第2話 嘘つき

 シャワーでさっと体を流すだけにしようと思ったけど、頭の中の混乱がおさまらなくて浴室に蹲る。


「どうしてこうなっちゃったの…」




 彼に抱えられたまま車に乗せられ、いつの間にか高そうなマンションに連れてこられて、体を洗ってこいと浴室に閉じ込められた。

 着替えもないし、シャンプーのボトルは高級旅館で見たことがある高級品だし、バスタブは恐ろしいほど大きい。何このシャワー…横にあるボタンでどうするの?


 いや、もう、ウジウジしてても仕方ない。なるようになるしかない!


「よし」


 小さく呟き、高いボディーソープを控えめに出してワシワシ体を洗い始めた。


━━━━━━


「あのー…」

「早かったですね。ちゃんと洗いましたか?」

「あ、洗いました」



 リビングと言われたドアを開け、そろっと中を覗くとソファーに手招きされる。…お店の時と同じ口調に戻ってる…。

 彼から距離を置いて座ると、フッカフカの座面にお尻が沈み込んでびっくりしてしまう。

 …高いソファーだ。これはぜったい高級品と確信できる。


 お風呂から上がったら新品のYシャツが置いてあったからそれを着させてもらって、もう一つ新品のボクサーパンツが置いてあったから悩みつつ身に着けてきた。

 彼はまだお風呂に入っていないからワイシャツとスラックス姿のままだ。髪型もそのまま、ハーフアップにして流されて居る。明るい場所の方がより良く見えるというのは元がいいからなされる事であってですね…。


 男の色気って、こう言う物だと思う…暴力的な魅了がダダ漏れになってる。

 



「傷の手当てをし直しましょう、手を」

「どっちが…本当のあなたなんですか?」


 私、どうしてこんなこと聞いてるんだろう。でも、聞かずにはいられない。


 あなたは誰なの?どうして嘘をついたの?どうして助けてくれたの?なぜ私をお家に連れてきたの?


 どちらが本当のあなたなの?



「どっちも嘘、と言ったら?」


 消毒液を取り出しながら、彼が微笑う。含み笑いでもなく企むような笑いでもない。素直に揶揄われて居るようだ。



「……むぅ」

「見える傷以外は?」

「打撲しかありません」

「湿布が必要ですか?」

「多分、大丈夫です」

「わかりました」



 淡々と答えながら、手を握られて手首の擦り傷に消毒液を丁寧に染み込ませていく。わざわざコットンに移してから染み込ませる人、仕事以外で久しぶりに見た。


 首にも、頬にもそれを染み込ませて丁寧にガーゼを貼り付けてくれる。四角いガーゼの端っこは綺麗な真四角に切られていて、几帳面な性格だとわかる。


 あまり滲みないな、と思って消毒液のパッケージを見ると《滲みない消毒液》とデカデカと掲げられて居る。

 気遣ってくれ…てる?




「胸元は?」

「擦り傷になってますか?」

「ただでさえ危うい服装なのに、試すようなことを言わないでください」

 


 うっ。それを言われてしまうと何も言えない…。Yシャツはぶかぶかだし、太ももが露出しているから確かに危ういとは思う。俗に言う彼シャツという状況に他ならない…。


 でも、彼の容姿で私みたいな一般人に何か感じるところなんてあるわけないと思うんだけどな。

 うなりつつ自分の胸元をのぞき込むと、お風呂で温まったからなのか擦り傷から少し出血している。




「血が…すみません、ついちゃいました」

「そんなのはいいから…開きますよ」

 そっと胸元を開かれて、傷を見て眉をしかめる。そんなにひどい?


「こんな所まで傷つけやがって…」


 小さなつぶやきに驚いて、消毒のコットンがそっと触れる。

 じっとそれも見つめると上目遣いの彼と目が合う。



「痛みますか?」

「い、いえ…ありがとうございます…」



 思わずお礼を言うと、青い目が見開かれて僅かに微笑みが浮かんだ。

 消毒を終えて、絆創膏をペタっと張られてシャツを戻される。救急箱から錠剤を取り出して目の前に突き出してくる。



「痛み止めを。抗生剤が必要なら明日持ってきます」


 じっとそれを見つめる。最初に出会ったときみたい。あの時は私が看病する側だったけど。

 


「毒じゃありませんよ」


 薬と水を掲げたまま、眉を下げられて胸がつきん、と痛む。大人しくそれを受け取って丸い錠剤を見つめる。


 毒なんか渡す人では…ないとは思う。私を害したわけでもないしむしろ助けてくれている。たとえ原因がこの人だったとしても。


お風呂に入って少し落ち着いたから変な気持ち。


 痛い思いをしているのに彼の瞳を見ているとその場にそぐわない形容しがたい気持ちが出てくる。もともと自己分析なんてできたことはないけど…。




「しかたありませんね」


 薬を見つめたまま動かなくなった私を見てため息が落ち、私の手から薬と水を取り上げてにやりと嗤う。


 …なんで?どうして悪い顔になったの?

 プチプチと薬を取り出し、水を口に含んで隣に密着して座ってくる。

 なんで?なんで?




