第6話 微かな違和感




「よし、送信!」


 一人の時間が長くなるのは今後もあるだろうし…ここは体を動かそう。

 何もしてないから寂しさに集中してしまう。

 優しい三人と触れ合ったからなおのことそう感じてしまうし、大人なんだからそんなこと言っていられない!と昴さんにメッセージを送る。


『暇です!お掃除したいです!』



 

 送信した後に気づいた。

ケイが昴さんは携帯をあまり見ないと言っていたんだった。

さっきまでチヒロとメッセージしてたし、今度はケイに送り直そうとしたら返事が来た。



『好きにして構わない。掃除道具は玄関にまとめてある。あまり無理をしないように』

『かしこまりました!』


 普通にお返事が来るみたい…もしかして気にかけてくれてる?良いように解釈してしまう自分の能天気さに呆れてしまう。

 返事を打って、直ぐに掃除に取り掛かる。

 玄関脇の掃除道具は埃一つついていないピカピカ仕様。使っていないわけじゃないという事は、昴さんは潔癖症か完璧主義者だな…。シンクも綺麗に拭いてあったし。

 

 気合を入れて見たものの、私がここに来て2日目。大したゴミもなくてモップで床をなぞって、おトイレ掃除して、洗濯物を干しただけ。窓もピカピカだし正直掃除する場所がない。


 洗濯物は干す場所が見つからない。乾燥機に突っ込むべき衣服じゃないからできれば陰干ししたい。

 ベランダはサンダルがなくて出られないし、結局リビングのカーテンレールに干してみたけれど、そもそも高い服って家で洗濯していいものなんだろうか。もしかして毎回クリーニング?まさかね…。


 彼のワイシャツや靴下や下着はいいとして、問題はワンピース。一生懸命シワを伸ばしたけど、自信が無い。

 そして、やることが待たなくなってしまった。

リビングの椅子に座って、とりあえずしょんぼりしてみる。




 ポケットから昴さんのメモを取りだして、書かれた文字をなぞる。

 青みがかったインクは万年筆だと思う。そういえばいつもスーツの胸ポケットから覗いていた。きっと、それで書いてる。


 イニシャルのSをゆっくりと指先でなぞる。流線型のSは実はバランスが難しい。文字の綺麗さっていうのは縦横の長さ、細い部分と太い部分それらのバランスが完璧に組み合わせられていないと発揮されない。私は記憶がないからわからないけど、漢字をよく観察すると携帯の中の電子文字でも、辞書の文字でもそれぞれ独自のバランスがあって厳格な決まりがある。




 日本語って難しいけど、文字としてはとっても綺麗な形だと思う。

 

 文字って、その人を表すものだと思う。書き方、筆圧、文章。短いメモでも昴さんの顔が思い浮かんでくる。

昴さんらしい文字は初めて貰ったメモもとってもキレイな文字だった。


 早くお財布戻ってこないかな。お財布がなくても、メモだけでもいい。

お仕事の空き時間の度に眺めていたから、愛着が湧いてしまってる。



 新入りのメモを畳んで、ポケットにしまって、snsを見てみる。

ケイが新しくラーメンを投稿していた。今日はこの強烈な誘惑に勝てそうにない。

 とんこつラーメン、味噌ラーメン、醤油ラーメン、頭の中がラーメンでいっぱいになる。

 ケイは毎日ラーメン食べてる!!

 私もお店でラーメンが食べれる日は来るのでしょうか。


 当分お出かけは無理だから私は食べれないだろうけど…はぁ。

 ため息をついて、スマホをテーブルの上に置く。まだ夕方にもなっていないし。うーん、どうしよう?


 カチコチと言う時計の音を聞きながら、ダイニングでうとうとしてしまう。自堕落な生活になりつつある。でも、眠たい。


 うーん、と唸りながらソファーに移動する。

ふかふかのクッションに勝手に体が沈んでいく。

あー、これはまずい…うー。


 ウトウトしだしたところで、チャイムがなる。

あれ?チヒロがならした音と違う音。

 起き上がって玄関脇のインターホンを見つめる。誰だろう?スーツ姿の男性?


ピコピコ!

