第17話 明かされる真実



 黒いシーツの上で蒼がジッとこちらを見上げてくる。

 琥珀色の瞳がカーテンから漏れて来る月明かりを弾いてきらきらと輝いていた。

 黒いベッドの上に広がる柔らかな髪の毛も、瞳と同じ色。


 わずかな明かりが彼女の体を暗闇の中でほんのり光を放つように包み込む。


「体調は?大丈夫か?」

「うん…」




 ほんのり頬を赤らめて、両手で枕の両端を握っている。

 コットンレースのワンピースはグレー。チヒロが買ってきたパジャマだ。



「チラつくな…」


 チヒロのジト目が頭に浮かんでくる。

 頭を振ってそれを消し、一つ一つボタンを外していく。

 服の真ん中についたそれはまるで外していくたびに許可を得ている様な心持ちになる

 すべすべした肌の感触。柔らかいその肉の下に感じる筋肉。


 初めての時よりも、何故か熱が上がるのが早い。蒼の熱に釣られて自分の熱が上がっていく。

 肋骨あたりに手を差し込みながらじっと顔を見てる蒼を観察する。


 動き回る手に合わせて何度か律動する体。

 あたたかい。

 瞳を逸らさないまま見つめられ続けてる。


「そんなにじっとみて、どうした?」

「昴が何を考えてるのか、見てる…」

「ふぅん?」




 柔らかい双丘に手を伸ばし、優しく撫で回す。俺も蒼が何を考えてるのか、知りたい。

 努めて優しく刺激を与えると、鎖骨から首筋に向かって肌が赤く染まっていく。


 元カレとやらが蒼の本当の魅力を知らないままだったのかと思うと口の端が勝手に上がってくる。今のところ知っているのは自分だけだ。


 囁くような音を聞きながら、胸の真ん中にキスを落とす。

 頭の上から蒼が俺を見ている。

 俺は下から見上げて、だんだん蕩けていく琥珀色を見つめ続ける。



「……はぁぁ…」

 

 長くて甘いため息が落ちて、蒼が瞳を逸らし、口を抑える。片手でその手を避けて、唇を唇で塞ぐ。

 両手が首の後ろに回ってくる。

 求められるように絡みついてくるそれがじわじわと熱を広げていく。


 蒼が自分を欲してくれていると言う事実が胸の中の空っぽの器に一滴、一滴と甘い蜜を満たしていく。


 もっと、ほしい…もっと…。

 甘い蜜がもたらされるたびに欲望が強くなる。顎に親指を添えて、蒼の口を開く。


 そこにむさぼりついて、口の端から雫がこぼれるのも気にせず熱を分け合う。

 深く重ねられる角度を探して、何度も離れては重なり啄むような触れ合いを交えて、新しい熱を与える。

 与えられたものを飲み込む音が聞きたい。


 唇が離れると、その度に名前を呼ばれて。

 密やかな囁きが、呼ばれる自分の名前が違う言葉に聞こえてくる。


 俺が口にできない、その言葉を。

 蒼がまだ言えない、と言った心を。

 唇を離すと、間近で瞳が開く。



 本当に琥珀みたいだ。

 綺麗に澄み切った、優しい蜂蜜色の瞳。


 ゆらゆらと揺れたその瞳から涙が溢れる。




「きれい…瞳の中に夜空がある…星がたくさん瞬いて、本当に夜の星みたい。何てきれいなんだろう。

 あなたの目の中に昴が見える。

 たくさんの星を抱いて、瞬く、綺麗な昴が」


「そんな…綺麗な物じゃない。俺は犯罪者で、ずるい男だ。蒼を大切だと言いながら何も言わずにこうして君を貪っている」




 暖かい両手が頬をそっと包み込み、胸元に導かれる。胸の鼓動が耳の奥に響いてくる。

 優しい音。規則的なその音に、俺の心音が重なっていく。


 蒼が…好きだ。

 出会った時から、ずっと。

 きっと、蒼もそう思ってくれてる。


 それでも、俺たちはそれを口にできない。


 怖いから。

 背負うものの全てが、その一言で壊れてしまう。崩れてしまう。




「昴、私のことたくさん使って、あなたの役に立てて欲しいな。私自身も頑張るけどまだ使い方がよくわからないの」


「ダメだ。蒼は守られるお姫様なんだ」


 細い体を抱きしめて、顔を胸に埋める。頭を抱えられて、蒼の中に沈んでいくような感覚になる。本当は、このままここに閉じ込めたい。ケイにもチヒロにも触らせずにずっと俺だけの世界に。


 


