7.囚われ人

 光が灯っていた場所は小さな公園だった。トンネル型滑り台や球形のジャングルジム、4人乗りのシーソーが設置されていた。地面には点々と野花が咲いていて、桜の花びらがはらはらと舞っている。


 そして水色に塗られた2つのブランコの左側に、淡い黄色のワンピースを着たまだ幼げがある咲良が楽しそうに座っていた。やっぱり過去の自分に憑依しているんだろう。


 ――やっと見つけた。


「咲良!」


 わたしがブランコに駆け寄ると、気持ちよさそうに鼻歌を歌っていた咲良がぎょっと目を見開く。


「み、美亜ちゃん!? なんでここに……」

「どうしても咲良と話しがしたくて来たの」

「あたしと何を話すの?」

「帰し方駅のこと。実は昨日教えた都市伝説には続きがあるの」

「続き?」


 咲良は怪訝そうに首を傾げる。一瞬何か言いたそうに口を開いたけれど、結局一言も発さずに固く結んだ。わたしから先に話せと促すように。


「あのね、一晩以上帰し方駅にいると現代の人から存在がなかったことにされるの。この情報は実際に体験した人しか記憶できなかったから、昨日は咲良に言えなかったんだけど……」

「でも美亜ちゃんはあたしのこと覚えてるじゃん」

「たった一晩で完全に存在が消されるわけじゃないんだよ。だけど、もしこのまま咲良が現代に帰らなかったら、咲良は消えちゃうよ」

「そっか……じゃああたしはもう帰らないといけないんだね」


 と、物分かりの良いことを言うものの、咲良はブランコから離れようとしない。


「まだ帰りたくないなぁ」


 何かを愛でるようにそう呟く彼女の声色はどこか儚げだ。帰し方駅に長居するリスクをちゃんと説明したのに現代に帰る気にならないなんて、よっぽど故郷に固執しているようだ。


「そんなに浜松に思い入れがあるんだ」

「まあね。ここなら友達もたくさんいるし」

「だから帰し方駅に来たの?」

「初めはちょっとした出来心で、本当に過去に行けるか試そうとしただけだよ」


 咲良は自虐的に苦笑する。


「そしたら予想以上に居心地が良くて、あたしは刻架で暮らすのに向いてないなって思っちゃって……」


 だってあんなおかしい街と人を受け入れられないんだもん。見てるこっちも苦しくなるくらい歪んだ咲良の顔は、やがてうつむいて涙を流し始める。


「そりゃあ、今まで誰にも教えてもらえなかった刻架の秘密を美亜ちゃんに教えてもらえて嬉しかったよ。やっとあたしも刻架の仲間入りをしたような気がして。だけど、あたしは美亜ちゃんたちみたいに刻架を受け入れて生きていけるとは思えないの」

「それは……」


 わたしだって都市伝説を受け入れて刻架で暮らしてるわけじゃないと反論しようとしたけれど、すんでのところで口をつぐむ。


 考えてみれば、咲良に指摘されるまで刻鉄のアナウンスの異質さに気づかなかったし、嫌っているものの都市伝説と共生しているのも事実だし、咲良からしたらわたしは「無意識的に都市伝説を受け入れてる人間」にしか見えないだろう。そして、そんな人たちとは相容れないとも思っている。


「最初からどうしようもなかったんだよ。刻架の秘密を知っても知らなくても、刻架にいる限りあたしはずっと独りだってここに来て気づいちゃったよ」


 独りぼっちは嫌だよ、と嗚咽を出しながら泣きじゃくる咲良に、どんな言葉をかければいいんだろう。こんな具合じゃ、わたしが咲良の孤独を理解しようと努力したって、そもそも同じ立場になれるわけがないからどうせ伝わらない。でも、どうにかして説得しなきゃ咲良は現代に帰る気にならないだろう。


 じゃあどうすれば――


「あ、美亜ちゃんみっけ!」


 最適解が分からない問題に悶々としているところに、不意に背後から遼司さんの声が聞こえてきた。振り返ると、遼司さんに続いて由幸さんと原田先生が慌ただしくこちらに駆けてくる。その気配に咲良も気づいたようで、嗚咽を止めて顔を上げる。


「もう、いきなり目的地とは違う方向に行くからびっくりしたよ。美亜ちゃんが光を消してたらアウトだったよ」

「す、すいません。ここに咲良がいる予感がしたので……あ、この子が咲良です」


 わたしはブランコに乗っている小柄なローツインテールの少女に手のひらを向ける。咲良は涙を流しているのを忘れたように怯えた目でわたしの横に立つ3人の男たちを見ている。


