第12話 最良の特訓たるもの。

 コモモが強引に無理を押し通したことによってひとつ屋根の下で共に暮らし始めた二人であったが、彼女がレクトの身の回りの世話をするようになったこと以外、取り立てて生活に変化がある訳ではなかった。


 強いて言うならば、布団の中の空間が少し狭くなったことくらいだろうか。には至っていないが、コモモはレクトの背中を抱き枕にすることをとても好んでいる。


 流石にレクトは恥ずかしがり、コモモをベッドに寝かせて自分はリビングのソファで夜を過ごそうとしたこともあったが、彼女がさも当たり前のようにソファに来て自分の上で寝始めたので、諦めて共にベッドに戻った。


 さて、そんな話は置いておくとして。


 勿論生活が二人の間だけで完結する筈もなく、食べ物やその他の日用品を手に入れるために外出する必要がある。


 その主たる入手先はエピリたちの集落や先日赴いた漁村であって、その対価として周囲に出現する衍獣の討伐や、運ばれる貨物の護衛任務などに当たっている。


 今日もそのように、遠くの街からやって来る貨物を載せた荷車を迎える為にレクトは集落まで来ていた。


 留守を頼んだが一向に聞かず、コモモも一緒に来ている。


 そして共に仕事に当たるパートナーとして、今回はフォルも呼ばれていた。


「レクト先輩、今日もよろしくお願いしますッ!」

「ああ、頼りにしてるぞ」


 フォルの声に籠るは普段と変わらぬ人一倍の元気。背中を丸ごと覆うほどの大剣を背負い、万が一戦いになろうともその準備は万全だ。


 士気と覇気は充分。

 今日のレクトが補うべきは冷静さ。

 任務を滞りなくこなすための下準備だ。


 彼は壁際の角筒から丸められた地図を引き抜き、机の上に開いた。


「受け渡しのポイントはここだな。出発する前に確認しておけよ」


 使い古された紙の上をなぞる草臥れた赤色の円。

 合流地点を示すそのマークを指差して、レクトは思い出したかのようにフォルにとあることを尋ねる。


「そうだ、目録は? いつもだったら電報で向こうから荷物のリストが届いてるだろ。エピリさんに貰わなかったか?」

「……それが、くれなかったんだ」

「なんだって?」


 明らかに渋い顔をする。


 普段の怠けた様子から推測して遂に向こうから送られてきた文書まで適当に扱うようになったか、今まではそれくらいはやっていたのにと、呆れとも怒りとも断じづらい溜め息がレクトの口から出てきた。


「サプライズがしたいから、って言ってた。……もしかして、オレにプレゼントかな!?」


 対してフォルは能天気な想像をしている。


「そうとは限らないが…」

「早く行きましょう先輩、プレゼントが待ってますよ!」

「……別に俺たちが急いでも到着は早まらないぞ?」


 しかしフォルがこんな風に燥いだからか、レクトの中にあったエピリに対するマイナスの感情は少し鳴りを潜めた。


 こういうのが一人はいると場の雰囲気はぐっと良くなる。

 月並みな物言いだが、腕っぷしだけではない長所が彼にはある。


 だから、細かいことを考えるのは他の役目。


「レクトさん、この場所は?」


 やはり周囲の地形にはまだまだ疎いコモモ、これから行く先がどんな場所なのか気になるようだ。


「集落を挟んで俺たちの家の反対側にある荒野だな。もっと向こうに行くと草木がまた生えてきて、『新地球街』っていう意味の分からない名前の都市があって、そこからエピリさんが頼んだ貨物が運ばれてくる」


 真面目な説明の中に流れるように挟まれたネーミングセンスへの罵倒に、コモモは口に手を添える程度の笑いを漏らした。


「荒野には生き物もあまりいないし人の集落も全くないが、見晴らしはいいし地形も平坦だから待ち合わせには丁度いい。荷車だって引っ掛からずに進める」


 クスリとしながらも説明はしっかりと聞いていて、なんとなく抱いた違和感について彼女は言及した。


「直接ここには来ないんですね?」

「やっぱり妙だよな。俺らは別に向こうまで行ってもいいんだが、あっちがこのやり方じゃないとダメなんだと」


 何度かエピリが聞き返してもこれだけは頑なに譲らなかったらしく、他の何よりも合理性を重視する―――というイメージを抱かれているには似つかない拘りだと彼女も言っていた。


