第13話 捨てるべきものは捨てましょう。

「なるほど、これが”サプライズ”とやらか」


 僅かな時が経ち、彼らが運んできた荷物の中身が明らかにされる。テーブルの上に並べられた数々の実験器具を目にして、合点がいったようにレクトが呟く。


 そのうちの一つ、透明なフラスコを摘まみ上げた。

 彼はそれを怪訝な目で見る。

 使い方が全く理解できなかったためだ。


 エピリは彼のそんな仕草を笑う。

 そして、自らの真意を語った。


「コモモちゃんが毒の研究をしたいということは前々から聞いていたからね。折角二人が一緒に暮らすようになったんだし、門出の祝いとしてプレゼントを贈りたいと思ったのさ」


 手をパチパチと叩きながら、無邪気な子供のように自らのサプライズの結果を待ち望むエピリ。確かに彼女の思惑通り予想外なプレゼントだったし、これ自体は悪いことではないが、手放しに喜べるものでもない。


「だからって、目録ごと隠さなくてもいいだろ?」


 レクトは至極真っ当な愚痴を零す。

 必要のない不安を抱く羽目になったからだ。


 しかし彼の言葉を聞き、好機と思ったのかここぞとばかりにエピリへの口撃を始める者たちがいた。


「そうだそうだ、なのです!」

「レクト、もっと言ってやるのです!」

「はぁ……」


 博士と助手であった。

 これも相変わらずである。

 いっそ仲良しの象徴かもしれない。


 とはいえこの流れになったら何を言っても二人の勢いに呑まれてしまって、エピリの心に響く何かを告げるようなことはできないだろう。


 気持ちを切り替え、テーブルに乗った実験器具の数々に再び注意を向ける。


 大抵は安全のために梱包されたまま、箱には中身の名前が書いてあったりもするが、レクトの知識にあるようなものは一つとしてない。


「すごいな、知らない名前の器具ばっかだ。どうやってこんなに集めたんだ?」

「知り合いの研究者の伝手を使ったのさ」

「ふぅん?」


 何か裏がありそうなエピリの言葉だったが、レクトがその場で追及するようなことはなかった。彼女に未知の、そういった交友関係があることは想定内だったし、まともな答えが返ってくる期待も薄いから。


 だから、ここで野暮な質問をして水を差したくなかったのだ。

 彼の横で爛々と目を輝かせている、コモモの高揚に。


「……すごい、すごいですわ!」


 目の前にそれを並べられて、少しの間は黙ったまま見つめていた。

 その物の価値を、自分がそれを持つ意味を推し量るように。


 やがて、彼女の心には確信が生まれた。


 これらのは間違いなく、彼女のこれからの人生を華やかな紫色に彩ってくれるものであると。すると彼女はバネで推進力を得たように一瞬でテーブルに飛びつき、とうとうその腕を伸ばして物色を始めた。


