第6話 指切り、言切り、嘘つけば。
明くる朝の一幕。
「なあ、コモモ?」
「……なんですか?」
「悪かったって、そう怒らないでくれ」
やや空気は重め。
並んで道を歩きながら、一人はぷくりとむくれた様子で、もう一人はそんな彼女をなんとか宥めようと試行錯誤。
しかし当の本人は、不機嫌な気持ちを認めようとしない。
「別に怒ってなどいませんよ。昨日のわたくしがちゃんと話を聞いていなかったのが悪いのですから」
一体何がどうなってこの状況に至ったのか。
それを理解するためにはまず、彼らの現在地を知っておく必要がある。
しかし飽くまでここは道中。森林の集落から大きく北東の向きに進んだ、最寄りの漁村へと向かう道のりの真っ只中なのだ。
そう。
真相はごく単純。
レクトは拠点に向かってなどいない。
確かに昨晩の彼の言い分を耳にすれば、エピリからの依頼もこなし切って用事が尽きたから、彼は集落を後にして自らの拠点でゆっくり休むつもりだ―――と、そう推測してしまうのも無理はない。
事実、コモモはそう思ったからこそ、あんなに強く彼に詰め寄って同行の約束を取り付けるに至った。
布団の中では夢見心地だった。
彼の住処はどんな場所だろう。
実際に目にするのが楽しみで仕方なかった。
―――そして、裏切られた。
勘違いに気付いた時の彼女の悲しみたるや、将に日中降り続く土砂降りの雨のよう。
それでも彼に悪意があったわけではないので、こうして行き場のない苛立ちを頬に貯めて彼女は歩いているのである。
「それで、”ぎょそん”なんかに行って何をするんですか?」
誰かの依頼に因るものではないと知っている。
すると彼の個人的な用事だろうか。
「情報収集と、魚を貰いに行くくらいだな」
「……情報収集?」
正直に言って、意外な返答だった。
彼女は生まれて日が浅くこの世界のこともほとんど知らないため、どんな情報があるのかという以前に、どうして情報を集めるのかが分からない。
ただそれも、然して難しいことではないが。
「自然環境の変化とか、もっと遠くの街の情勢とか。森の中に籠ってちゃ分からないことが沢山あるからな」
集落の外の状態を知ることは大切だ。
何故ならば、集落における生活はそこで暮らす人々の力のみで成り立っている訳では決してないからである。
レクトは人々と一緒に暮らしてこそいないものの、近くに生活基盤を置いているため必然的に集落の状態に影響を受けやすく、そういった事情もあって遠出に慣れている彼が集落の代表として外と交流することも少なくない。
外の人々からレクトはエピリの補佐だと思われている。
彼がそれを聞けば、きっと嫌な顔をするだろうが。
……ところで、具体的にどういった交流があるかというと。
森林の集落では大抵の食料を自給自足で賄い、魚などの入手できない食べ物やその他の生活必需品を近くの人里から買い取ることで暮らしを支えている。
主な取引先は現在彼らが向かっている漁村と、エピリが独自のパイプを持つ集落から遠くに位置する都市となっている。
漁村から入ってくる品物は魚や海藻類、そして更に他の集落から届く布製品の類である。後者については殆ど卸売りのようなもので、文明が衰退し人類の居住域が縮小した現在では、こうでもしないと遠くの人々に物を届けられないのだ。
ちなみに、エピリが鍵を握る遠くの都市との取引について、レクトはその詳細をほとんど知らない。
もしも、現在では滅多に見かけないような貴重な品が集落に置いてあったら、それは大体エピリが買って来たものだ……というのが、そこに住む人々の共通見解となっている。
例えば、彼女が愛用する煙管とか。
彼女が持つ繋がりの中身が分からないというのは不気味なことだが、それ以上に得られる利益が大きいため人々はそれほど気にしていない。
(……まあそりゃ、あんな風に博士や助手に日々の雑務を任せっきりにして怠け切っている人間を怖がれっていう方が無茶なんだよな)
だが普段の言動の端々に見え隠れする、物事に対する彼女なりの視点は、様々な事情に通じている人物でなければ到底持ち得ないものである。
そう、レクトは感じている。
(ホント、底の知れない人だよ)
彼女に対する評価を固めることは非常に難しいが、少なくとも他の人々に比べて、レクトはエピリのことを買っていると言っていいだろう。
―――さて、話が大きく逸れてしまった。
今日に限らず、レクトは漁村をよく訪ねている。
此度の訪問もなんら特別なことではない。
ただ、少しタイミングが悪かっただけである。
「とにかくわかりました。今日はそっちに行くんですね?」
「……なんだ、その含みのある言い方は」
別の日には他の場所に行く。
態々言う意味もないくらい当たり前のことだ。
それを強調するということ、そこに含まれた意味とは。
薄々レクトは勘付いていながら、もうこれ以上の失敗を重ねたくないと思って念入りに真意を尋ねるのであった。
「じゃあハッキリとお聞きします」
ならばお望みどおりにと。
コモモは、もう逃げられないような問いをする。
「レクトさんのお家には、いつ連れて行ってくれるんですか?」
彼は両手を挙げた。
まるで降参するかのように。
そういう意図があった訳ではないが、どういうことか身体が勝手にそんな動きを見せたのだ。彼の無意識はすっかりコモモに平伏してしまったのだと、そう解釈するのも一興やもしれない。
意識の上でも、誤魔化すつもりは毛頭なかった。
むしろ最初から改めて尋ねてくれれば答えていたのだが、月並みな表現ながら人の気持ちとは複雑なものである。
それらの儘ならぬモノと心の中で握手して、彼はごく素直な返答を口にした。
「……漁村から帰ったら、連れてくよ」
「嘘じゃないですよね?」
「ホントだって、信じてくれ」
これにまで噛み付かれたらたまったものではない。
しかし、彼女もそう厄介な性格ではない。
「分かりました。……でもまた嘘だったら、今度は噛んじゃいますからね!」
そうでもないかもしれない。
「おいおい、痛いのはイヤだぞ?」
「安心してください、痛くなんてありませんよ」
くすりと微笑み、空を見上げて。
「―――ええ、痛くはありません」
ぽつりと言葉を、聞けば不穏な。
「え、なんて?」
「あっ、いえ、何でもないです」
慌てたように、ブンブンと両手を振って誤魔化してきた。見るに不自然な動作だったが、藪から蛇が出てきそうでレクトはつつかず、不思議そうな表情を浮かべるにとどまる。
ついさっきまで彼を問い詰める側だったことなどすっかり忘れてしまったかのように、コモモは追及を逃れようと前向きに問いを重ねた。
「それで、向こうまではあとどれくらいですか?」
「このまま歩いて行けば、お昼前には着くはずだ」
太陽は、斜め上。
目的地までそう長くはない。
「着いたら、まず何か食べようか」
「はいっ♪」
また約束を一つ。
重ねて。
重ねて。
そして気付けば。
いつしか抱えられないほどに、重くなっている。
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