「お姫様はやだよ。チヒロやケイみたいに昴の横に立ちたい。同じところを見て、お互いに信頼し合って、助け合って行くの」


「犯罪組織だぞ」

「構わないよ、昴と一緒なら。傍にいたいな」


 甘い言葉が俺をぐずぐずに溶かしていく。なんて甘いんだ。本当に溶けてしまいそうになる。

 瞳を瞑り、強く抱きしめる。




 しばらくすると、すうすうと静かな寝息が聞こえてくる。

 しまった。俺は据え膳をいただくチャンスを逃した。


 そっと顔を上げて蒼を覗き込む。

ほんのり微笑んだまま俺の頭を抱えて、すやすや寝てる。


 閉じられた瞼の蓋を飾っている雫を思わず吸い取って、その瞳が僅かに開く。


「すば…る」



 小さな声に微笑みを返し、ため息を落としてボタンを閉じていく。

溜まりに溜まった欲望を吐き出したかった。それだけのはずだったのに。


 どうしてこんなに満たされているんだろう。


 腕の中に蒼を閉じ込めて、引き寄せる。

 すっかり聞き慣れた規則的な呼吸音にうっとりしながら暖かな闇に引き込まれ、意識を手放した。



━━━━━━


 ケイside





「田中花子さん~」


 蒼と二人で医院の長椅子に座り、ぼーっとしてる。看護師さんが患者を呼ぶ声、さわさわと人の喋る声が待合室に満ちている。

 今日は護身術と毒の勉強をする前に、蒼の診察に来ていた。


 都会の影にひっそりと佇むここは組織の息がかかった病院だ。

 外見が小児内科のため子連れの親子がたまに訪れる位で、収入としては期待されていない。

 銃創、切り傷、刺し傷、普通の医者に行けば通報されるから、俺たちの家業の治療や処理をするのが目的で作られてる。

 本来小児科医なんかやるべきじゃないだろうけど、外部の人間を出入りさせないとカモフラージュにならないから。仕方ないとはいえ、小さな子が椅子に座っているのを見ると複雑な気持ちになる。




 ちっちゃいな…。

 夫婦に挟まれた小さい子は幸せの塊みたいな顔してる。蒼も小さい子を見てる。蒼の子なら、可愛いだろうな。


 バカな考えして、なんなんだ俺は。

 髪をかきあげ、耳のピアスを弄る。

 たくさん付けられた俺の縛り。呪いみたいなピアスの重みが、俺をこの世に引きとどめている。

 何もかも、くだらないと思っていたのに…。



 

 パタパタと、走り寄ってくる足音。


「ちょっと、偽名使ってんだからちゃんと反応しろ!」

「あっ!やば…呼んでた?」




 看護師さんが腰に手を当てて怒ってる。

 眉毛の上でまっすぐ切り揃えられた黒髪に長いお下げ。大きな黒い目に黒縁メガネ、気の強そうな顔。

 この子も組織の幹部メンバーだ。



「まったく、しっかりしろ。…こほん。田中さん、先生の診察ですよ~。こちらへどうぞ。旦那さんもご一緒にね~」


「はーい」


 


 優しげな声をしてるが、こいつは後片付けと医療部門のトップだ。都合の悪い死体を最終的に足のつかない状態にする構成員。

 常に真っ黒なクマを抱えて、目が淀んでる。

 看護師ってキャラじゃないけど上っ面を繕うのが上手い。

 

「えっ、田中さん??」

「そう。いこうか、田中花子さん」

「なるほど…了解しました」



 蒼が一瞬ハテナを浮かべるが、瞬時に納得して椅子から立ち上がる。

 

 なーんか今日は、妙な色気があるな。

 髪の毛を斜めにまとめて、青いリボンで縛ってる。この青、ボスの目の色だ。また買ったのか?

 昨日ボスに手出しされたかな。動くたびに匂い立つような色気が放出されてる。

 

 ボス、相当執着してるよ。

 まずいと思いつつも、このまま組織の人間になってしまうなら…蒼を殺す必要がなくなる。

 その事実に安心してしまう。俺もヤキが回ったかな。



 

「よろしくお願い致します」

 入り口でノックして、扉を開き、折目正しくペコリと蒼が頭を下げる。


「よ、よろしく??」

「…挨拶された…」

 

 礼儀正しい患者に医者と看護師が驚いてんじゃないよ。

 ドアをしっかり閉めると、看護師も人の良さそうな顔を収め、同じ黒縁メガネをした医師も目つきが鋭くなる。もちろんこいつも組織の人間だ。




「蒼さんだったかな。私は組織専門の医者をしてる、東条といいます。頭を下げなくていい、君はボスの直属で私たちより立場が上ですから」

「そ~そ~。アタシは死体処理専任でやってる。コードネームでいいよね、コープシングっての。よろしくぅ」


「は、はい。えっ?私の立場が上??コープシングさんはスラングですか?」


 くつくつと笑いながらコープシングが机の上で足を組む。


「そう。あんたボスのお人形さんだろ?珍しいよ。こんな事は初めてだ。スラング知ってんの?」


「コープスは英語で死体、死骸を意味します。コープシングはブレイキングと同じ意味だったと記憶しています。ブレイキングはアメリカ、コープシングはイギリスのスラング。どちらも思わず吹き出してしまう、などの意味で使われます」


