第16話 求められる熱
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昴side
「んぅっ」
体を洗うために両手を肌の上で滑らせると、蒼がびくりと跳ねる。
くすぐったがっているだけだが、これは声の暴力とも言える。
「あのな。流石にそんな声を出されると他意が出てくるぞ」
泡立てたボディーソープをゆっくり体に広げると、蒼が頬を赤らめて振り向く。
「だって、そんなそっと触られたらくすぐったくて…うぅ」
うーん。これは本当に危険だ。
ホテルでマッサージした時もよく耐えたと自分を褒めたくらいなのに。
蒼の声が好きだと思ったのはいつからか覚えてないが…こんな声を聞いたのは自宅に連れ込んだ日が初めてだった。
毎日同じベッドで寝ているのに、俺は手出しできずにいる。色んなものが蓄積して限界を迎えそうな現在には…大変危険な材料としか言えない。
手袋を忘れた時づいた時点で何故戻らなかったのか。
あの時の自分を殴り倒したい。
くそっ!!こうなったら!
「はーっ。2.3.5.7.11.13.17」
「え?素数??どうしたんですか?」
「敬語になってるぞ。19.23.29.31」
「な、なんで?ひゃっ。」
「くっ。37.41.43」
「あはは!なにこれ!おかしいっ!」
やめろ。笑うな。必死に素数を数え続ける。先人の智慧だ。
これで煩悩が散るはずなんだ!身体の隅から隅まで洗い終えて、シャワーで流していく。
「よし、できた。お湯に浸かっててくれ」
「はあい、昴さん、ありがとう」
「呼び捨てでいい。なんだかカジュアルな喋りだと、さん付けに違和感があるな」
「そうかな。じゃあ昴?」
「そ、それでいい」
くそっ。不意打とは卑怯な。
自分の頭をガシガシ洗って、煩悩を振り払う。
「すばる、昴、スバル、SUBARU」
「連呼しなくていい!最後のは車だろう…」
「よくわかったね。良いなぁ。私もTOYOTAとかNISSANとかHONDAとかMAZDAになりたいなぁ」
「残念ながら俺は
「何で昴の苗字の話?わぁ、でも素敵だなぁ。明星昴って。」
「条件反射だ。…名前の由来も何も知らないが」
しくじった。苗字の話をするなんて口説いてるみたいじゃないか。
蒼ははてなマークを抱えながらお湯に沈んでいる。うん、この場合は鈍くてよかった。
「昴はプレアデス星団の事だよ。古来から親しまれてきた和名だから日本人以外でも知ってるし。音が聞き取りやすいし。
プレアデス星団は7個くらいしか見えないけど、本当は百以上の星が集まっていると言われているの。
それらを統一しているという意味で王者の象徴なんだって。」
「よく知ってるな?仰々しい由来があったものだ」
王者、か。俺には縁のない言葉だ。
捻くれ者ではぐれものの俺には。
「昴にぴったりだと思うけどなぁ。そしてスバルの由来を知らないなんて車オタとしてはありえない」
「ああ、そう言うことか。あのエンブレムにはその由来があるんだな」
「そう。正しくは七つじゃなくて六つの星だけど。群馬県に始まった会社六つが合併して、エンブレムの
車だけじゃなくて、飛行機のエンジンはスバルの代名詞である水平対向エンジンが殆どなんだよ。すごいメーカーさんなんだから」
「ううむ。オタクですまされる知識なのかそれは」
自分の体を洗いながら浴槽を動き回る蒼を眺める。
なにも知らなそうな無垢な顔をしているのに、掘り起こすとなんでも知ってるし、なんでも出てくる。
困ったものだ。予測ができなくて、完全に振り回されてしまっている。
「私なんかペーのペーだから。私の推しはもっと沢山知ってる。推しとロータリーエンジンについて語りたいなぁ」
「ああ、そのロータリーエンジンを積んだRX7だが、土間さんが譲ってくれるそうだぞ」
「えっ!?」
蒼が驚いてる。いい顔だ。
大変気分がいい。たまには驚かせないとな。
「昨日電話があってな。あれは土間さんの個人所有の車で、本人が納得できる人がいたら譲ろうと思っていたらしい。蒼に乗って欲しいと言っていた」
土間さんは本来かなり気難しい人だ。
ひょんなことから助けることになったが、あの人の何事も貫き通す姿勢はさすがプロだといつも思う。
技術や知識がある人は難儀な気質持ちが多い。
そんな彼がベタ褒めして愛車を譲りたいとまで言われて、正直驚いた。
難しい設定にしていたRX7…FD3Sを難なく乗りこなした蒼を相当気に入ったようだ。
あんな運転されたら、ただ見ていた自分もそう納得する。
「ほ、ほ、ほんとに!?私のFD!?」
「そうだな。蒼のものだ。週明けには届く」
「わああ!!!」
ざばっとしぶきを上げながら立ち上がり、顔を隠してる蒼。
顔以外丸見えなんだが。いいのか?
