第2話 戦争は突然に

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 彼は畏れていた。どことも分からぬ深い闇の中を彷徨うが如く。


 彼らの世界に"認知症"という病気は存在しない。認知機能の低下にも対処療法があり、それは彼らの意識しないところで施されていた。

 しかし、彼はそれを"認知"できた。優秀故にあらゆる事ができて当たり前だった彼にとっては、昨日できた事ができない--あったはずの思考回路が焼き切れたのか無くなっているという感覚、これまでの留め置けたあらゆる記憶が流砂のように掌からこぼれ落ちていく感覚、それらがもたらす"日々自分が衰えていく"という実感。認知機能の低下は防げても老化は止められない。それは彼に耐えられない事象だった。


 常に命を狙われている感覚。老化に対して彼はそのような感覚を持った。普通の人間ならそれは難無く受け入れられ、「年老いた」で終わること。なんともない事。しかし、彼は圧倒的に優秀だった。

 だから、狂った。いつしか処方も受けなくなり、それは進行した。


 彼の焼き切れていった思考回路は、徐々に彼の本質を明らかにしていった。論理を失い、人を想うことを失い、最後に残された思考回路は、ただ一つ。


"闘争"



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「えー、聖ノブリス王朝とはこれまで。えー、ここが正念場であるという事で、沢山の交渉をしてきましたが。えー、しかしながら、相手方の同意を得るには至らず。えー、こうして…」


 急場の出来事で原稿を覚えきれなかったのであろう首相の辿々しい演説がテレビに流れ続けるのをよそに、平素から無口なアントニオを除くオレたち四人は談笑をしていた。


「でも、戦争になったら社長や神崎さんも招集されるんでしょうか?」


と多江ちゃん。それに淑恵さんが答える。


「多江ちゃん、そういうときは徴兵っていうのよ」


 それを受けて社長が居酒屋にでもいるかのような笑い声で淑恵さんを揶揄う。


「淑恵ちゃん、そんなこと言ったら年齢差がバレちまうよ。カカカー」

「あらやだ、社長。まだ私十六歳ですよ〜」

「ありゃ?淑恵ちゃんじゃなくて、松本の伊代ちゃんだったか。センチメンタル〜」

「あははは。もうっ、社長さんったら〜」

「はあ。今そんな場合じゃないでしょ、お二人さん。まずはちゃんとニュースを見ましょうよ」

「「はーい」」


 オレの一言でみんなテレビに向き直った。誰も実感がないのだ、これから戦争が始まるという。それはオレも一緒だった。オレは無意識にひとりごちた。


「聖ノブリス王朝?聞いた事もないし、やっぱり検索にも出てこないな」


 その頃になると、テレビのテロップに「聖ノブリス王朝 宣戦布告」と文字が出ていた。多江ちゃんが同じ話題でSNSは大変な騒ぎになっていると教えてくれた。どうやら地図にないらしいのだ。

 その話題の最中、アントニオは一人静かな声で語り出した。


「かつてシュメールsumer人は」

(めっちゃ発音いいな!というかアントニオ喋ってるの初めて見たかもしれんな…)

「後にシルクロードと呼ばれる道を拓き、日本に渡りました。彼らは飽くなき探究心から地の果てを求めていたのです。そして、日本で地の果てを知った。しかし、彼らは次に"世界の果て"を求めました。太平洋は広く、彼らは何度かチャレンジしても対岸に着くことはなかった。結果として長く研究の日々は続き、その生活の中で彼らは地震や火山活動、津波、台風、自然の脅威を知りました。そして、それら自然が生み出す莫大なエネルギーに目を付けました」

「アントニオ…。アンタ、日本語めっちゃうまかったんだな…」

「そして、生み出したのが"クゥアンミの門"。本来は今のアメリカ大陸へ渡ることを目的とした次元転移装置でしたが、距離が分からなかった彼らが地震エネルギーを利用した結果、膨大なエネルギーは対岸へと渡る以上の転移を齎し、"違う世界"への転移を引き起こしました。つまり、異世界に渡る扉となったのです」


 静寂が降りる。オレたち四人はポカンと口を開けて、それが冗談なのか本当なのかも分からず、次に来るアクションを待って黙った。アントニオは一呼吸置いてから続けた。


「もうすぐ大きな地震が来ます。皆さん、机にの下に隠れて。今すぐ。ほら、来ます。3、2、1…」



 ドンッと強い振動がやってきて、それから酷い揺れが続いた。地震とは違い、ミサイルが空中で爆発したかのような空気が振動する類の、気圧の波とでもいうべき振動。アントニオの指示で机に隠れたオレたちは難を逃れたが、窓ガラスが割れて、様々な物が落ちた。窓際に位置する社長は破片にまみれていたが怪我はなく、高い棚も無いから特に人的被害はない。

