、もう少し釘を刺しておこう。
「ちなみに、帰し方駅に長居してると消されるからなるべく早く帰ってきてね。それから、刻架の都市伝説の謎を調べすぎても消されるらしいから」
「消される? 消されるって何に?」
「この世界にだよ」
こんな抽象的な答えで、咲良は納得するんだろうか。結局、昔からこう言われてるからそうとしか答えようがないんだけど。
「……とにかくそういう話をみんな小さい頃から聞かされてるから、相当な物好き以外は刻架の都市伝説を嫌ってるの。だから無闇に都市伝説の話をしないようにね」
半ば無理やりに結論を言って、話を切り上げる。咲良の表情を窺うと意外にも不服そうじゃなく、これ以上深掘りしても無意味だと諦めたのかおもむろにうなずいた。
「そうなんだ――うん、分かった。ありがとう、いろいろ教えてくれて。でも嫌だったんじゃない、こういう話するの」
「そ、そんなことないよ。咲良にも知ってもらわなきゃいけない話だったし」
「ずっと苦虫を嚙み潰したような顔をしてたよ」
昔から感情が顔に出やすいとよく言われるけれど、そういう比喩を使われるほど酷い顔をしたつもりはない。いや、咲良がそう感じたなら実際そうだったんだろう。刻架の都市伝説が嫌いなのは事実だし。自分から説明させてほしいと頼んでおいて、そんな顔を見せてしまったのは申し訳ない。
「咲良がそこまで言うなら、次はもっと楽しい話をしようよ」
「あ、それいいね! あたしさっきから思ってたんだけど、美亜ちゃんが着けてるヘアピンかわいいよね」
早速、咲良はわたしが左耳の上で留めている、水色の星形の飾りに星空模様が入った2つのヘアピンを褒める。自作したわけじゃないけれど、自分まで褒められた気がして嬉しい。体を包んでいた澱から解放され、思わずにやにやと笑みがこぼれる。
「でしょ? 人からのもらい物でね、手作りなのに意外と物持ちがいいんだよ」
「そういうプレゼントっていつまでも記憶に残るよね。あたしも引っ越す前に、同じマンションに住んでた友達みんなからたくさんプレゼントをもらってさ――」
こうして各々の思い出話に花を咲かせていると、再び例のアナウンスが電車の到着を知らせた。わたしたちは改札を抜けて階段を上る。
電車の中では趣味や好みのこと、それから入りたい部活は何かという少し先の未来の話もして、咲良にまた明日、と電車の中で別れを告げた。彼女はわたしの最寄り駅よりも2駅先の駅で降りるそうだ。
しかし翌日、咲良は学校に来なかった。
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