 顎をつかまれてくいっと下げて私の口を開き、薬を放り込まれる。


「!?」

 

 唇が触れて、水が流し込まれる。

 肩を押して抵抗するがびくともしない。首の後ろを抑えられて、探るように熱が差し込まれた。

厚いそれが口中を探り、息ができずにめまいがしてくる。

 口の中の傷をなぞられて痛みと血の味が広がった。



「ぷあ…は、離して…っ」

「飲み込みましたね。口の中の傷は申告がありませんでした。明日塗り薬をもらってきます」


 唇が離れて、近い距離のままで密やかにささやかれる。

 キスといっていいのかわからないけど、頭の中を整理している途中で混乱がさらに深まってしまって頭の中がさっきの感触でいっぱいになる。

 粘膜の怪我だし、これは放っておいてもすぐ治るし…。

 


「……」

「明日は熱が出るかもしれませんし、ここで大人しくしていてくれますか」

「……」

「抵抗の意志あり、と」

「……」

「はあ…仕方ありませんね」

「えっ?きゃっ!?」


 横抱きに抱えられ、リビングの明かりが落とされて乱暴に開いたドアから廊下に出る。

 ずりあがったシャツの裾を押さえると、頭の上から「ふっ」と笑いが落とされた。




 1番奥の部屋の扉をまたもや足で開き、中に入ると…間接照明が灯った寝室だとわかる。

 …なんで?


 そっとベッドに下ろされて、スベスベのシルクのシーツが肌に触れる。頭を枕に置かれ、私の髪を丁寧に流してくれた。

 頭の後ろが冷たい。


「冷却枕だ。冷やさないと熱を持つから」

「えっ?あ、ありがとうございます」

「あなたはこの状況でも礼を言うんだな」




 怖い方の喋り方だ。スルスルとベッドに上がって、私の上に覆い被さってくる。


「な、なんで?」

 ついに口から出てしまう。


「ベッドルーム、男女が二人きり、となれば一つしかないだろう」

「えっ?えっ?ひゃっ!?」

 

 首元に熱のこもった唇を押し当てられて、背中が粟立つ。

 暴漢にされた時とは違う種類のゾクゾクした感覚に包まれて、足先から震えが立ち上がってくる。


 押し当てられたままの唇が熱を上げて、皮膚を吸い上げる。

 もしかしてキスマークつけられて…る?

「あの、あのっ…」

「なんだ」


 顔を上げた彼の目が僅かな明かりに揺れる。深い青の中に炎が灯ったようにゆらめき、私に対して一種の欲望を持って居ることを理解してしまう。



「お、奥さんがいると聞きましたが」

「…?誰に?まだいない」

「えっ、じゃあ彼女とか?」

「いるわけが無いだろ。言い訳としては点数が低いな」



 ワイシャツの袖を引っ張られて、そのまま袖口を結ばれてしまう。

「な、なにして…」

「わかるだろ?歩けなくする。あなたをここに閉じ込めなければならない」

「どうしてそんなこと…んっ」




 数回優しく触れた唇が深く重なる。

 そう言うの、慣れてないから…息ができない!

 顎を抑えられながら頬を指でなぞられて、身体中の熱が上がっていく。


「ぷあっ…は、はぁ…」

「息継ぎが苦手か?」

「そんなの…や、やめてくださ…うっ」

「そう言われると男が止まれなくなると知っていて言ってるのか?」

「ちが…っんんぅ」


 深く重なったそこに雫がもたらされる。

 それを嚥下して、喉からも熱が溢れてくる。

 擦り合わせた膝が震えて、自分自身がこの先の事に期待してしまって居ることに気づく。


「…ここは正直だ。嫌じゃ無いんだな」

「ちが…違います…」


 フルフルと首を振っても容赦なく熱をもたらされて、際限なく体が熱を放つ。どうして…なんで?


 ボタンを外しながら、じっと見つめられてその瞳にとらわれる。

 整った爪先で頬をなぞられて、あまりの熱に驚く。

 ねぇ…どうしてそんなに切なそうな顔、してるの?

 眉が下がって、眉間に皺が寄って、泣いてしまいそうな顔をしてる。

 真っ黒な濡れ羽色の髪が顔に影を落として綺麗な瞳が青く光る。


 降り注ぐ視線に耐えきれず目を瞑ると、もう一度唇が降りて…私は誘われるままに熱源に足を踏み入れた。


━━━━━━


「…どこか痛むところは?」


 腕枕の上で微睡む私をとろける瞳が見つめてくる。

 汗を額にたたえたまま微笑む彼が私の髪をかきあげる。

 声が出ない。下がってくる瞼を必死で上げようとするけど、堪え性のない元々半分下がって居るような瞼の筋力は期待できない…。


「これなら、明日は家にいてくれそうだな。乱暴してすまなかった」

 はくはくと口を開いても声が出てこない。

 体力はエンプティーランプがついている。


「眠いなら寝ていい。ちゃんと綺麗にしておくから」

 そうじゃなくて…そうじゃなく…て…。



 あまりにも嬉しそうに微笑む彼の顔を見ていたいのに。

 腕枕をしていた腕に体ごと引き寄せられて、ギュッと抱きしめられる。


「やっと、捕まえた…」


 耳元で囁かれた声を受け止めながら、瞼の重さに耐えきれず私は再び闇の中に落ちていく。


 深く、深い暗闇の中は温かく心の中にその暖かさを染み込ませて私をその色に染めてしまう。

 

 心の1番柔らかい場所にその言葉が落ちて、幸せな気持ちに満たされ…意識を手放した。

 

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