 しかし、窓の外は異様だった。


「なんだ、あれは…」


 東京タワーサイズのロダンの地獄の門のようなものが向こうのビル群の中に見えた。オレは冷や汗を垂らした。戦争も嘘じゃない。何かが起ころうとしている。そして、その渦中にはこの男が関わっているようだ。オレは不審がりながらアントニオに問う。


「アントニオ…。これは一体」


 アントニオが窓の外を見る。オレも釣られて外を見た。扉が開き始めたように見えた。錆びついた蝶番が動く時の鈍い金属音が遅れて届いた。


「もう一つ、来ます。備えて」

「えっ」


 その瞬間、扉に向かい亜光速の物体が衝突した。また衝撃波が飛来し、強い風圧が身体を飛ばそうとした。目を瞑り身体を庇いながら必死に風がおさまるのを待った。そして、収まると同時に窓の外に目を向ける。


 またしても想定外の状況が目に届いた。


「はあ?!」


 何か大きな物体が手を伸ばして、扉を押さえ込んでいる。なんだありゃ、と目を凝らすと、そこにあったのは…大仏!?

 オレの様子を察してアントニオが語り出す。


「奈良の大仏です。奈良の大仏は"クゥアンミの門"を作ったシュメール人と仲違いして日本に残ったシュメール人が作ったものです。あの材料となっている青銅にはシュメールの技術が組み込まれ、雌伏のときを過ごしていました」

「いや、んなわけないでしょ!」


 オレは思わずツッコミを入れた。しかし、アントニオは首を振り、言葉を続けた。


「扉が開けば、正規軍を含めて異世界のあらゆるものが入ってくるでしょう。あの大仏はそれを食い止めています。しかし、時間稼ぎです。永劫ではない。いずれ門は開かれる。」

「開いたらどうなるんだ…?」

「闘いです。終わらぬ闘いです。異世界には人間の兵器では勝てない生物が沢山いますし、何より"彼"が生きながらえる限り全ての人間を対象に戦闘が行われる。闘い、従属させられ、戦地に向かわされ、そして死ぬまで闘わさせられる。大人も赤子もその螺旋に取り込まれ、未来を奪われる、この世界のみなさんの」


 オレは苦虫を噛み潰したような顰めっ面をして思考する。コイツ、こんなに流暢に日本語話すのか…というのが一番に来た感想だが、そんなことはどうでもいい。アントニオが冗談を言うのを聞いた事ない、というか話すのをほぼ聞いた事なかったが、そんなことはどうでもいいのだ。そう、アントニオってそもそも何人なにじんなんだろう。顔は中東っぽいのに、アントニオってそういや変じゃないか?いや、それも今はどうでもいい。って、どうでもいいことばっかり考えちまう!深呼吸だ。


 さてさて、本題に入ろう。昔のオレなら「異世界」や「侵略」などこのロールプレイングゲームみたいな展開に非常に興奮しただろう。

 だが、この歳になれば知っている。オレは物語の主人公ではない。村人Aですらない。勇者の物語に出てこない、制作者の設定の中にだけ登場する魔王軍に蹂躙された名も無き村の中の住人。オレの行動がこの状況に影響することはないのだ。

 そして、何よりこの歳になってしまうと最早普通の暮らしをしていたい。疲れるし、またゼロから関係性構築するのなど面倒でしかない。異世界とか行きたくないし、関わりたくもないってのが本音だ。


 つまり、アントニオがいうことが本当なら非常に面倒なことが起ころうとしている。

 だが、オレはアントニオの話をどうも信用できなかった。オレには人間に騙されたトラウマがあるのだ。あの悪い女に騙されたトラウマが。

 些細な損も得もしない話なら信じもするが、大きな話となると全く人を信じられなくなる。だから、外回り担当からは外してもらっている。そんなオレが、突如人智を超えた話をされて「はい。そうですか」とはなるわけがない。しかし、アントニオは会社の同僚で、そんな悪い奴にも見えない。


 どう反応すべきか、オレは分からなくなっていた。アントニオに念の為問うた。


「なあ、アントニオ。その話は本当なのか?」


 アントニオがニコリと笑った。それは「本当」とも「嘘」とも取れるハッキリしない微笑みだった。そして、アントニオは遠くを見ながらオレに告げた。


「神崎さん。おばあさんのところに行かなくていいですか?さっきの強い揺れ。もしかしたら、転んでいるかもしれませんよ」

「えっ、ああ!たしかに!みなさん、すみません。オレ帰ります!」


 そう言ってオレは自転車を漕ぎ、家に向かった。婆さんもタマも無事でいてくれと願いながら。

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