 

「わあ!」

びっくりした!メッセージアプリからの通知音。


開いてみると、チヒロから。

『訪問販売だ。出なくていい』

「えっ!?なんで?」


私が今どういう状況か把握してる!?


『玄関に監視カメラがある。インターホンも見てる』

「なるほど」



 インターホンを眺めていると、もう一度チャイムがなる。汗を拭きながら、インターホンの中で男性がにこにこしてる。

暑いのに可哀想だなぁ。

~♪

わわ、今度は着信が。相手はケイだ。


『蒼、インターホン出ないでね』

「えっ!?は、はい。でも何だか暑そうで」

『だーめ!サロンで酷い目にあったでしょ?絶対だめだよ』


「は、はい」



 インターホンが切れて、画面が真っ暗になる。

それはそうだよね、私もそれで危ない目にあっていたし、そもそもここは昴さんのお家だもの。


「ごめんなさい、心配おかけしまし…」

 ま、またもやチャイム。宅急便の人?



「あ、あの」

『だめ!宅急便は宅配ボックスがあるから大丈夫。…何度も鳴らすのはおかしいな』


話している間に、何度もインターホンが押される。ええぇ…怖い。



「あ、あの、通報はダメですよね?」

『それは困るな。いや、もうそっち行くから、ベッドルームにいて。さすがにこんなに鳴らすのはおかしい』


「は、はい」

『待っててね、すぐ行くから』




 何度も押されるインターホンに耳を塞いで、急いでベッドルームに入る。

 ドアを閉めると、音がしなくなった。あれ?居なくなったかな?


そろり、と部屋のドアを開けると、インターホンが連打されている音。ずっと鳴ってる。

わわわ!

慌ててドアを閉める。

な、なるほど!ベッドルームは防音なのかな。




 ベッドに上がって、布団にくるまって。

どうしよう、なんだか本当に怖い。もしかして私の事を狙っているとか?


 ケイがこっちに来るって言っていたけど、危ないんじゃないのかな。でも私が出ていっても足でまといだし。ぐるぐる考えながら、昴さんのメモをまた取り出す。

 文字をなぞって、自分の手が震えていることに気がつく。メモをしまい直して、手のひらをにぎりしめる。


 怖い。こんなふうに怖いと思ったのはいつぶりだろう?痛い思いを今までの人生でしたことがなかったから、今まで鈍かったのかもしれない。


 サロンで胸元に突き刺されたハンドガン、破かれたワンピース、放り投げられて頭をぶつけて。

 あの時もし昴さんが来てくれなかったらどうなっていたんだろう。体が傷つけられただけで終わるはずも無かったと思う。私、結構危なかったよね?

 体がガタガタと震え出してくる。

 怖い。…昴さん。


「蒼!あぁ…ここにいたか」


 ドアが乱暴に開かれて、昴さんの声が響く。布団から飛び出すと、すぐそばに驚いた顔の彼がいた。

 思わず抱きついて、胸にしがみつくと優しく抱きしめてくれる。

 ケイが来ると思ってたけど…昴さんが来てくれた。また助けに来てくれた。




「怖かったな、すまない。大丈夫だから」

「そ、組織の人ですか?」

「いや、かなり悪質な訪問販売だ。この辺りで通報が相次いでいたらしい」


 震えが止まらない私を、昴さんが支えてくれる。




「こんなに怖がるなんて…何か言われたか?」

「あの、サロンに来た人を思い出して、今更怖くなって…」

「そうか。一人にして悪かった…もう大丈夫だから」


 足まで抱え込まれて、彼の膝の上に乗って、すっぽり腕の中に収まる。




 走ってきてくれたのか、体が熱い。

胸の鼓動が早くて、彼の香水が匂いたち、包み込んでくる。

 暖かい。昴さんが来てくれた。ほっとして、力が抜ける。昨日もこうして急いで来てくれた。サロンでもそうだった。いつも助けてくれる人なんだと頭が勝手にインプットしてしまう。


 ここまでの恐怖を感じたこと、今まであったかな。この前のことの方がよっぽど酷かったはずなのに、何故こんなふうに今更?

