第3話 均衡、崩れる
『変動する世界』というwordsは間違っている。
私、
何故なら『世界』というワードは、ニューやチェンジという意味を内包しているから。世界とは常に変動し、常に新しく生まれ変わっている。今この瞬間も、何人も死に生まれ、世界を構成するメンバーは変わり続けている。だから、『世界』に同じ意味を重ねるのは正しいと思えない。
しかし、それは言葉の定義又は概念の話であり、修飾的に遣われることも、一般的に『世界』と言ったときにニューやチェンジが内包されていないことも知っている。多くの人々は、昨日あったことの繰り返しで今日を生き、自分の身の回りを世界だと思い込んでいるから、変化のない"世界"に飽き、憂鬱な顔で「明日も仕事か」と思いながら今日電車に揺られ。それが"奇跡的"に、たまたま側に"変化なき世界"が成立しているのも知らずに。
バランスが崩れればそれは一気に瓦解する。そのとき彼等はどんな顔をするのだろう。どんな嘆きをするのだろう。初めからそんなものは仮初に過ぎなかったのに。
この世界は表に出ていないことが--ニュースにならないことが多過ぎ、それを知るほど世界の危うさを、バランスがたまたま均衡していることを知ることになった。
この仕事に就く前の私も彼等と同じ顔をしていたのだろうか。
そんなことを思いながら、会議資料に事前に目を通していた。
内閣府国家公安委員会緊急事態対応本部。わざとらしくデカデカと同名称を書かれた札は霞ヶ関合同庁舎の三階の一室に設けられている。が、そこはダミー。対外調整と盗まれても大丈夫な情報のみを取り扱う部署を置いている。
本当の本部はそこではなく、地下書庫の奥にある。向かう時も守衛に扮してそこに向かわないといけないような超極秘施設。極一部の人間しか入れない、今回の戦争の頭脳となる部屋が。
そこはNASAの管制室のようなモニター室に幾つかのガラス張りのオープンな会議室が連結し、仮眠、入浴、洗濯施設も完備している。そして、ここには全ての情報が集まり、それらからシミュレートするための世界一のスパコン姉妹機が常にフル回転していた。
同様に表向き私は一政務官でしかないが、その実、私がそれの全権を掌握している。
なぜなら私は日本に残ったシュメール人のリーダーの末裔。いや、"置いていかれた"シュメール人の末裔だから。
先祖代々語り継がれてきた。
彼等--異世界に行ったシュメール人たちを、この世界に戻してはならないという掟。そのために先祖はあの"
先祖のためにもなんとしても目的は果たす。私は"根"切りの策を探していた。
「ちょっと!例の"対象"はまだ見つからないの!?」
私はヘッドセットのマイクを手繰り、担当者に檄を飛ばす。担当者は過去の新聞を必死に手繰り、例の"対象"についての記事を探していた。
「すみません!だけど、手掛かりが少な過ぎてどうにもできませんよ!」
「それをどうするか考えるのがアンタの仕事でしょうが!」
「そうですけど、こんなの"虹の麓の宝探し"みたいなもんです!せめて年齢でも分かれば…」
「つべこべ言う暇あるなら手を動かしてよ!」
「あーっ、もう!精神論!これだから昭和の人は…」
「聞こえてるわよ!」
「はいはいっ!」
あの担当者も既に徹夜続きなことは知っている。それでも残された時間は少ない。
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奈良山奥の寺の軒先に八十歳近い一人の住職が座り、空を眺めている。
庭は枯山水で手入れが行き届いている。彼の妻が、あぐらを組む彼の側にコトッとお茶を置いた。彼はそれに気付かぬ風で、目を細めて呟いた。
「遂に始まったか…」
空には大仏が飛び立った飛行機雲が一直線に延びていた。
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大仏が扉を閉じる少し前に遡る。
開き掛けの"クゥアンミの門"の隙間から十代の少年が落ちてきて、着地した。黒髪、浅黒の肌に猫のように尖った目。黒に限りなく近い緑色のマントを身に纏い、紅の腕章を着けている。包帯をぐるぐる巻きにした手や指の関節をゴキゴキと鳴らし、軽く準備運動のような動作をする。そして、鼻をスンスンと動かすと、獲物を探すハンターのように楽しそうな感じでにやけた。
「さあ〜て、いっちょやりますか」
彼は風のような速さでどこかへ向かい走り出した。
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「はあ…はあ…はあ…」
一刻も早く婆さんの元へ行きたかったのに、仕事場から出てみれば、交通網はパニックでめちゃめちゃ大変だった。"クゥアンミの門"から逃げる車が信号無視して事故。衝撃波の影響で信号も何個か壊れ、車も横転、ビルはガラスが割れ、壁のタイルが剥がれていた。
そんな混乱の中、なんとか無事に家に辿り着いた。タイヤはパンクしちまったけど。随分と疲れてしまった。多分、五年分くらいの運動量をこの一瞬でこなした、ってくらいやばい。
我が家は見るからに古い木造建築の二階建て。一階の正面がガラス戸になっており、そのガラス戸の向こうに四畳程度のコンクリート敷きの床がある。その床の上に駄菓子の棚が並んでいて、その奥は襖があって、茶の間になっている。その奥に台所。台所から二階に階段が延びている。二階がオレの部屋。
道路正面のガラス戸は開いていた。と言っても、肝心のガラスはなくなっているが。つまり、婆さんはあの衝撃波のとき店を開けていたのだろう。まずいな。立っていたりしたら、揺れで倒れたかもしれない。
自転車を投げ捨て、中に入る。だが、いつものところにはいない。
「婆さーん!」と叫んでみるが返事もない。オレは嫌な予感を抱いて、散乱する店内を駆けた。店と茶の間を隔てる襖を思いっきり引く。
「ばあ…さん…」
そこには婆さんの姿があった。そして、その上でタマがくつろいでいる。オレは安心で腰が砕けてドカッと座り込んだ。
「あー、良かったー」
そう言ったオレに婆さんではない若い女の声が応答をした。
「遅かったわね。おばあさん、怪我したから治しているところよ」
「ありがとうねえ、親切なお嬢さん。マモちゃん、聞いてちょうだい。このお嬢さんが今助けてくれたのよ」
オレはやっと知らない人がいることに気づいた。
誰?