「えっと……この人たちは? それになんで原田先生もいるの?」

「わたしの手伝いをしに一緒に帰し方駅に来てくれたの。原田先生はその引率」

「咲良ちゃん。まずは君がどうして帰し方駅にいるのか教えてもらおうか」


 遼司さんにそう促されたものの、咲良は不愉快そうに目を逸らす。


 さすがに二度も自分の暗い胸の内をひけらかすのは気が引けるんだろう。代わりにわたしが3人に説明する。初めは普通の声量で話していたけれど、本人が恥ずかしがってたから途中で声を落とした。


「――へえ。好奇心で帰し方駅に来たら刻架で暮らすのは無理だと思っちゃったんだね」

「あーあ。僕の推理は外れちゃったか……惜しいとこまでいったのに」


 遼司さんが神妙な面持ちで呟く一方で、どこにそんな余裕があるのか由幸さんはのんきでいる。しかし、「くだらないことを言うんじゃない」と原田先生に諫められると、彼も表情を硬くした。そして「まあそういう冗談は置いといて」なんてぼやきながら、一歩前に出てうつむく咲良を凝視する。


「僕はどう考えても咲良さんの悩みは解決しないと思うなぁ。だから諦めて現状を受け入れて生きていくしかないんじゃない?」


 由幸さんはいきなり咲良の悩みを切り捨てる。そのアドバイスにわたしはつい困惑してしまう。正論と言われれば正論だけど、他にもっと言い方があっただろうに。


 咲良もまさかストレートに現実を突きつけられるとは思ってなかったようで、ぎょっとした顔を由幸さんに向ける。


「……やっぱりそうするしかないんですかね?」

「うん。でもあのいかれた街に住むのを我慢しなきゃいけないからこそ、みんな刻架にいるメリットを見つけるか作るかして気を紛らわせてるんだよ」

「あたしはそれをできる気がしません。だって街も人も否定しちゃってるんですから」

「だけどそんな咲良ちゃんを受け入れようとしてる人だっているんだよ」


 そう言って、遼司さんはわたしに視線を送る。つられて咲良もわたしのほうへ目を動かす。ついでに由幸さんと原田先生も。こういう話の流れだと何だかこそばゆい。


「都市伝説を恐れてる人間がわざわざ危険を冒して帰し方駅に行くなんて、よっぽど消えた人間に思い入れがないとやらないぜ。そうだよな、美亜」


 次はお前の番だと言わんばかりに原田先生に名前を呼ばれる。はい、とうなずくと、じゃあ思いの丈をぶつけてこい、と背中を押された。それで咲良が帰る気になれるとは考えにくい。


 今本当に自分の思いを打ち明けていいんだろうか、それより前にまだ説得できることがあるんじゃないかと躊躇してしまう。すると先生は呆れたため息をついて、わたしに耳打ちをする。


「どうせ咲良には時間をかけて作った口説き文句は効果ないって勘づいてるだろ? 下手に向こうの立場に立ったつもりで物言うなら、自分の本音を主張するほうがまだマシだ」


 ……確かにそうだ。最初からいつまでも解法の分からない問題に立ち向かうより、まずは簡単に解ける問題と向き合わないと部分点すらもらえない。


 わたしはどうすれば咲良が現代に帰ってくれるか、そのためにどうやって咲良にとって聞こえが良い説得をするかしか考えていなかった。既に分かりきった自分の意思を届けようともしないで。


 他人を理解するのに限界はあるけれど、自分の本心を伝えるのに限界はない。


「わたし、今朝咲良が消えたって知ってずっと不安だった。このまま咲良の存在が消えたらどうしようって。自分が知ってる世界が違う世界に変わったら嫌だなって。せっかく友達になれたんだし、わたしは咲良ともっと仲良くなりたいよ」


 そう告げると咲良は目をみはる。それも束の間、出し抜けに糸のように細めた目からあふれ出てきた涙で、再び頬を濡らす。


「たとえ咲良が刻架も刻架市民も受け入れられないで独りぼっちだってずっと思ってても、わたしはわたしで咲良を独りにしたくないって思ってるから。その思いだけはちゃんと受け止めてほしいかな」

「み、美亜ちゃん……」

「一緒に帰ろうよ、咲良」


 わたしが手を差し伸べると、咲良はブランコから立ち上がってその手を取った。そう思ってくれる人がいるならもうちょっと頑張れそう、と泣きっぱなしで笑いながら。


「咲良ちゃんもやっと帰る気になったみたいだし、駅に行こうか。無事に現代に帰るまで油断はできないよ――ん?」


 踵を返して真っ先に公園を出ようとした遼司さんが、何に気づいたのか急に足を止める。おそるおそる彼の顔を覗き込んでみるとぼーっとある一点を見つめていて、そこはかとない恐怖に襲われる。


「あの……どうかしたんですか?」

「急ごう。意外とは近いみたいだ」

「え?」


 その発言の意味を汲み取ろうと遼司さんの目線を追ってみると、不意に白いマンションから腕のように太く黒い線がまっすぐ伸びてきて、先端についた爪先が鋭く尖った手みたいな物が猛スピードで近づいてきた。

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