第42話 夏の終わりの涙雨


昴side



「ひどいツラだな。一体何事だ」


 俺たちは幹部に仕入れた情報を伝達し、相良の元へ顛末を伝えに来た。確認も兼ねている。

 

蒼の両親に、真実を聞かねばならない。

 

 しっかりしなければと思っても…心も、体もうまく動かない。


 蒼は銀たちに任せてきたが、こうして顔を合わせても相良にどう言えばいいかわからないままだ。




「とりあえず座れ。どうせ蒼のことだろ?まったく。組織のトップスリーが聞いて呆れるよ。プレスリリースを見るからテレビ付けるぞ」


 ため息をつきながら相良がテレビをつけた。警視総監とお偉方が画面の中に並んで映っている。

警察との密な関係を結ぶ企業として、発表されているウチの組織。

 表向きの名前はあったが、社名は変えた。

 


「その、ゴールデンアワーという会社はどのような会社なんですか?」

「会社組織としては傭兵集団のようなものです。戦争経験者、我々警察のSAT出身者もおります」


「警察の権限を与えるという事でしょうか?」

「警察官ではありませんので、我々と協力してもらう言う形ですよ」 


「武器を所持しているという事ですか?」

「基本的として法律遵守ですから、本物を持っているのは警察の人間だけです。ハハハ…」


 嘘八百だ。傭兵は正しいかもしれないが、全員正規の武器を所持してるシンジケートだから。

 これで蒼の言っていた保証が終わったな。俺たちの将来も、危ない仕事をするとはいえ綱渡りからは解放された。

 蒼の改革提案書類にあった犯罪から手を引く、という形になるだろう。

もう誰も蒼に対して敵対心を持っていない。組織は蒼によって一つにまとまっている。




 新しくつけた会社名のゴールデンアワー。それは朝焼けの色、夕焼けの色両方のことを示す。

 

 千尋が言っていた、蒼の人となりを表す色だ。

 

 夜明けを告げる朝の清い青と、夕暮れの優しい朱を持っている。綺麗なままで、全てを受け入れて内包してしまう。絶望を断ち切り光を与え、優しい色で染めていく。


 蒼は…そういう人だ。

新会社は蒼あってこそに、なる筈だった。




 力が抜けて椅子座って項垂れた俺たちを眺め、相良がトントン、と机を叩く。

 蒼が会議の時に使った合図。落ち着け、という意味だ。


「それで?何があったかそろそろ吐いてくれ。私も気が気じゃない」


 相良が珍しく焦っている。

お前も蒼のことが好きだったな。みんなが蒼を愛しているんだ。




 深くため息をついて、重い口を開いた。



 ━━━━━━


「まずは…事実確認からだ。我々の基本だろう。…クソっ…」


 話を聞いた相良が蒼白になって立ち上がる。俺たちものろのろと立ち上がり、相良が会議室のドアを開けた。


「…総監」

「聞こえたよ。私も行こう」




 俺たちに負けず劣らずな顔の田宮総監が立ち尽くしていた。

 全員で静かに廊下を歩く。

 頭の中には何も、浮かんでこない。


 心の中、静かに凪いだ水上で蒼が立っている。その柔らかい笑顔が俺を満たし続けてくれる。 

 ……ずっと、そのやさしい顔で。


 本当に天使だったのか?蒼。

俺たちに幸せだけ与えて、去っていくのか…?