『昔はこんなじゃなかったんだけどねぇ…』


 レクトは彼女の言葉を思い出し、仕方なく疑問を呑み込む。


「……変っちゃ変だが、受け入れるしかないな」


 向こうの事情がどうであれ、この取引は今まで上手くいっている。

 であれば、心配しすぎるのも良くないだろう。


「水だけは忘れないようにな。きっと喉が渇くから」


 二人に向けられたこの助言は彼の苦々しい記憶に由来するのだが、それについて皆まで語る必要はきっと無い。


「よし、ぼちぼち行くか」


 三人は出発した。




§




 数時間後。


「―――こちらが貨物です。ご確認を」


 無事に合流地点まで到着した三人はしばし時間を潰した後、向こうからやって来た使者と合言葉を交換し、予定通りに貨物を受け取った。


 そこまでは良かったのだが。

 当然の如く中身に不備が無いか確かめる必要があり、困り果てる。


「確認と、言われましても…」

エピリさんあの人が目録渋ったからな…」


 かといって相手側に何も言わず持ち帰る訳にもいかない。


 後から不備があると言われて困るのは向こうなのだから、引き渡しの際に問題ないと合意を得たいに決まっている。


 要は板挟みといえる。

 しかし、だ。


「まあいい。どうせ不備があっても分からないんだ、問題が起きたらその時に文句を言えばいいさ」


 レクトの判断は素早かった。

 流石にこの場の人物には全く責任がないのだし、そうもなろう。


 彼は少しの間、荷車に入って中の荷物を確かめるふりをした後、何食わぬ顔で最初から用意していた言葉を掛けた。


「ありがとう、大丈夫だ」

「そうですか…では私共はこれで」


 仕事が終わればそそくさと。

 都会人の使者はその場を去った。


「なんだか、顔色の悪い人たちでしたわね」

「仕事続きで疲れてるんじゃないか?」

「オレはどれだけ働いても元気ですよッ!」

「別に聞いてないと思いますけれど…」


 くつくつと笑い、そのやり取りを楽しそうに聞いて。


「俺達には関係のない話だな。それより、無事にこの荷物を集落まで持って帰るのが大事だ」


 自分たちの役目を思い出させる。

 帰るまでが仕事だと、穏やかに諭す。


「はい、そうっすね!」

「そのために、分かるな?」

「……え?」


 例えば邪魔者が現れたのなら、それらは排除せねばならない。


「ほら」


 彼が指した、向こうの怪物たちのような。 

 そんな邪魔者を、消さなければならない。


「あっ、衍獣が…!」

「俺らか貨物か、引き寄せられてきたんだろうな」


 意味などないが彼らが現れた理由を類推して、背中の槍を抜き、握る。


 此処は荒野で、周囲に水は少ない。だがそもそも、隣にフォルがいるからあからさまにを使うことはできないし、今回の敵にそこまでの力は不要というのが彼の見立てであった。


 衍獣の集団の前に立ち、相手がそれを解さないと知りつつも警告を発する。


「悪いが、くれてやるモンは一つもないぞ」


 レクトがそう言っても何も反応は無かったが、彼が静かに槍先を向けると漸く危険を察知したように飛び跳ねた。


 ―――土埃が舞う。彼が蹴っ飛ばしたのだ。


 地面を跳び立った身体は標的に向かって一直線に進み、狙うままに不運な衍獣を一体、勢いを乗せた刺突で串刺しにする。


 ずっしりと槍の重みが増したのを感じる。

 彼は両腕を使って槍を握り直すと、力任せにそれを振り回し始めた。


 怪物の傷口から黒い輝きの粒子が血のように舞って、荒野の戦場を硬派に彩る。


「うぉ……らぁッ!」


 何回転かした後、彼は槍先の重しを別の敵に目掛けて振り下ろした。


 今度は、先程よりも高い土埃。

 あの様子では、最初に突き刺された衍獣は生きていまい。

 

「……外したか」


 しかし更なる戦果を、とはいかなかった様子。

 少し残念そうに彼は事実を呟いた。


「フォル、お前も手伝え」

「は、はいっ!」


 そういえば、レクトの戦いを見ながら呆然としている場合ではない。

 フォルも慌てて彼の隣に並び立ち、背中から大剣を取り出し、構えた。


「そういや暫く特訓してなかったが、腕は鈍ってないだろうな?」

「安心してください、自主練はバチっとやってます!」

「ならいい」


 ニヤリ、喜ばしげに。


「実践だ。これもいい練習になるぞ」

「……本番では、ないんすね?」

が? 冗談が上手いな、フォルは」


 フォルの問いに笑いを返し、レクトは再び衍獣の群れに突っ込んでいく。


 憧れと呆れ。

 両方を抱えて、彼も笑い、戦いに赴く。


「先輩、らしいなあ……!」


 その後、程なくして衍獣は全滅。


 レクトもフォルも、もちろん後ろで戦いを見守っていたコモモも無傷のまま、無事に荷物を集落へと持って帰ることができた。


 ちなみに。

 倒した衍獣の数は、レクトがフォルの三倍程度だったそうな。

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