「私の!私のFD3S!!!ああぁーー」
再び勢いよく湯船に沈む蒼。
お湯が減っているからちゃぱん、と音を立てるだけだ。
そんなに嬉しいものなんだな。
スバルスバルと言っていたのにMAZDAに乗るのか。そうか。若干嫉妬を覚える。
「よっぽど好きなんだな」
「はいっ!!」
体を流して、浴槽に沈む蒼に手を差し伸べる。
「本当にのぼせるぞ?」
「ごめん、のぼせた…」
真っ赤な顔で蒼が苦笑いしている。
仕方ないな。
「ふ、手のかかるお姫様だ」
「えへへ。」
お互い微笑んで、お湯の中から蒼を抱え上げた。
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「大丈夫か?水を持ってきた」
ベッドに横たわり、頬を赤くしている蒼がのっそりと体を起こす。
長い髪がサラサラと顔にかかって、それをかきあげてる。
なかなか…良い仕草じゃないか。
「すみません」
「敬語」
「このくらいいいでしょっ!お水くださいっ!」
プルプル震えてる手が伸びてくるが、パタリと力なく落ちて、体もそれに倣ってぽすんとベッドに転がる。
「自分で持つのは無理そうだな」
「無理。プルプルしてる」
うん。無理なら仕方ないな。
背中に手を回して、横から抱き抱えてペットボトルを口に寄せる。
「うう。介護してもらうなんて」
「介護とか言うな。飲めるか?」
蒼に触るたびにドギマギしてるのは俺だけか。
唇にボトルの口をくっつけると、ぷにゅっと形が変わる。一生懸命飲もうとするが溢れて上手く飲めないようだ。飲ませる側もうまくいかない。
「難しいな。吸飲みでもあればいいが、流石にないんだ」
「普通はないよねぇ…うう、喉渇いた」
吸飲みもないし、水分を取らなければのぼせた蒼の体調が悪くなるし。どうしたものか。
「昴、飲ませてほしいんだけど、その…」
蒼が顔を隠しながら、口移し、と言葉にする。
まさか蒼から言ってくるなんて思ってなかった。自分にしてくれと言われて感動しながらペットボトルの水を含み、蒼に触れて水を口移しで注ぐ。
こく、こく、と嚥下する音が自分に熱をもたらすのがわかる。
「ふぁ。もっと下さい」
「うっ…わかった」
何度か繰り返し飲ませて、唇をそっと離すと蒼がじぃ、と瞳を見つめてくる。
熱のこもった、まっすぐな視線。
「どうして、しないの?」
「な、なにを?」
「…キスしか、しなくなった」
下唇が少しむにゅ、と飛び出してる。
もしかして拗ねているのか?
「その、合意なしにはできないと言うか」
「最初の日はしたのに」
「すまん」
「昴はその、そう言う欲はないの?」
「無いわけないだろ。俺だってお年頃だ」
「じゃあどうしてしないの?」
「……」
突然グイグイ来たな…酒は入ってないはずなのに、突然どうしたんだろう。熱に浮かされたか?