 自分でも分からない。




 昴さんが抱きしめたまま背中をポンポン叩いてくれる。これは何をしてるんだろう。体を揺らして、背中を叩いてくる。


 暖かい体温と、背中をリズム良く叩く感触、ゆらゆらとゆらされて瞼が勝手に降りてくる。

 不思議…すごく安心する。もうダメだ、目を開けていられない。



 彼の胸元に顔を擦り寄せる。昴さんが一瞬びくり、と反応する。

私がじっとしているのを見て、また同じように背中を叩いてくれる。


 気持ちいい。眠たい。

耳の奥に広がる昴さんの心音を聴きながら、落ちてくる瞼に逆らうのを辞めた……。



━━━━━━


「それで…寝ちゃったの?」

「あぁ。直前まで体が震えていた」


「暴漢が来た時はそんなこと無かっただろ?目の前で撃ち抜くのを見たはずだが」

「今更思い出して怖くなったと言っていた」


「「うーん…」」




 ぱちぱち、瞬いて目を覚ます。私の知ってる声がする。

 目覚めてからしばらく、私は動けない。

真正面を向いたまま、目を開いてぼーっとする。



「記憶障害の中の何かが掘り起こされたとか?」

「探っているが全く情報が出てこない。一般人にしてはどうもおかしいんだ」

「チヒロが探っても出てこないと言うのが気にかかる。一体どういう…蒼?目が覚めたのか?」


 昴さんが顔を覗き込んでくる。心配そうな顔。彼の声は1番低くて艶がある。

 


「ん…すみません、私目が覚めてからすぐ動けなくて」

「えっ?それ大丈夫なの?」


この声はケイ。少し軽くて、柔らかい響の、低さがある声。


「具合が悪いんじゃないのか?」


 これはチヒロ。ケイより低くて、言葉の響きが重たいトーン。ちょっとだけ冷たい感じ。




 額に手のひらが乗ってくる。大きくて、あたたかい。三人してかわるがわるおでこに乗せてくれるのがちょっとおもしろい。心配されているというのがわかって、心がくすぐったくなる。


「熱はないようだが。どこか痛むか」




足先と手の先からゆっくり動かす。

段々中心まで動かして、首が動く。

体を起こす。うん、大丈夫。


……?なにが……??

 思わず浮かんできた大丈夫に、首を傾げる。ベッドサイドで呆然と見守る三人を見比べた。


「あの、大丈夫です。起きる時は多分、いつもこうなので」

「そうか。起きなくていいからこのまま話そう。今日インターホンで見た奴に見覚えは?」


 昴さんが私の肩を抑えて横になったまま口を開く。


 

「ひとり目、灰色のスーツ、髪色は黒、眉毛が細くて目がとんがってる、狡そうな感じの男性は見た事がありません」


チヒロが眉を顰める。何か変なこと言ったかな?


「2人目は?」

「2人目の人は水色の繋ぎで髪の毛を後ろにひとつで縛って、白いマスクをしていたのでなんとも。眉毛はありませんでしたね。

あ、顔にホクロが。右目の真横と耳たぶとおでこにありました。その人も分かりません」


「蒼、インターホンで見たんだよな?」


チヒロが眉を顰めたまま聞いてくる。




「そうですよ。外には出ていませんし、応答もしてないです」

「ちなみに何時と何時に来ていた?」


「1人目は15:30と46秒、2人目が15:34丁度です」

「ケイ」

「ほい」


チヒロが声をかけて、ケイが部屋を出ていく。どうしたの?確認しに行ったのかな?



「蒼…変なこと聞くけど、今日ケイのイソスタ見てただろ?覚えてるだけでいいから何月何日の何味のラーメンか覚えてるだけ言ってくれ」

「200件近くありますけど」

「うん、分かるだけでいい」

 

 千尋が難しい顔してるけど私何か変なことしちゃったのかな?




