承 巻き込まれる編

第9話 変わる世界

 過納喜一かの きいちは生粋のお祭り男だった。奈良の山奥に生まれた彼は地元の祭りでは必ず神輿を担ぎ生きてきた。御歳おんとし六十七歳。


 目の前に綺麗な気の強そうな女が現れて、彼の人生は一変した。釈迦由美子。彼女は彼が古代シュメール人の末裔であることを教え、スカウトした。


 そして、今。

 喜一は奈良の大仏の中にいる。


「ふはっはっはっ!日本の為、孫の為!この門を開けさせはせんのや!見とけや、日本男児の心意気をー!」



 彼が力尽きるとき、奈良の大仏を形取る"駆動金属"はそのエネルギー源を失い、崩壊する。彼がその崩落から逃れ、生き延びる術はない。片道切符の行程を彼は楽しむ。孫の写真をその手に握り。



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 探偵佐久間零士さくま れいじが釈迦由美子を説得し、葛飾区柴又に着いたとき、残っていたのは瓦礫と血溜まりだけだった。

 佐久間も薄くはあるが古代シュメールの血を引く者で、"イルクート"--サーラたちのいうところのエクートが使えた。二十五歳で旧帝国大学大学院を出て、今は探偵をしている。松田優作を意識して、似合わないパーマのロン毛にスーツを着ている。


「間に合わなかったかー。まっ、こっからがオレの領分ってことで。さっ、"神崎守"の痕跡を探しましょ」



 そう言う佐久間の後ろに音もなく一人の少年が現れる。佐久間は気付かれぬようにチラリと後ろを覗き見た。


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 目が覚めると、目の前には合板の木目調の天井が見えた。イテテと思いながら身体を起こすと、窓枠に腰掛け煙草を吸うコンビニのババアの姿があった。


「うげっ、地獄に来ちまった」


 オレは思わず呟いた。逆光の中、顰めっ面をするババアは鬼にしか見えなかった。しかし、怒ったババアはデコピンで煙草を弾丸のように打ち出し、オレのデコに直撃させた。「イデっ!」と言いながらオレはまた倒れた。ババアが舌打ちしてからまた煙草を咥えつつオレに告げる。


「大人しくしてな。ったく、そういうところも気に入らねえんだ」


 カチッカチッと何度か百円ライターの火打石を鳴らして、やっと煙草に火を付けると、ババアはオレに視線で横を見るように促した。


「てめえが今生きてんのは、その嬢ちゃんのお陰だ。感謝しな」


 横を見ると隣に寝ていたのはサーラだった。築五十五年にもなろうかという風呂も便所もないボロアパートの六畳間で、オレたち二人は同じ布団に寝かせられていたようだった。

 驚いてオレは慌てて布団から這い出た。


「まだ傷は癒えてねぇぞ。梅コーヒー」


 梅コーヒー?あっ、朝買ってるメニューか。梅おにぎりとコーヒー。あと、炭酸水な。それをあだ名にしてやがったのかこのババア。

 ババアは続ける。


「嬢ちゃん達がエクートと呼ぶそれは、細胞本来の力を引き出すに過ぎない。自己治癒力を向上させただけだ。つまり、梅コーヒーの血が出る量より早く血を生み、傷を治しただけさ」

「ふーん」


 流石にこんな目にあった後だ。最早、彼らの力を信じるより他になかろう。言われてみれば、斬られた傷跡が残ったままで、左手も動かなくなっている。


「左手が動かん」

「時間を巻き戻すような回復術じゃない。切れた細胞が新しくなったんだ。神経細胞も繋がってはいるだろうが、ゼロからのやり直しさ」

「面倒なことになったな…」


 これでは仕事ができないじゃないか。ババアは煙草をふかしながら、オレについでに聞いてきた。


「梅コーヒー、あんたはまた"あの少年"と出会うことになる。彼に勝てるような力が欲しいか?」


 ババアの顔は特になんの感情もこもっていないように見えた。オレは即答した。



「いや、要らない」


「なんでだい?」

「なんでかな…。まあ、オレは今の生活に満足しているからかもな」

「ふーん。だが、力がなければその生活も奪われるかもしれんぞ」

「守るための力か。いや、でも要らない」

「ふーん」

「過ぎたるは及ばざるが如し。婆さんとタマのそばに居られればいい。二人を看取ることがオレの役割なんだ。だから、力なんて要らないし、多分持て余すさ」

「ちっ。気に入らない男だねえ」


 ババアが煙を吐き切る。

 オレは手足の感覚を確認してから立ち上がった。


「じゃ、世話になったな。また明日」

「ちょっと待ちな。助けてもらったんだ。嬢ちゃんが起きるまで待ってやったらどうなんだい」


「あー、うん。そうだな」



 そう言ってオレは笑顔でババアの部屋を出た。まあ、別にお互い話すべきこともないだろう。


 残されたババアが呆れながらひとりごちた。


「ちっ。そういうところも気に入らないねぇ」


「言葉を素直に受け取りやがれよ、まったく。自己治癒力高まったからと言って、普通の人間が二三時間で快復する訳がないだろうが。あんたは他人とは違うんだ。気付きなさいよ、全く。自分の"運命やくわり"を放棄しやがって。これじゃ、私にもこの先の想像がつかないじゃないか」


 そう言って煙草を窓からぺっと吐き捨てて、また新しい煙草を咥えた。


「嬢ちゃん、起きてんだろ?あんたはいいのかい」

「気付いていたのですね」

 

 サーラがパチリと目を開けた。サーラは少し残念そうに答える。


「彼は死んでいたと皆には言います。あそこまで言われたら流石に連れていけませんよ」

「ふーん。だが、あんたの望みは叶わず人は死ぬよ。それも沢山の人々がね」

「なんとかします。そのために考えます。ところで…」

「なんだい?」




「貴方は何者なんですか?」




 ババアはニヤリとして煙草をふかした。十分な間を開けてから遠くを見つめて、ボソリと呟いた。




「ただの世捨て人さ」

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