 幾つかの物を手に取り、彼の方を振り返って、その底なしの喜びを伝える。


「見てくださいレクトさん、この説明書! ここにある様々な道具の使い方が克明に記されていて……あぁ、わたくしもう、何でもできてしまいそうですわ…!」


 天に昇るかのようなその喜びようにレクトは驚いていた。

 何より、彼女がそこまでの理解をこれらの物品に示していることに。


「初めて見る筈なのに、解るもんなんだな」

「え、えぇ…! 不思議、ですけれど…」

「それこそ、コモモちゃんが生まれながらにして向いているなのかもしれないね」


 同じ趣旨の言葉を、レクトは以前にも耳にした。


 アニマルガールは地虹の不思議な作用により、この世界に生を受けた瞬間から彼女たち自身に関係のあるについての記憶、或いは知識を身に付けていることがある……と。


 初めそれを耳にしたとき、やけに曖昧な概念だと彼は思った。

 加え、いったいどうやってそんなことを検証したのだろうとも、疑問に感じた。


 しかし今ここで実例を目前として、感覚的に理解が及んだ。


 これが彼女らが受けたかもしれない

 コモモの場合のそれは、毒や薬に至る知識。

 ある種の直感の形を取って、それが表に出てきている。


 だがそんな納得と彼女の喜びとは裏腹に、レクトは今後のことを考えて一つの憂いを抱いた。


 エピリにそれを尋ねる。


「しかしこんなに大量の道具、何処に置くんだ?」

「何処って、当然レクト君の家だろう?」

「……?」


 その返事を聞いた彼の表情は、やはり困惑と表現する他ない。

 何がどうなってそうなるのか、一切の見当がつかない気の抜けた顔。


 エピリはそれを見て、また笑った。


「さっきも言ったじゃあないか。”門出の祝い”って。直接見たことは無いけれど、レクト君の家はそこまで狭くない筈だ」


 彼女は実際にレクトの家を目にした筈もないのに、いけしゃあしゃあとそんなことを言う。


 案の定、拙い自己弁護が最後に付いて回った。


「……多分」

「おい、見切り発車だったのかよ」

「安心したまえ、私の勘は鋭いんだ」


 もはや開き直った。

 彼も呆れるばかりである。


「はぁ…」

「で、実際のところは無事に置けそうなのですか」


 こればかりはエピリ糾弾の流れを作っても仕方ないと感じたのだろう。博士は灰色の羽をはためかせ、少々偉そうな雰囲気は醸し出しているがレクト宅の空きスペースを慮ってくれた。


 レクトは目を閉じ、自宅の様子を想起する。


「あー……いける、か?」

「確か、ガラクタを寄せ集めて物置になっている広い部屋がありましたわ。そこを片付ければ十分なスペースが確保できると思います」


 コモモがすかさずそう言う。


 この数日でそこまで把握しているとは甚だ驚きだが、割と身の回りの整理整頓を適当にやって過ごしているレクトよりも、彼の生活を本気で知ろうとしているコモモの方が、逸そ最早彼の身辺について詳しいかもしれない。


