第32話 希


蒼side



「もう一発殴るか。本気の歯形は許せん。血が滲んでるじゃないか。」

「賛成。千尋みたいに手加減しなかったんだから反省してもらおうね」

 

「ちょっと!ダメっ!たんこぶできてるじゃないの…」




 昴の頭を撫でながらローテーブルの上の書類を手に取る。

朝になって軽い食事を済ませてから事務所に来たんだけど、私の首や鎖骨についた噛み跡とキスマークを見て二人が昴にゲンコツしてきた。

 あれは痛い。私も散々経験してきたからわかる。




「蒼が撫でてくれるなら別に構わんが」

「もー。何言ってるの…」

 

 ソファーの向かい側で二人が怒ってるから気が気じゃない。

男の子だとじゃれ合いの範疇なの?わかんない。


「さて、ではスケジュールの確認からだ」




 昴の声に、一瞬で真面目な雰囲気になる。

 ちょっとドキドキしてしまう。 

ギャップ萌えが3人一気に来るのはなかなか堪えますね。


「蒼の記憶を取り戻すのが最優先だが、まず薬のデータを持って先にコープシングのところに行ってもらおう。

 俺と千尋は他で動かなければならないから蒼の事は慧に頼みたい。あいつ俺達が行くと臍を曲げるからな」


「いいよ。他にも聞かなきゃならないこともあるし」

「頼む。翌日組織内に会社の方向性を伝達。混乱は…どうだろうな。」



 