歳の頃は多江ちゃんと同じくらいだろうか。ただ、彼女も異国人の血が入った顔をしていた。なんとなく中東っぽいか。そんな感じがする。しかし、やけに日本語が達者なようだが…。
アントニオの妹か?
まさかな。だが、なんか喋り方がやけに馴れ馴れしいし、もしかして知り合いだろうか?
オレはひとまず肩で息をしながら礼をした。
「はあはあ…。ありがとうございます。ふーっ、た、助かりました」
「どういたしまして。当然のことをしたまでよ」
当然のこと、ねえ。こういう女こそ危ないのだ。
オレは女性不信により女性からの親切を素直に受け取ることができず、つい斜に見てしまうところがあった。だが、なんというか今回はその予感を信じた方がいい気がした。知り合いのふりをして近付く詐欺師という風に思っておいた方がいいかもしれない。
オレは少し思考して、この不審者をそれとなく帰るように促すことにした。
「いやー、婆さん大変だよ。戦争みたいだ、戦争。なんか外に変な門が出てきてて、やばいらしい。婆さん、ここは戦場になるかもしれない。着替えとか詰めて、いつでも出発できる準備をしよう。あっ、そうだ。助けてくれたお嬢さんも気を付けて。大変な事態ですからきっと親御さんも心配しているはず。私たちも疎開の準備をします。それでは。婆さんを助けてくれてありがとうございました。」
「手伝うわよ」
なに?
「えっ、いや、帰った方がいいと思いますよ。大変なことですよ、ニュースみました?戦争ですって」
「知ってるわよ」
なら、何故帰らん…。
「そ、そうですか。外もさっきの衝撃波でボロボロだし、交通もバグってます。早く帰らないと親御さん心配しますよ」
「なに?ねえ、ちょっと。なんか帰そうとしてない?」
気付かれたか…。まあ、仕方ない。唯の親切な人なら申し訳ないが、まあ、そういう嫌われ方にはもう慣れている。
「まぁ…。ええ。」
その女性は訝しむように顔を顰めた。やっぱり気に障ったか。オレは罵詈雑言を浴びることを覚悟し、無意識に俯いた。少し間が空いた。
「もしかして…、私のこと気付いている?」
なに…?罵詈雑言じゃない?しかし、なんだその一言。怪しい。やはり、普通の親切な人ではないようだ。そう考えるとこの文脈からして、やっぱり詐欺師だろう。ビンゴだったってことか。
「ええ…。まあ」
オレは気まずさから頭をかいた。
「そう。やはり只者じゃないのね」
只者じゃない?まぁ、見方によってはそうかもしれない。ただの女性不信とも言えるが。
「一歳の時にあの事件があったって聞いていたけど」
んんっ、なに?事件?
「私たちすらまだ一歳児の記憶定着技術は確立できていないのにね。膨大な"エクート"が成せる技なのかしら、やっぱり」
記憶定着技術?エクート?
「わかったわ。なら、私も単刀直入に言うわね」
いや、何が分かった?オレは何も分かっとらんから、逆に教えて欲しい。
「タルタル・オーロラ・フレンチ王子」
誰?
「貴方に」
まさか今のオレか!?
「聖ノブリス王朝の王になって欲しい。私と一緒に来て。クーデターに協力して欲しい」
しんと静寂が降りる。オレは右手を仏像のように前に出して彼女に告げた。
「お断りします」
うん、間違いない。詐欺だ。
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