「ほーん、物知りだね。それに可愛いな。ぱっと見の美人じゃなくてじわじわくるタイプだ。こりゃハマったら大変だなぁ。大丈夫なの?サード?」


「うるさい。さっさと診察してくれ」

「ちぇっ。東条、血液検査の結果とその他諸々データ出して」

「はいはい。」




 コープシングがレントゲン写真を見ながら鼻歌を歌って蒼に聴診器を当てる。…服の上からなのか。そうか。残念に思ってしまう俺の不束な思惑を知って、ニヤリと嗤われる。ほっとけよ。


 

「主治医の方はコープシングさんなんですか?」

「そだよー。こいつヤブ医者だから」

「ヤブとは失敬な。始末専門なんですからわざとですよ」

 

「ヤブじゃん。目眩しとはいえ子供の風邪薬しか出せないから小児科するしかないんだよ。反省しろ」

「はーいはーい」


 のんびりしたやりとりにびっくりしてる蒼。東条が医師免許持ちだからこうなってるけど、医療の実力はコープシングの方が上だ。なんで看護師免許しか持っていないのか訳わからないけど。

 ウチの組織は癖が強い奴ばっかりだ。




「で、どうなんだ?」

「問題があるといえばある、ないと言えばない」


 電子カルテにサラサラとタッチペンで記入しながらチラリ、とコチラに目を向ける。


「いいよ。この子は外に情報流すような人じゃない」

「へぇー。サードまでたらしこんでんのかよ。蒼ちゃんすげーな」

「ふざけてないでさっさとしてくれ。忙しいんだ」



 へいへい、と呟いたコープシングがレントゲン写真をあかりのついたボードに差し込む。

 パソコンの画面にMRIの画像を表示した。


「人間としてなら健康体、なんだけどさ。蒼ちゃん記憶ないんでしょ。脳みそがいじられてんのが原因で記憶喪失なんだろうな」


「いじられてる?」


 蒼の表情は変わらない。能面の様なポーカーフェイスだ。この顔って、最初に出会った時の顔だな。





「ファクトリー出なのは間違いない。遺伝子レベルの調整が入ってて、人間だけどいじられてるのはヤバい医者ならすぐわかるレベル。

 肉体強化、精神安定、知能向上、特異なものとしてはカメラアイかな。脳みそが特に重点的にいじられてる。普段の記憶力が異常にいいのはそれだよ。記憶喪失も作為的なものさ。

 他は基本的ないじられ方はしてるね。育てりゃ立派な兵器だ。

 ただ。大きな問題が一つ。血管の劣化が見られる」


「劣化?どう言うことだ」

「私、スクラップ、と言われてました」


 蒼がぼーっとしたような顔で呟く。

 何か思い出したのかな?




「何かのきっかけがあればこうやって断片的に思い出すんだろうな。他に何か浮かんでくるかい?」


「他は、特には…」


「ん、そんなもんだろ。おそらくだが脳の一部が機能してない。特に、生命維持についての機能が不足してるよ。その結果、現在血管の劣化が見られる。

 朝起き上がれないのは、夜寝た時に内臓が眠って機能が落ちて血流が悪くなるから。行為までは行かなくても、準備段階までしてあげれば多少マシになると思うけど。今朝は起きれただろ?」


「は、あ、はい、あの、はい…」



 真っ赤になって答える蒼。あー、やっぱしたのか。そうか。

なんで俺ダメージ受けてんの。マジでわからないんだけど。


「最後までしてないだろ。寸止めか?該当部位の充血はなかったからな」

「ひぇっ、はい、そうです…」




 顔を覆って、耳まで真っ赤になってる。

 あ、寸止めか。ならいいや。ならいいやってなんだよ。


「とりあえず何でもいいから血流良くしてよ。寝る前にしっかり風呂に入るんでもいいし、今回みたいに刺激的な寸止めでもいいよ!わはは!」


「は、はい……」

「今のところ伝えられるのはそんくらいかな。あ、そうだ!東条、尿検査忘れてたんだ。ちょっと案内してやって」


「はいはい。蒼ちゃん、いきましょうか」


 机の上でコープシングが『止まれ』のハンドサインを出してる。…嫌な予感しかしない。


 


「すぐ終わるだろうからここで待ってるね」

「は、はい!行ってきます」



━━━━━━



 蒼と東条が連れ立って診察室を出て行く。

 足音が遠かったのを確認して口を開く。


「なんだよ」

「…あんたら、あの子に入れ込みすぎるな」


 真剣な顔つきになったコープシングが睨んで来る。これが言いたかったのか。




「理由は?」

「もともと外部の人間だろ。それだけでも十分だ。トップスリーがそこまでべったり付き添うなんて前例がない。組織中で問題になってんだよ」


「くだらない、そんな事どうでもいいだろ。…本題は?」




 コープシングの茶番を崩し、こちらからも睨みつける。

 眉を顰めて、わずかに揺らぐ瞳。…なんだ?こんな顔するなんて…。


「あの子、長くない」

「…は?」



 

 思わず素で返事を返し、コープシングの虚な瞳を見つめた。

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