38.追憶
家族構成の話になるたびに、ずっと「兄弟はいない」と言い続けてきた。昔はいたけれど今はいない、と言ったほうが正しいだろう。
わたしには11歳年上のお姉ちゃんがいた。いつも髪を縛ってもらったり一緒にゲームで遊んだり、歳が離れてるからかお姉ちゃんにはよく可愛がられてた。いつも身につけてるヘアピンはお姉ちゃんが作ってくれたものだ。
わたしはお姉ちゃんが好きだった。これからもお姉ちゃんから愛されて生きていくのだという確信もあった。それなのにお姉ちゃんは――中谷
2013年9月9日。当時高校3年生だったお姉ちゃんは家族で開いたわたしの誕生日会が始まる直前に帰ってきて、終わると同時にまた家から出ていった。お姉ちゃんはあの日からずっと消えたままだ。
お姉ちゃんの部屋だった空間はまっさらになって、お父さんとお母さんの記憶からもお姉ちゃんの存在はなくなった。同じ記憶を持っているのは、いつの間にか子ども携帯の連絡先に入っていたお姉ちゃんの後輩の伊吹くんくらいで、彼からお姉ちゃんは帰し方駅にいると教わった。お姉ちゃんも星霜高校に通っていて、伊吹くんと同じ刻鉄研究会の人間だった。
ただ、わたしの記憶の理解者は伊吹くんだけじゃない。幼馴染みの陽菜乃もその1人だ。
もっとも、陽菜乃にはお姉ちゃんに関する記憶は残っていなかったけれど、わたしの記憶をどうしても信じたかったらしい。陽菜乃が当時から気に入ってた、わたしのヘアピンとおそろいの星空模様が入った水色のシュシュを作った主への興味もあったんだろう。
わたしたちはお姉ちゃんの帰りを待ち続けた。「先輩は絶対に帰ってくるから大丈夫」と伊吹くんはメールで励ましてくれて、陽菜乃も「早く美亜ちゃんのお姉ちゃんに会いたいなぁ」と期待に胸を膨らませていた。しかし、どれだけ待ってもお姉ちゃんは帰ってこない。
だから2年でお姉ちゃんを見限った。ずっと異物としてお姉ちゃんがいない非日常の世界で生き続ける孤独に耐えられなかったのだ。
どうせわたしの日常が戻らないなら、お姉ちゃんの存在を忘れてしまいたい――そう話して以来、伊吹くんはお姉ちゃん以外の話でわたしを楽しませてくれた。同類同士だからか、伊吹くんと話してる時は自分が異物であることを忘れられる。
一方、陽菜乃は「まだ諦めないで」とお姉ちゃんの存在を押し付けてきた。お姉ちゃんを覚えてないからわたしの気持ちなんて分からないでしょ、と口を滑らせた時の陽菜乃の傷ついた顔は今でも目に焼き付いている。あの日からずっと、陽菜乃と素直に会話ができていない。
他にも、お姉ちゃんの残り香を消そうとお姉ちゃんの部屋にぬいぐるみや電子ドラムを置いてみたりもしたけれど、記憶の隅にはいつもお姉ちゃんが棲みついている。
でも、結局自分は異物のままなんだと嘆き続ける日々を断ち切れるかもしれない。世界が貼り付けた異物というレッテルが剥がれるかもしれない。待ち焦がれてた人が今、ここにいるんだから。それなのに、脚は動かないし声も上げれない。
怖くなったのだ。せっかくお姉ちゃんがいない世界に順応しつつあったのに、お姉ちゃんがまたわたしの日常を壊してくるのが。
だってわたしがお姉ちゃんを現代に帰したら、お姉ちゃんの存在が消えてた過去はなかったことになるのだ。伊吹くんや陽菜乃の記憶から、お姉ちゃんがいなかった世界は消えてしまうのだ。
囚われ人に関する記憶が書き換わる対象は、囚われ人が帰ってくる前から現代にいる人間のみ。つまり同時に現代に帰ってくるわたしの記憶には、お姉ちゃんがいなかった過去が残り続ける。わたしだけが、孤独を味わい続けることになる。そんな理不尽があってたまるものか。
「美亜ちゃん? どうかした?」
「え? あ、ううん。何でもない」
咲良に声をかけられて我に返る。わたしたちは花村結生の目的を果たすためにここにいるのだ。あとは今来た道を戻って、花村結生と由幸さんと合流するだけ。お姉ちゃんのことなんて気にしない気にしない……
そう言い聞かせてるにもかかわらず、未だに胸のざわつきは収まらない。とんでもないことを思いついた。
もし「戸波紗耶香という名前が嘘かもしれない」という咲良と原田先生の推測通り、花村結生の真の捜し人は別にいて、それがお姉ちゃんだとしたら――伊吹くんと同級生なら、お姉ちゃんと高校の知り合いだろうと不思議じゃない。「俺たちの他にも先輩を覚えてる人は2人いる」といつかのメールで伊吹くんは言ってたし、花村結生がそのうちの1人であってもおかしくない。
だったら、お姉ちゃんを現代へ帰す役目を花村結生に託せないだろうか。花村結生がお姉ちゃんの存在を覚えてるかどうかは知らない。わたしの推理だって願望からくるこじつけだ。お姉ちゃんは帰ってくるかもしれないし帰ってこないかもしれない。
そんなことはどうでもいい。どっちにしろ、今すぐ現代へ帰ればわたしだけが苦痛を味わう世界にはならない。そこにお姉ちゃんがいようがいまいが関係ないのだ。
「おーい、美亜行くぞー」
今度は原田先生に呼びかけられる。咲良も先生も既に数メートル先にいる。わたしは立ち止まったまま頭を下げた。
「……すいません。わたし先に帰りますね」
「はぁ? 帰る? なんでまた急に……」
「ちょっと用事を思い出したんですよ。それじゃ!」
「あ、美亜ちゃん――」
何か言いたげな咲良の声を振り切って、2人が行くほうとは違う方向へ進む。エスカレーターで1階に降りると、ちょうど由幸さんと花村結生と鉢合わせた。由幸さんは不思議そうに目を見開く。
「あれ、美亜さん1人? もしかして戸波さんを見つけたの?」
「はい。2階のゲームセンターでそれらしき人を見かけましたよ」
そうけしかけてみると、穏やかな花村結生の顔に子どものような無邪気さと興奮が芽生えた。
「本当!? 本当に紗耶香さんがいたの!?」
「はい。多分。あの人は花村さんが捜してる人だと思ったんですけど……」
「あんなあってないような情報でよく見つけ出したね」
「貴女が言うならきっと当たりね!」
「……花村さんもよく簡単に信じられますね」
「たまには信じたいことを妄信したっていいじゃない。あら、行かないの?」
呆れる由幸さんとエスカレーターへ向かう花村結生が、立ち止まったままのわたしへ首を傾げる。
「わたしは一足先に帰ります。現代での用事を思い出したので」
「そうなの……ありがとう、私のわがままに付き合ってくれて」
花村結生は安堵したように微笑む。わたしの仕事は終わりだ。もし推測通り花村結生の真の捜し人がお姉ちゃんなら、あとは何とかしてくれるはずだ。
「それじゃあ美亜さん、また後で」
「はい。さようなら」
由幸さんと挨拶を交わし軽くお辞儀をして、エスカレーターを上っていく2人の後ろ姿を見送った。
郷愁列車にて君をすくう(改) 弓ノ木紫幻 @kajitsu-bass
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