「ええと、新しい順だと今日の11:45、真っ赤なスープの赤いおわんに入ったもやしとひき肉とシナチクの坦々麺、昨日の13:06、黄色いおわんのもやしとキャベツとチャーシューが乗った味噌ラーメン、昨日はもう1件あって、09:12、水色のおわんに赤いたれが絡められてる細切りのネギ、茹で豚と糸唐辛子が乗った醤油豚骨ラーメン、一昨日が…」


覚えているだけ、と言うから仕方ないけど、205件いいねしたから全部覚えてるし。

言いながら、お腹がきゅるる、と音を立てる。

ラーメン、ラーメンが食べたい。

 


「分かった…そこまででいい。蒼、もしかして全部覚えてるのか?」

「はい、ケイが食べていたラーメンの種類と時間と日付は全部覚えてます」


「全部……」


チヒロがびっくりした顔になる。そんなに驚くようなこと?

あ、ケイが戻ってきた。




「インターホンは?」

「写メってきた。顔かたち、服装、時間までピッタリ」


ケイがスマホを渡して、昴さんとチヒロがそれを眺めてる。

 

「あの、私、何かおかしいこと言いましたか?」 

「いや、大丈夫だよ。蒼は記憶力いいね?」


ケイがニコリ、と微笑む。何となくほっとする。




「そうですかね?殆どのものは一度見たら覚えられます。覚えようとしないと無理ですけど」

「えー、マジか…なんでも覚えられるの?」


「食べ物は特によく覚えてます!あ、でも試験とかネイリストの検定を取る時も、教科書を1度見れば殆ど記憶に残ってます。それ以前のことは覚えてないけど、そう考えると記憶力はいいのか悪いのかわかりませんねぇ」


「なるほどねぇ。あ、ボスー!喉乾いた。お茶飲みたいなー」

「分かった」

「お茶菓子もだそう」


昴さんとチヒロが立ち上がる。




「えっ!?いや、それなら私が」

「大丈夫だ、お茶が入ったら呼ぶ。ケイと遊んでてやってくれ」

「えぇ?」


ケイがヒラヒラと手を振って、二人を見送る。


「ケ、ケイ。目上の人に大丈夫なの?」

「あはは!大丈夫だよ。言っただろ?自由主義だって。序列はパワー差や能力の差であって、上下関係ってほどでもないさ。チヒロだって珈琲入れてくれたろ?」


「…そう言えば」

「だからに気にしないの。」




ケイがベッドに座り、私も体を起こして横並びになる。

 

「怖かったよね、ごめんね…一人にして」

「大丈夫。自分でもなぜあんなに怖かったのか分からないですけど」


「なんだろうねぇ?組織の奴らより怖い顔してた?」

「組織の人はもっと怖かったです。三人とも髭が生えててもじゃもじゃして、タバコの匂いがしていて」


「わーわー、あんまり思い出さなくていいよ。ごめん、嫌なこと思い出させた」


「平気ですよ」



 何故だろう。一人でなければあまり恐怖が浮かんでこない。あんなにガタガタ震えてたのに…私もしかして一人が苦手になってる?

 いや、元々そうかも知れない。人と関わりたくて接客業をしていたようなものだし…自宅で1人の時はほとんど寝ていた。今となっては意識して1人を避けているような気もする。

 とんでもないめんどくさい人かも知れない、私って。




「そっか。ラーメン好きなの?」

「好きです!煮干しのラーメンが好きで。でもカップ麺だとあまり美味しくないですよね」

「あー、煮干し系は美味しいの無いなぁ。普通の醤油とかなら美味しいけど、ちょっと変わった系のはお店じゃないとね」


「いつ頃食べに行けるかな…」

「うーん。近いうちに連れてってあげる。一昨日食べたとこ美味しかったよ」


「はっ!千葉の老舗ですよね!テレビで見たことあります」

「そうそう。結構有名なところで…あ、お茶入ったって。いこ。」




手のひらを差し出され、反射的に握る。

昴さんよりも少し体温が低い。チヒロが1番体温が高いのかな?三人とも沢山豆がある、努力人の手だ。

 こういう手は、触れられるだけで幸せな気持ちにしてくれる。その人が頑張ってきた歴史を教えてくれるから。




「ご飯も食べてないでしょ?ボスが作ってくれるって」

「昴さんのご飯!!」

「あっはは!すごい餌付けされてる!」



本気で笑っているケイに引っ張られて、リビングに足を向けた。

 

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