 胸の中の蒼は答えない。

 硬く目を閉じて、涙を押し込む。





「あれ?どうしたんですかみなさんお揃い…で…」

「千木良、すまん…」


 笑顔で話しかけてきた千木良が呆然とする横を通り過ぎ、俺たちは悲しみの渦に飲み込まれていった。



 ━━━━━━




 警察庁の管内に建てられたプレハブ。

 たくさんの試験管、ビーカー、いかにも研究室と化したそこに佇む二人。

 真っ黒なクマを携えて虚な目がこちらを見ていた。


 顔に表情がない。双眼鏡で見たファクトリー内部の研究者たちは、皆一様にこうだった。




「すみません。……チップの事を…伝えていませんでした。仰ったことは事実です」


 全員が息を飲む。

目を瞑った白衣の二人がふらついて、椅子に座った。




「伝えなかったのは何故ですか?暴走するまで生きたとしても寿命は同じ……テロでも起こすつもりだったのですかな」


 総監が厳しい顔で問うている。

 俺たちはもう、口すら動かない。

 感じたことのない深い絶望が心を染めていく。


 

「違います。チップは…無効化する方法が一つだけあるんです」


 千尋が立ち上がる。


「どうやって?!」


 ご両親の顔が僅かに歪む。


 


「脳の、データを移すんです。研究はそこがゴールでした。」


「元々の研究はボスの脳データを子供達に移し、体が寿命を終えそうになったらまた挿げ替える、それが最終目的で……。

 脳にデータを移された子供は自我がなくなります。使う体はDNAをいじる必要があり、その結果30年までしか生きられない子供達が沢山ファクトリーに居ます。」


「脳の…データ…?」


 二人の瞳に狂気の光が宿る。


 


「人間は心も意志も、全てが脳にある。脳のデータは全て電子化でき、それを移せばその人が新しい体で生まれる。何度も繰り返せば永遠の命になります」

「体の時を止める薬もそのために研究していました。30年よりもっと長く、その体が生きれば移すデータも擦り切れることはないんです」




 千尋が肩を落として丸椅子に座り込む。


「そんな事…蒼がしたいと思う筈もない…」


「あなた達は正しく研究者マッドな訳だな。ますますファクトリーは潰さねばならない」


 相良が怒りに打ち震え、拳を握りしめる。


「蒼は、子供達を仲間だって言っていた。その子達を犠牲にしてまで、生きたいなんて絶対に思わない。…他に方法は、ないんですか」


 慧の言葉に二人の目の光が消えていく。ないんだな。他の手段は。


「あの子は…ひどい実験をする私たちに、優しくしてくれました。オートミールに入れる砂糖をあげただけなのに…頓挫した研究に怒り狂って、組織の人間が振るう暴力の盾になって…守ってくれたんだ!」


 男性が握った手を打ち下ろし、机の上のビーカーが跳ねて床に落ちた。

粉々に割れたガラスが日差しに光を反射してキラキラ光る。


 


「優秀な子でした。何もかも完璧で、優しくて、頭が良くて…ボスの器として最後まで育成されていました。

 しかし、その優しい心がなくならなかった。スクラップが決まった後に、あの子が守ってくれた研究者達で一丸となって蒼を逃しました。

 私たちは成人を待って、蒼を手放した。

 冷たく突き放して、私たちを忘れて自由に生きて欲しかった。あの子が最後に人を殺すことになっても、名前の通りに、自由に…」


 女性が両手で顔を覆って、机に伏せる。肩が震えている。


 


「どんなに酷い実験をされても、血溜まりの中で私たちを見て微笑んでいた。

 傷だらけの手で私たちの受けた暴力の跡を撫でてくれた。

 『痛かったでしょう?助けられなくてごめんね』と…いつも、いつも。

 そんな子が…また私たちの元へ会いにきてくれた。自由に羽ばたいて恋人を見つけて…子供を作るとまで言ってくれた。

 だから、言えなかった。もう脳のデータを移すしかないとわかっていながら、他にも方法がないか、チップを壊せないか……。ずっと、探っていたが…方法が見つからない…」




「蒼は…昔からそうだったのか。でも、チップがある限り、最期の時は伸ばせないんですね」


「蒼さんは辛い思いをして生きてきたのに…あんな風なんだな。すごい人だ。言葉では言い尽くせない。」


 相良と総監二人が項垂れながら呟く。



 


「…蒼に、伝えるべきだ」


 相良が涙に濡れた双眸でこちらを睨む。強い光を宿したその目に思わず怯んでしまう。



「蒼の命は蒼のものだ。こうなった以上彼女に残された時を、思うままに生きてもらうしかない」

「…相良、流石に時間を置くべきでは無いか」


「残り5年も無い蒼の時間を削ることが許されると思いますか?あの子の時間を無駄に消費する事なんか…私が許さない…」


 相良の黒い瞳からボロボロと大粒の涙が溢れてくる。顔が赤くなり、眉が顰められる。


 

 

「どうしてこんな研究をした!

