第8話 記憶の欠片
「そ、それで、その後は?」
「はい!肩と背中を重点的にさんざん揉みしだきました!」
「ぶはっ!!あははは!!ひぃーー!!」
わぁ。ケイが爆笑してる。
周りの人もちょっと笑ってるけど、そんなに面白かったかな?ただマッサージしただけなのに。
「ラーメン屋さんで話す話題じゃなかったですかね?」
「ぷくく。いや、そんな事は無いけど。はーヤバい。ボスが振り回されてんのウケる」
「振り回したつもりはないんですけど…」
ケイがニヤリ、と笑う。
振り回したことになるのかな?うーん、わかんない。
「ちなみにその服装は折衷案って事?」
私の服をケイが涙を拭きながらつついてくる。
だって何故か黒を着ろって言われたから着ないわけにはいかなかった。
今朝になって黒い服を出してみたものの、どうやっても高いものしか無かったから。
昨日チヒロが買ってきたグレーのワンピースに黒いガーディガンを羽織ってきた。
さっき買ってもらった靴も黒にしてもらったし。これで不機嫌になる事はないと思いたい。
靴を買いに行ったのは私も知らないメーカーさんだったけど、お姫様抱っこで入店したのは私くらいだろうなぁ…すごく恥ずかしかった。
でも、これでお出かけにも困らないからいいの!そう思うしかない。
それよりラーメンですよ。早く食べたい。
思いっきり啜って、汁が飛ぼうと問題ない服を着なきゃダメなのは楽しみたいから!
「ラーメン食べるのに遠慮したくないですし。ラーメンに対する礼儀です。」
「ラーメンへの礼儀。なるほど。んふっ…」
ケイは笑い上戸なのかな?お酒は飲んでないけど。昨日の話をしだしてからずっと笑ってる。
「はい、中華硬めとチャーシュー麺大盛りね」
ホカホカのラーメンを細身の男性が運んでくる。この方があの有名な店員さん!背が高いなぁ…チヒロと同じくらいかも。
「ありがとうございます」
ぺこりとすると、無表情な顔に僅かに微笑みが浮かんだ。
あっ、笑った。えへへ。なんだか嬉しい。
「はー面白かった。そんじゃいただきますか」
「はい!いただきます!」
ここは煮干しラーメンのお店で、店内も煮干のいい香りに包まれてる。
古いお店だけど人気店だけあって人がいっぱい。
テーブル席は相席もあるみたい。
以前テレビで出た時は、店員さんが沢山の数の注文を正確に覚えてて凄い!ということで放映されていたけど。
「食券になったんですねぇ」
「時代の流れだねぇ」
ケイがラーメンに胡椒を振りまきながら苦笑いになる。
「分店も出来たらしいよ」
「へえぇ」
私も胡椒を貰って、少しだけ振りかける。
大きなお椀にに固めの麺、チャーシューとネギ、メンマが乗せてある、茶色いスープのオーソドックスなラーメン。
ケイのお椀、大きいなぁ。
ケイの中身も同じだけど、脂身の少ないしっかりしたチャーシューが沢山乗ってる。
フーフーして冷ましてからすすると、煮干しの旨みと複雑な味の出汁、醤油塩梅が効いた何とも言えない良いバランスのスープがワシワシ系の麺によく絡んでる!
「おいひい!」
「ん、うまいね。前は煮干しもうちょい強かったけどこれはコレで」
ケイが黙々と食べてるけど、啜っても啜っても麺が減らない。大盛りってこんなにあるもの?
「大盛りって何グラムなんですか?」
「400グラムだったかな?普通でも240グラムだけど、大丈夫?」
「400!すごい。大丈夫です!私お腹いっぱいにしておかないとなので」
「しておかないと?」
「あっ、しまった。えーと…」
「ふむ、なんかあるんだな。後で教えて」
「…はい」
しくじった。恥ずかしい私の謎の癖がバレてしまう。
しょんぼりしつつも、美味しいラーメンのおかげでご機嫌になってしまう私。
ラーメン食べたかった欲が満たされていく!!
━━━━━━
大きな車の助手席に座って、車の外を流れる景色を見る。
久しぶりとは言い難いけれど、私には車窓の外の景色がどこか変わってしまったように見えた。
乗ってる車はケイが持ってる個人の所有物みたい。SUV車だ。まさかポルシェとは!
タイヤも大きいし、中に入ると視線が高い。
ケイの勝手なイメージで賑やかな音楽がかかってるのかと思ったけど、かかっているのはクラシック。
内装が真っ黒でとってもシックだし、ほこりひとつない。コンソールにはサングラスだけが置いてある。すごいギャップ。
「それで、お腹いっぱいにしておかないとってどういう事?」
「…………。」
運転しているケイは厳しめの目付き。
怒っている訳では無い感じ。心配、してる?いいように考え過ぎかなぁ。
「お腹が究極に空くと、私何か変になるんです」
「変になるって具体的にどうなるの?」
「すごく恥ずかしいんですが言わなきゃダメですか?」
ちら、と私を見て苦笑いになるケイ。ここまで聞いてじゃあいいよ、とはならないよねぇ。
「出来れば教えて欲しいな。言わないで欲しいなら俺だけの秘密にしておくからさ」
「いえ。伝えておかなければいけないって事は分かってますし。あの、笑わないでくださいね。
お腹ペコペコになるとこう、抑えきれない悲しさとか、寂しさとかが溢れてきて泣いちゃうんです。」
「泣くって言うのはどのくらい?」
「お恥ずかしい話、お腹の空き具合にもよりますが…誰の声も耳に入らないくらい号泣します。泣きすぎて頭が痛くなるくらいです。
お仕事でお昼食べれないことがよくあったんですが、お客様の前でボロボロ泣いてしまって。酷い時は次の日起きられないくらいかな」
ケイの目付きが変わる。あれ、怒ってる?