ペットボトルの蓋を閉めてサイドボードに置き、蒼を寝かせて布団に入る。
当然のように寝ているが、なぜ嫌がらないんだろうな。自分の頭の中にははてなマークが満杯だ。何が起きてるのかわからん。
「したいなら、そうするが」
「そうじゃなくて。どうしてかな、と思って」
体ごと向き合って、間近にある顔にドキドキしながら会話をしている。
家に連れ込んだ初日に酷い目にあったのに、こんな状態になると思っても見なかった。どこまで予想を超えてくるんだろう。
まるで学生の頃に戻ったみたいに、お互い目を合わせて鼓動が早くなっていく。
「本来は恋人がするものだろう。蒼が嫌ならしたくない。傷つけたくないんだ」
「どうして?」
うっ。なんで今日はこんなに追求が厳しいんだ。じっと見つめられたままの目が澄み切っているのがやましい心に痛い。
「蒼が大切だから。無理に、したくない」
「大切って言うのは、好きとは違う?」
「そう言われると、答えられない。俺はっきりしたことは言えないんだ。……すまない」
蒼が目を閉じて、なるほど、そう言う答えになるのか…と呟く。
頭の中の考えが蒼はよく口に出る。
何を考えてるんだろう。言うべきことはわかるが俺は答えられないし、正直なところ蒼が欲しがっている言葉の真意を持ち続けてはいる。
組織のボスなんてやっていて、まだ伝えていないがさらに大きな秘密を抱えている。自分自身がすでに危うい状況下にあり全てがはっきりしていないまま何もかもを蒼に注ぎ込むことはできない。
このままでは蒼に何も言えないし、責任が持てない。…なんて酷い男なんだろうな。
「俺は最低な男だとわかってはいる。」
「そう…?私がお付き合いした人はもっと酷かったと思う」
はっ!?そう言えば、その辺はきちんと聞いてない。
初めてじゃなかったし、年頃の子なんだし、彼氏がいたとしてもおかしくはない。
「酷いとは?具体的にどう言う酷さだ?どんな奴だった?付き合うきっかけは?どんな付き合いをして別れはどうだったんだ??」
「すんごい…突っ込んでくるね。独立前のお客さんだったの。同い年だったかな?連絡先を渡されて、興味がなかったんだけど…成り行きで食事に行ったら、あれよあれよという間にそういう事になりましたとさ」
思わず頭を抱える。警戒心のなさは昔からか。
「拒否はしたのか?」
「うーん。多分?正直なところよくわからないまま終わってる。痛かったなーとしか。終わった後私一人で掃除したし気づいたらそばにその人がいなくなってたから」
「最低じゃないか」
どす黒いものが自分の腹の底に生まれるのがわかる。蒼のはじめてを奪っておいて、後始末もさせて朝までそばにいないだと?…人探しをする必要性が出てきたな。これは。
「今思えばそうだねぇ。でもその後付き合うことになって、それなりに楽しかったよ。
でも、私は彼に対しての気持ちがわからないまま。好きなのかそうでないのか考えても何にも浮かばなかったし、別れる時も相手の浮気だったけど悲しくもなかった。だから、昴とした時に…びっくりしたの」
「びっくり?なにが?」
蒼が顔を赤らめて言い淀む。
「その、色々準備してくれたし…そう言うやり方で、されたことがなかった。初めて知ったの…幸せな気持ちになれるって言うこととか、満たされて満足すると言うか…」
衝撃なんだが。どう言う意味だ?
恋人同士だったのに満たされない場面しかなかったと言うことなのか?
「乱暴だったのはそうかもしれないけど、昴は私の事をきちんと気遣って、優しくしてくれた。怪我もしなかったし、歩けなくなったのも激痛でじゃなかった。私の事をきちんと見て思い遣ってくれているって感じたから」
「そんなのは、当たり前のことだろう。蒼が経験したのは虐げられていただけだ。怪我までしていたのか…」
ふぅ、とため息をついた蒼が微笑む。
「だから、昴とするのは嫌じゃない。あんまり良くないことだとは思うけど、私としては心も体も満たされたのははじめてだったから。
だから、幸せに浸っていたのは私だけで、昔の私と同じ気持ちになっているなら…申し訳ないなって思ってた」
蒼の頬を指先でなぞる。
乾燥が気になっていた肌が、今は潤いに満ちている。
初日は出来なかったが、俺が勝手に世話を焼いて化粧水やらクリームやらを店員さんに言われるがままつけてるだけでも、こんなにツヤツヤしてるんだ。
蒼は自分を大切にしてこなかった。
少し手をかけただけでこんなに変わるのに。化粧なんか必要ないくらい綺麗だ。
頬に手のひら全体を添えると、それに寄り添って瞳が閉じられる。直後に少しだけ上がる瞼。伏せたままの目線で蒼の唇が開く。
「わたし、何となくわかってきた。
昴の事が特別なんだと思う。
あなたがくれる全てが過分なものと知りつつ、なに一つ手放せない。
私があなたの必要な物になればいいと思って、昨日も、今日も色んなことを勉強したいと思ってる。明日も、明後日も、きっとそうする。
何故なのかは、私もはっきりとは言葉にできない。形にできない。
もし、私が期待してる気持ちじゃなかったらって思うと怖いから。」
蒼の声が自分の一番柔らかいところに届く。お互い原因は違うけどはっきり言えない。
言葉や形、約束ができない。伝えられない。
それでも。
蒼の財布の中のメモが何故あんなに大切にされてるのかが、はっきりわかった。
俺自身は勝手に照れていたが、そう言う意味だったんだと確証を得た気がする。
「だから、ずるい大人になろうと思う」
「普通そう言う事を宣言しない物だが。この時点でもうずるくなくなっている」
「えっ?そうなの?どうしたら…」
蒼の唇を塞いで、囁く。
「こうすればいい」
ずるい気持ちで熱を求める唇を…もう一度重ねた。
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