「俺たちが蒼にかかりきりで問題にはなってるらしいけど。元々大した向上心もないし仕事が変わらないなら大丈夫でしょ」

「根回しはしてある。一部反応があったが昴と二人で話をつけてくるさ」



「その後に一般公開か。俺たちには関係ないが…同時に諜報活動、ファクトリーの潜入調査、警察で計画を立案して壊滅作戦。こんなところかな」


「そうだな。警察も随所で絡ませなきゃならないからそこの取次調整は俺がやる」

「わかった。千尋に任せよう。…蒼」


 三人の真剣な眼差しが集まる。




「ん?」

「大丈夫か?無理しなくてもいいんだ。記憶を取り戻す事に、俺たちは不安がある」


「そうだねぇ…私もちょっと怖い。あそこで何をしてきたのか、されてきたのか。でもそんな事どうでも良いかな」


 はてなマークが浮かぶ三人に笑顔を返す。




「早く終わらせてハネムーンしたいの。蜜月?だっけ。付き合い始めなのにイチャイチャできないのは嫌だもん」

「「「……」」」


 わぁ、3人とも真っ赤っかになった。

 プシューって音がしそう。



「だからやることやって、しっかり処理しておかなきゃ。みんな協力して頑張りましょ。蜜月のために」

「「「……はい」」」




 問題はどうやって思い出すかかな。

 拳銃や他のことに関してはたぶんタバコの煙がキーポイントだと思う。

先生に教わったから、あの煙の匂いがあれば頭の中の記憶機関が動いてくれる。


 ファクトリーの中を思い出すのは、きっかけがわからない。

ふんわり思い出しているのはリノリウムの床、真っ白な壁、働いている人たちの白衣…あとは。


「お腹が空いて、泣くことになれば思い出せそうかなぁ」


 昴が手を握ってくる。

 心配してくれてるけど、これを思い出さないことには先に進まない。




「大丈夫、死ぬわけじゃないよ。

 ファクトリーの中でご飯を忘れられたり、お仕置きでご飯がなくなったりした時の記憶だと思うの。それがトリガーになって研究所の中を思い出せると思う」


「辛い思いをすることになるんだぞ」


「私より傍にいる人の方がきついと思うよ。でも、慧なら大丈夫かな。精神的な方面の知識が豊富だし、あの子の経験がきっと生きる。慧にお願いしても、いい?」




 黒い瞳をゆらめかせて慧が頷く。

 ごめんね、多分結構酷いものを見せる事になるけど。慧なら、受け止めてくれるって信じてる。



「あらかじめ食べ物は用意しておこう。無理だと思ったらちゃんと言ってくれる?」

「うん。よろしくお願いします」


 ぺこっと頭を下げると慧が重々しく頷いた。


 ━━━━━━




「はぁ?3人と付き合う?マジで言ってんの???」

「うん、マジなの」


 白衣姿のコープシングがレントゲン室で機械を調節してる。

両親からもらってきた私のデータをもとに、もう一度検査のやり直しをすることになった。




「はぁー。サードとくっついたのはいいけどさ。あの二人ともかい。あいつら警察だったんだろ?」


 コープシングは相変わらずのクマを目の下に抱えて、今日は看護師姿じゃなくて白衣を着てる。

背が私より小さいから、白衣を引きずってて…かわいい。




「そうみたいだね。コープシングは二人のこと嫌いなの?」

「組織を黒字にしてくれたのは感謝してるよ。でもな、あいつら甘いんだよ。トップが変わってから解体が減った」

「あー。」


 確かに。二人とも優しすぎるところがあるから。慧もそうだけど。




 踏み台に上がって、X線装置を胸に合わせる。ひんやりした機械の感触。左右にある取っ手に手を回して、息を吸う。肺の検査ってこう言うのもするんだねぇ。


『いいぞ。もうちょい吸って。息止めてー。おっけー楽にしてー』



 マイクから聞こえる声は先日よりもちょっと元気な気がする。

 資格はないけどレントゲン技師もできるし、医院の中の機械は全部動かせるみたい…。うーん、すごい。




「コープシングはなんでもできるね、凄いなぁ」

「あんたみたいに武器は使えないよ。ヤブ医者のゴーストやるくらいしか脳がない」

「どうして?人の命を扱うお仕事なんか誰にでもできることじゃない。私は尊敬してる」


 ふ、とキキは苦笑いしながら撮影室を出て、隣の部屋へ私を連れて移る。




「あんたが思ってるような綺麗な仕事ばかりじゃないぞ。治すより解体の方が得意だ。血海の中でアタシは生きてる。ゴミムシなんだよ」


 吐き捨てるように言われて、思わず肩を掴む。



「な、何さ」

 

「あなたがいなければ、みんなが仕事できないでしょ?そんな風に言わなくてもいいの。みんなができない仕事をやってるコープシングの事、三人ともちゃんと尊敬してると思う。もちろん、私もそうだよ。」

「……そうかい」




 ほんのり頬を赤らめて、大きな機械を目の前に持ってくる。照れてるって事は、ちゃんと伝わったのかな。



「一応の検査だ。子供欲しいんだろ」

「う、うん。これ…苦手だなぁ。」

「この検査が好きな女はいないだろ。長生きしたいなら大人しく脱ぎな」


 

 踏み台に乗ったコープシングが手をわきわきしてる。うう。

 目の前にある機械はマンモグラフィーの機械。乳がんの検査をするのに必須なんだけど、この機械は胸を潰されるから苦手。痛いし。




「whooo!!すごいのつけてんな」

「あっ!あの、コレはその…」

「見た目によらず中々やるね?」


 昨日昴がつけた跡を見て、ニヤニヤされてしまった。うぅ。




「さて。覚悟はいいかい。…乳デカいな。着痩せするタイプか。」

「そ、そう?」


 病衣を脱いで、胸を透明なプラスチックに載せる。はー。やだなぁ。


「何カップ?」

「一応Fだけど」

「はーん。こりゃ堪らんだろうな。くっくっ。」


 むむ。なんとなく恥ずかしい。




「はい、ここ持って。もうちょい前。息はいてー」

 ふー、と息を吐きながら胸が潰されていくのを見つめる。…あれ?痛くない。



「こんだけありゃ痛くないだろ」

「前にした時は痛かったよ」

「そりゃ技師が下手くそなんだ」


 そ、そうなの?と言うことはコープシングが上手なのかな。やっぱりすごい。




 小さな身体でぴょんぴょん動き回る彼女が神様みたいに見えた。




 ━━━━━━


「身体異常なし。血液循環は良くなってる。三人いりゃこうなるのはいい事だ。どんどんヤりな。」

「あ、は、はぁ…」


 慧が横で微妙な顔してる。慧だけまだそう言う事してないもんね。


 


「さてな、試薬の分析結果だが」


 ポケットからピルケースをとり出して、それをかざして眺める。


「こりゃよくできてるよ。短時間で生成したとは思えない。随分前から研究してたんだろう。

 内容成分は伝えてもわからんだろうが一応話すか。コレとは別に、少し前に話題になった薬がある。

 プログラム細胞死を起こして偶発的な作用で若返るって薬だが、蒼は知らんか?」

「えぇ?そんな薬があるの?」


 プログラム細胞死ってことは壊死を起こすものだったはず。

最近では癌細胞の細胞死ブレーキの解除薬として注目されていたけど。そこが焦点なのかな。




「俺も組織で話を聞いたけど、あれは欠陥品だよ。若返りの確率が低くて死ぬほうが多い。どちらかといえば毒薬だった」


「ん、それな。偶発確率があまりにも低いから本来の目的が商用にならず、結局毒薬として出回ってる。

 ただしこの試薬も似たようなもんだ。死に至る確率はないが、これの作用は細胞を作る動きを止める為のもの。

 蒼の体は細胞の生まれ変わりが早すぎる。それなのにオートファジー…細胞のリサイクルが上手く起こってない。

怪我が早く治ったり、肌が常に綺麗だったりするはずだが、どうだい?」


「うん、指の裂傷、もう治ってる」

「あぁ、あれか。かなり深かったがもうか。」


 指先を見て、慧が複雑な顔してる。

弓で出来た裂傷は、もう綺麗さっぱり無くなってツルツルになった。



 