 蒼が…どんなに尊いのか知っていて、それを冒涜するような事をして…それを知った蒼がどんな気持ちになると思う?

 蒼は自分よりも他人を大切にする人なんだぞ!蒼の愛情を受けながら、どうしてそれがわからないんだ!

 お前達が研究をしなければ、蒼にチップを埋めなければ、彼女は苦しまずに済んだ!!!」


 総監が机をトントンと叩く。

身についた習慣で、相良の激昂がぴたりと止まる。



「この人たちのせいでは無いだろう。大元の病気で死にそうなボスのせいだ。全てはそこへ集約する。

 今、彼らを責めても何にもならない。相良らしくも無いな」


「…申し訳…ありません」



「涙を止めてから言え。…お二人には申し訳ないが、研究は終わりです。警察庁で身柄を拘束させていただく」

「「はい…」」


 総監が二人を連れていく。三人ともがっくりと意気消沈している。


 


 「…帰ったら、伝えるんだよな」


 相良が目元を赤くしながら、睨んでくる。鋭い目つきが俺たちを貫く。怒りがおさまっていない。

 

「情けない。私が教育した者達とは思えない。しっかりしてくれ」


 俺たちはただ項垂れるしか出来ない。

 どうやって浮上すればいい。蒼に伝えなければならないと分かってはいても、自分を引き上げられないんだ。



 

「ふぅ…喝を入れる場面じゃないな。今のお前達を殴っても私が虚しいだけだ。

 自分の感情だけで精一杯とは情けない。お前達がやるべき事を思い出せ。

悲しみに沈む事でも、諦める事でもない。蒼のために戦う事だ」


 言葉を切った相良が大きく息を吸う。

強い炯眼けいがんが相良の意思を形として伝えてくる。


 

「私やお前達が流す、自分のための悲涙に一片の価値もない。無駄な時間を過ごして蒼の生きる時間を無為なものにするな」


 言葉が、俺たちの中で粉々に割れて破片が突き刺さる。

鋭い痛みに、ただ歯を食いしばる。

 

 ふと、厳しい視線が和らぐ。労わるような、優しい顔だ。相良は昔からこうだったな。

 飴と鞭の使い方が上手い。人をうまく動かして統率して…それでもトップとして先陣を切り続ける。

組織の上に立つ人間として信頼できる人間だった。



「…気持ちはわかるよ。あの子を失うのは私も悲しい。だが、今は生きている。これから先そんな悲しい顔を見せて、蒼を傷つけるのはやめてくれ。幸せな笑顔にしてあげてほしい。お前達なら出来るはずだ」


「「「…はい」」」


「蒼にはちゃんと話してくれ。それが彼女のためだろう。

蒼だけは、自分のために泣いて欲しい。そうさせてあげられるのもまた、お前達だけだ」


 悲しい笑顔を残して、相良が去っていく。

 



 四人を見送って、目を瞑る。

 頬に一筋、涙が流れた。

 これが最後だ。蒼を失う俺たち自身への……最後の、涙。


 手のひらに落ちた涙の粒をギュッと握り締め、立ち上がる。



 

「行こう。蒼に…伝えよう」

 

 涙を拭った慧と千尋が頷く。



 この場所に来た時、晴れていた空は曇天に変わり雷鳴が響き渡る。


夏の最後の涙雨が、俺たちを濡らして行った。





 

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