第12話 鐘の音が鳴る

 多江ちゃんが作ってくれた晩飯をオレ達は茶の間で食べていた。流石弁当屋の娘だ、美味い。しかし、左手が使えないと想像以上に食べづらいな。


「神崎さん、食べさせてあげましょうか?」


 多江ちゃんは悪気なく自然に聞いてきた。いや、それはダメだろとオレは苦い顔をしたが、多江ちゃんは意図を汲めずに首を傾げた。だから、話題を変えよう。


「ところで、多江ちゃん。料理うまいね。パソコンは全然ダメだけど」

「えへへ。弁当屋小紫の看板娘ですから」

「本当に美味しいわ、多江さん」

「ありがとうございます!お婆ちゃん」

「看板娘は自称するものじゃないけどな」

「えっ?そうなんですか?流石神崎さんですね」


 和風料理が多いのも、婆さんへの気遣いなのだろう。魚の骨もちゃんと抜いてあるし。


 と、そんな感じで和気藹々と団欒しているが、テレビからは「中国軍が防衛作戦として日本に無断上陸を決行する予定」だとか、「アメリカが核爆弾のターゲットを日本に現れた門に設定し、イージス艦隊を出港させた」とか物騒な話題が続いている。



 ついそんな話題に気を取られていたとき、また衝撃音と強い揺れが来た。



 オレはその場から動かずに顔を"クゥアンミの門"の方角に向けて黙っていた。何かが起ころうとしている。



 婆さんがコトリと端を置いた。オレがチラリと横目に見ると、婆さんが居住まいを正してこちらを真剣に見ていた。オレも婆さんに直面するように、姿勢を変えた。婆さんの真剣な姿はオレが悪い女に騙された時ぶりかもしれない。


「マモちゃん」

「なに」


「行きなさい」


「どこに?」



「分かっているのでしょう?」


「…」


「私たちのことは気にしないで」


 オレはその言葉を受けて少し戸惑ったが、すぐに回答した。


「いや、それはできない。したくもない」

「マモちゃん。よく聞いてちょうだい。お爺ちゃんも私もいつかこういう日が来ると思ってたわ。貴方をお爺ちゃんが抱えてきたときから」


 そう、オレは今日考えていた。何故異世界人で赤ん坊のオレが一人この世界にやってきたのか。やはりそうではなかったのだ。一人で来れる訳がない。オレの予想は正しかったのか。


「爺さんがオレを連れてきたんだね」

「ええ」


 多江ちゃんが口を閉じたままで心底驚いた顔をして、箸を落とした。オレ達は無視して続ける。


「お爺ちゃんはこっちに送られてきた諜報員だと言っていたわ。戦後の混乱のときにやってきたと。そして、お爺ちゃんは私と結婚した後、一度故郷に帰ったわ。でも、その一年後に戻ってきたの。貴方を庇いながら。貴方は前の王様の子供だといってたわ。そして、最後の希望だとも。『もう故郷に帰ることはできなくなったが、後悔はない。この子がこの世界を救う最後の光だ』と」


 爺さんの笑った顔が目に浮かぶ。しかし、歯を食いしばってオレは首を振る。


「だけど、オレは神崎守だ。タルタルソースでもなければ、王子でもない。前田商店に勤めるただの会社員、神崎守だ。オレは婆さんとタマを守ると決めているんだ」



「マモちゃん」


「貴方の名前はお爺ちゃんが付けた」



 オレの脳裏に、小学生の頃の爺さんと歩いた夕暮れの帰り道が蘇る。


「いいか、守。オレに何かありゃあ婆さんを頼んだぞ」

「うん」


 この時のオレは落ち込んでいた。確か友達と揉めて爺さんが学校に呼び出された日だったろうか。


「お前にはいつか大変な時が来るかもしれん。この世界の人間じゃないからな」

「えっ、そうなの?」

「カッカッカッ。そうだぞ」


 普段冗談ばかり言う爺さんだったから、このときは冗談だと流したが本当だったのか。



「だが、忘れるな。お前はこの世界に生きている。立派にこの世界の人間として生きてきたんだ。感謝を忘れるな。そして、たとえ大変なことが起ころうとずっと忘れるな。お前の名前が"道標"になる。道を照らしてくれるはずだ。お前の"守"という名前はな…」



 オレは目を閉じた。記憶の中の爺さんが頭を撫でて、オレに告げたことが呼び起こされる。拳に力が入った。


 オレは目を開く。婆さんが微笑み、同じことを告げようとしていた。



「私もお爺ちゃんもこの世界の人々が好きなの。この世界の営みを途絶えさせたくないと思っているわ。貴方の"守"という字は、重荷になるかもしれない、それでも…」






「みんなを守ってほしいという願いを込めたの」



 婆さんが弱々しくオレの方に手を伸ばす。オレは婆さんを見つめながら箸を置いて、頭を婆さんの方へ差し出した。婆さんがとても愛おしいという優しい目をして、数十年ぶりに柔らかくオレの頭を撫でた。



「マモちゃん。とても大きくなったわねぇ。赤ちゃんの頃が昨日のことみたいに思い出せるわ」

「伊達に四十年も生きちゃいないよ」

「ふふっ。そういう言い方、お爺ちゃんにそっくりねえ」

「まあ、二人の子だからね」


 婆さんがコクリと頷いた。何故か多江ちゃんが泣いている。婆さんが優しくオレに言う。




「行ってらっしゃい」

「ああ」


 オレはそうして席を立った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る