「失礼な質問するけど、ごめん。蒼って虐待されてたとかある?」
同じ質問されたことある。その人は笑いながらだったし、ケイみたいにごめん、って言わなかったけど。
「その辺は覚えてないんですけど、多分そう言うのではなかったかと思います。親に対しての恐怖心や憎しみが私には無いので。
サロンで泣いてしまった時に、オーナーさんが心療内科に連れてってくださって。
寝っ転がって、45分間だったかな?目を瞑って頭に思い浮かんだことを話し続けました。」
「フロイトの精神分析だね。45分話し続けるのは心の中の無意識下にある抑圧された感情、記憶を意識化する作業だよ。自由連想法って言うんだ」
びっくりした。ケイの口から出てくる単語が聞いたことある物だった。
そんなに一般的な物じゃないと思うんだけど、私がちゃんと覚えてなかったから驚いてしまう。
「よ、よく知ってますね?」
「昔ちょっとね。俺がやったわけじゃないけど。解釈、いや話を聞いたお医者さんはなんて?」
「虐待とは違う何かがあったのは分かるけど、なんでしたっけ…お互い感情移入が起きずらくて理解を深められない、と言われました」
「転移と逆転移かな。話す側と聞く側がお互い感情移入したりするんだ。
怒りの感情があれば患者さんがお医者さんにその怒りを覚えたり、逆もあるんだよ。
分析の過程でキーワードを重ねて繋ぎ合わせ、仮説を立てて…こうじゃないか、ああじゃないかって話をしながら患者さんに自己分析を促したり、現実として何が起きているのかを認識させる。
心の中で答えを出すのは自分自身だからね。
精神治療って言うのは薬を出すこともそうだけど。心に寄り添って、現実を認識してもらって、患者さんの心の中を整理整頓できるように支えてあげることだから」
「なるほど…ケイってすごい。とっても素敵な考え方。優しい心が伝わってきます。」
赤信号で止まって、目線が合う。
真っ黒な瞳が僅かに揺れる。
「蒼ってさぁ…そういう所凄くいいよね。
素直に口に出すし、褒めるし、お礼言うし。人に勝手に色々言われてもすぐにプラスの言葉を口にする。
俺たちに対して初っ端からお礼言うもんだからびっくりした。恨み言言うのが普通なのにさ。
人の好意に対して、自分の感情を引きずらずにその部分だけ見て感謝の気持ちになれるってすごいよ、そういうの」
「えっ?そ、そうですか?ケイがいい人だからじゃないのかな?」
ふわりと優しい色をまとった瞳のケイが、ほんのり笑みを浮かべる。
「後で精神分析やった病院教えてくれる?」
「はい…。私、やっぱり変ですかね?
ご飯食べてれば大丈夫なのであんまり深く考えなかったというか、なんとも思って来なかったので話した時に毎回驚かれます」
青信号で車が動き出す。
前を向いたケイが真剣な顔で口を開いた。
「変って言うことはないよ。人ってのは多かれ少なかれ何かを抱えて生きている。
型にはめてこうじゃなきゃ普通じゃない、とか思わないよ俺は。
何かあって、生きることを諦めたら悲しいけどさ。蒼の場合気にもしてなかったんなら、そのままでいい。
この先俺たちとどこまで一緒かは分からないけど、俺がいる限りはそうならないようにする。ボスもチヒロも笑ったり、馬鹿になんかしない。
蒼が辛い思いをしないように、伝えてもいいかな?」
ほわほわ、心が暖かくなる。
ケイはわかりやすい言葉で私に真っ直ぐな気持ちを伝えてる。
きっと彼自身に何かあったんだろうな、と思うけど。話を聞いて、私に不安にさせまいとして大丈夫だよ、と伝えてくる。
やっぱり、いい人だ。嘘なんかついてない。
もう色々勘ぐるのはやめよう。
「はい。そうしてくれると嬉しいです」
「ん。わかった。話してくれてありがとう。蒼のこと、もっと早く調べよう。
全部が全部そのせいじゃないと思うけど、色んな事が過去の20年に詰まっている気がするなぁ。
わかったら、蒼は楽になれるんじゃないかな。ニコニコしてる方が俺は好きだな。そのために色々やらせてもらうからね」
「はい。あの…よろしくお願いします」
「うん」
ピアスが路面の段差を拾った車の揺れに合わせてシャラリと音を立てる。
ケイも、凄い人だ。
これから先のことを考えると思うところもあるけど、ケイがこんなに素敵な人だったなんて。昴さんも、チヒロもきっといい人だと思う。
そう思えるのが、嬉しかった。
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