「今のまま行けば細胞を作る機関が老化して早死にするって事だ。

 人間イコール細胞ってなもんだからな。

 それを遅くするためにこの薬を使う。

正しい目的としては、コレは若返りの薬ではある。コレだけで使うには一般人はみんな赤ん坊になっちゃうけどさ。

 蒼が危惧した通り、子供を作るのは厳しい。体にそんな余裕がないんだよ。

 排卵が起こらず、生理もこない。

さらに言えば完全に時が止まるわけではなく、増殖の速度がスローダウンするだけだ。しかも、薬は一生飲み続けなければ意味がない。要改善ってとこだな。」


「なるほどねぇ。延命っていうのが正しい表現だね。そうなると」

「そうだ。蒼の早く過ぎていく命を引き伸ばす。100歳までは無理さ。でも、間違いなく伸びる。五年じゃ死ねないよ」


 私もホッとするけど、慧がびっくりするほど大きなため息をつく。

欲しかった言葉を明確にくれた彼女は、本当に優秀なお医者さんだ。




「そっか。でも赤ちゃんが欲しいならどうしたらいいのかな。薬の研究は時間がかかるでしょう?」


 コープシングがちらり、と慧を見る。


「俺も……欲しい」


 私が聞いた返事が返ってきた。

 慧がピアスのなくなった耳をいじりながら頬を赤らめて腰を抱いてくる。


「慧……」

「蒼のお陰でトラウマなんか綺麗さっぱりなくなったからね」


 私もつられて頬が熱くなる。

 すごく、嬉しいの。




 私たちの様子を見て、コープシングが目を細めた。


「ん、それならアタシも研究を手伝ってやるよ。

 蒼の両親とは違うアプローチをしてみようかね。増殖因子の逆を作るとか考えてたんだ。警察庁のそばに行くのは死ぬほど嫌だが仕方ない」


「ほんと?嬉しい!うちの両親をよろしくお願いします」

「ふん。蒼を連れ出した奴らだから仲良くしてやる。あとな、名前で呼べ」




 コープシングの瞳に光が宿ってる。

 淀んだ瞳の中の、小さな光。


「アタシはキキ。希望の希が二つだ。

 2つもいらんから、蒼にひとつわけてやるよ」

「キキ…キキもぴったりの名前だね。かわいい。私の希望だもんね」


 キキが頬を赤く染めて目を逸らす。

わかりやすい。素直な人だな。



「ふん、薬は落ち着いたらすぐにでも服用しな。赤ん坊が出来る確率は低いが、ゼロじゃない。

 体を作って、回数を増やせばまかり間違ってできるかもしれない」


「そ、そうなの?何をすればいい?」




 キキに聞きながら、うんうんと頷く。

 慧がメモを取ってる。

体温を上げる、血流を良くする、バランスの良い食事にサプリメント、あとは…回数を増やせとか他にも色々…。

 不妊治療の分野にも被るところが沢山あるみたい。

悩んでる人が沢山いる現代では排卵する為のお薬もあるし、延命しながら色々試してみるのもいいかも。





「蒼は覚えられるかもしれないけど、俺は一応共有しておかないとだからね」


「それさぁ。サードはいいわけ?あんたを救ってくれたガチ惚れの女を、他の男と共有できるの?」


 キキが不機嫌な顔になる。

うっ。私のせいだから…なんとも言えない。




「良いんだよ。蒼が好きなのは変わらないし、俺だってあの二人が居なければ生きてこれなかった。

 命の恩人がみんな家族になるなんて、幸せな事だ。蒼が俺の事好きでいてくれれば、生きていてくれればそれでいい」


「そこまで言われちゃなんも言えないな。あとで3人も検査しに来な。子種の方も検査しなきゃならん」


「け、検査?」


 キキがニヤリと笑う。




「子供を作る可能性を高めるなら、妊娠確率の高いイキの良い精子が必要だ。一人目はそいつと集中的に作りゃいい。体の回復にもよるが、出産後は妊娠しやすくなる」

「そうなの…?」



「それは重大な話だな。鍛えておかねば」

「あとであんたにだけは鍛え方を教えてやる。方法なんて山とあるから。」

「よろしくお願いします」

「……」


 


 な、なんかコレは二人には言えないかも。私は聞いてませんよっと。

 

「薬を飲む前に作っちまうのも手だ。頭に入れときな」


「「!!」」


 二人で飛び上がってしまう。

 今日は、慧の番なんだけど、もしかしてそういう流れ?




「なるほど。良いことを聞いた。さて、そろそろ帰ろうか蒼」


 ニコニコしながら慧が手を差し伸べてくる。

 わー、色んな意味でデジャブだなぁ。

そっと手を乗せて、大きな手を握った。



 

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