 まあ、それは横道に逸れた話である。


 大事なのは、これらの贈り物を置くスペースを確保できるかどうか。


「―――やるか、大掃除」


 彼は決心した。

 コモモのために、それをすることを。


「こいつらは一旦ここに置いといてくれ。部屋が空いたら取りに来る」

「では、そうしましょう」

「初めての共同作業、頑張るのですよ」

「……余計なお世話だ」


 二人は一先ず、何も持たないまま家に帰ることにした。




§




 そして帰るや否や、件の物置部屋に大掃除の算段を立てに行く。


「この部屋ですわね」

「……あれ?」


 ドアノブに手を掛け、扉を開く。

 そうして視界に飛び込んだ景色に対して、初めに疑問が芽生えた。

 自分の家の部屋なのに、知らない場所のような気がしてしまって。


「俺の記憶だともう少し片付いてたんだが……いつからこうなった?」

「あら、わたくしが来た日には既にこうでしたわ」

「…そうか」


 彼がそう感じた原因はこの部屋の散らかり具合の所為だったようだが、それすら覚えていない辺り昔から身辺に無頓着だったことが窺える。


「まあ、どれだけ口を動かしてもゴミは減らないんだ、地道に片付けるしかないな」

「がんばりましょう!」


 やる気を胸に、コモモはぐっと両手を握った。

 レクトよりも積極的に見えるのは決して気のせいではないだろう。


 ただし、闇雲にやるよりも効率を求めたい。


「まずは方針を決めないとな」

「方針……ですか?」

「ああ。闇雲に手を出してもどこかで詰まるかもしれないからな」


 そう言って部屋を見回す。


 積まれた段ボール、床に散らばったプラスチックの容器と、恐らくゴミが入っているであろうビニール袋で隠された部屋の角。


 彼がこれまでの生活でどれだけの適当をしてきたか、その証左だ。


 コモモは少し考え込む。

 そして、名案を思い付いたように手を叩き、レクトに言った。


「では、全て外に放り出して焼きましょう!」

「…えっと、冗談だよな?」


 あまりに突飛な提案にさしものレクトもそれが本気だとは思わなかったらしく、反笑いになってそう聞き返す。


 コモモはその問いに直接答えることなく、新しい質問を投げかける。


「レクトさん。ここに最後に入ったのはいつですか?」

「確か、数週間前だ」

「ここに仕舞った物を、また取り出して使ったことは?」

「……いいや、ないな」


 自らの記憶を丁寧に掘り起こし、コモモの質問に答えていくうちにレクトは、この部屋が物置などではなく、ただゴミを放置しておくためだけの場所に思えてきた。


 或いはそれがコモモの狙いか。

 静かに、しかし畳みかけるように、彼女は強く言い切る。


「つまりこの部屋にあるものは全て、レクトさんの人生に全く必要のない正真正銘のゴミということですわよね?」


 その容赦のない物言いに彼は身を震わすが、飽くまでゴミに向けられた言葉。

 すぐに冷静さを取り戻し、彼女の言葉を反芻する。


 わざわざ時間を掛けてまでこの物置を整理する必要があるのだろうか、と。


「…そう、なのか?」

「その通りですわ」


 迷いなく言い切る。

 更に彼の手を握り、もう一押し。


「そんなものに未練を抱く必要なんてありません。エピリさんも門出とおっしゃってくれたのですから、盛大にやってしまうべきです!」

「……」


 レクトの心が揺らぐ。


 思い切ってやってしまいたいという気持ちと。

 流石に燃やすのは危ないのではないかという躊躇の間で。


「こんなものよりもずっと尊く美しい、決して忘れられない日々を、わたくしたちはこの部屋を始まりにして作り上げていくのです。ですから、何も恐れることはありませんわ」


 彼女は半分くらい恍惚としていて、最早誰に話し掛けるでもない。

 レクトも考え込んでいてあまり聞いていなかったから、お互い様だろう。


「ね、焼きましょう? こんなもの、レクトさんには必要ありませんわ」

「……そうか。そうだな」


 沈んでいた思考の沼から浮かび上がって。

 他にいい方法も思いつかなかったのか、彼は頷いた。


 何かを吹き飛ばすように、息が堰を切って飛び出す。


「―――思い切って焼くか!」

「はい、その意気ですわ!」


 そして二人は目の前のゴミを焼くために、それらを外に運び出す作業を始めるのだった。




§




「……お、来たのです」

「早いですね、大掃除はもう終わったのですか?」

「ああ、ゴミは全部庭に出して焼いた」


 素っ気なく答えるレクト。


 その突拍子もない答えに博士と助手は揃って顔をしかめた。


「…本当なのですか?」

「コモモに言われてな。少し張り切りすぎた気もするが」

「思い切りが良すぎて心配なのです」


 火事の心配が少しと、頭の心配が少し。

 こうして平然と目の前に立っている以上、然して問題はなかったのだと思われるが。


「まあいいでしょう。小さい荷車を貸してやるので、これでお前の家まで運ぶといいのです。返却も、次に来るときのついでで構いませんから」

「ああ、ありがとう」


 話が終わるとレクトはコモモを呼んで、荷造りを始める。

 良い手際で道具の数々はまとめられ、二人はすぐに集落を後にした。


 その後ろ姿を見ながら、助手は博士に不安を零す。


「博士。あの二人、本当に大丈夫だと思いますか?」

「気にしても仕方ないのです。どうせ上手くいくでしょう」

「……そうでしょうか」


 いつかまずいことになるのでは、と言おうとしたが。


「おーい、二人とも~! 新しい仕事があるよ~!」


 声が出る前に遮られる。

 エピリがまた、二人に仕事を押し付けようとしているらしい。


 呆れた息を吐きながら、渋々の返事。


新しい仕事でしょう、エピリ?」

「本当に手の掛かるやつなのです」


 博士と助手はまたエピリに仕事を任され、渋々手を貸すことになる。


 そうして彼女らも捨て置くのだ。

 彼らに対する疑問を。

 捨ててしまうものなのだ。


 仕方がない。

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