第14話 初めての調合、恙無く。
「では、始めますわ」
些かの厳かさを漂わせて、コモモがそう宣言する。
物置の
流石に作業の疲れが溜まっていたのでその日はぐっすりと寝て、現在はサプライズプレゼントを貰った翌日の昼。
とうとう、初めての毒の調合が始まろうとしていた。
主役は当然コモモ。
助手役のレクトが隣に立つ。
ふぅ、と緊張をそっと振り払うように息を吐いて、彼女は最初の指示を告げた。
「レクトさん、そこの薬草とすり鉢、そしてすり棒を」
「おう」
スッと横から望みの品が。
すり鉢とすり棒はその名通りのものだが、この薬草は少し前に二人で一緒に摘んできたものだ。
今回はそれ自体の薬効よりも、毒の刺激をマイルドにする目的で用いられる。
コモモは薬草をすり鉢に並べて、すり棒でグルグルと鉢の内側を擦り、薬草の繊維を潰してエキスをにじり出していく。数十年前のヒットソングを丸々一曲聞けるくらいの時間その動作を繰り返せば、もう元の形は残っていない。
鉢を少し傾け、すり潰した薬草の状態を見て満足したように頷き、コモモはレクトに次の指示を出した。
「お水をお願いしますわ」
「ん」
彼は回転椅子の上でぐるりと反対を向き、棚に手を伸ばして水の入ったボトルを取り出した。そうして先程と同じ回転方向でコモモへと向き直ると、彼女の手の平に丁度添えるようにボトルを渡した。
コモモはすり潰した薬草を濾して液体だけを別の容器に移すと、そこに水を薬草エキスの倍量ほど注ぎ、匙で軽く混ぜ合わせた。
「そして、わたくしの毒も少々…」
そう呟き、彼女は容器の上で口を開ける。
つぅ……と牙を伝って、何か液体が垂れる。
きっとそれは彼女の、コモドドラゴンとしての毒なのだろう。
それは僅か一滴の毒液。
体積の少なさ故にさしもの重力も、その一粒を彼女の牙の先から引き剥がすのに相当難儀した様子で、下の容器に彼女の毒が落ちるまでの数分間、彼女はずっと口を開け、ちょろっと舌を出したままの表情でいた。
レクトは始めこそ、そんな彼女の様子を何も考えずに見つめていたものの、途中からその表情に不思議と扇情的なモノを感じてしまって、無意識のうちに目を逸らしてしまっていた。
そんな状態が続いて。
ぴとん。
小さく水音がする。
部屋が静かでなければ聞き逃していただろう。
そのほんの一滴の毒で、最後の材料が揃った。
コモモは再び匙を取り出して液体を混ぜ合わせ、仕上げに取り掛かる。
レクトの知らない道具を使い、理解の及ばない作業を行った。
静かに見守られる中、彼女は淡々と手を動かし続けて。
「……できました」
毒が出来上がった。
「へぇ、これで完成なんだな」
「初めてですから、簡単な毒を作ることにしましたの」
漏斗を使って瓶にその毒を注ぎ、蓋をする。
シール用紙から小さな四角形を切り出して、貼り付けてラベルにする。
「効能は?」
「弱い麻痺毒です。飲むと、全身にピリッとした痺れを感じるようになりますわ。動けなくなったりはしませんが、しばらくの間は身体の感覚が曖昧になってしまうはずです」
油性ペンでラベルに毒の名前を書き込みながら、答える。
その声色からは隠せない高揚が感じ取れた。
初めての調合、初めての成功に、胸が高鳴っていた。
しかしまだ終わっていない。
松明を作ったら灯すように。
料理を作ったら食べるように。
やらなければならないことが残っている。
「さて。では実際に、毒の効果を試してみましょう!」
「どうやるんだ?」
「わたくしが飲みます。自分が作ったものですから、責任を持って効能のほどを確かめますわ」
そこには責任感以上に、一種の自信が見て取れる。
人生初の作業であるにも関わらずそんな余裕を醸し出せるのは、ひとえにアニマルガールとして持つ輝き故か。
レクトにはその目がとても眩しく見えた。
「けど、コモモの身体から出した毒を材料に使ったんだろ? 普通に考えて、自分自身にその毒が効くようには思えないんだが」
彼の疑問にクスッと。
”待っていた”と言わんばかりの微笑み。
「そこで、薬草の出番ですわ。この草の成分がわたくしの毒に作用して、仕組みを変えてしまうのです。そうすると、わたくし自身にも少しは効果のある新しい毒が生まれるのですわ」
面白いほど饒舌に、彼女は自分がやった加工の妙を語る。
彼が一種の雛鳥だと思っていた彼女は既に一人前になって彼の目前に立っている。
「元々のコモモの毒も麻痺毒なのか?」
「ええ、そうですわ」
「じゃあ今回のコレは、本当に簡単な調合だったんだな」
コモモにとっては、だが。
「さあ、そろそろ試しますわ」
いよいよ痺れを切らした。
それで麻痺毒を呑むのは何の皮肉か。
彼女は先程はめ込んだ瓶の蓋を開ける。
そこそこの力を込めてこじ開ける。
初めから蓋など閉めていなければ当然楽だったに違いないが、彼女はそんな余計な一手間さえも愛しているかのようである。
数秒後、蓋が取れた。
彼女は瓶の口を、自分の口に当てた。
「んっ…」
瓶の中身を半分ほど、一思いに飲み込む。
可愛らしく喉を鳴らしている。
「…ふぅ」
「どうだ?」
「うふふっ。少しだけお待ちくださいな」
結果を焦るレクトにコモモは母親のような微笑みを向けて、毒が回るまで待つように促した。
只管に待つだけの時間が再びやってくる。
二人は椅子に腰掛けて、共に沈黙を楽しむ。
それは一見して余韻のようでありながらその実、来るべき時を待ち望む不思議な静寂であった。
別にゆったりとしていて良いのに、出所の知らぬ緊張がレクトの身体を凝り固めて、指先にむず痒い痺れを齎す。
毒を呑んだのは自分だったのではないかと、彼がそう思い始めた矢先。
―――それは訪れた。
「……あっ、痺れてきましたわ♪」
「平気なのか…?」
喜びを噛み殺すような嬌声が漏れる。
ぴくぴくと瞼を震わせて、彼女はどこか気持ちよさそうにしている。
心配するレクトの問いに答えることもなく、彼女がその甘い効能を心行くまで愉しむこと、およそ数分。
彼女は大きく息を吐き、脇に置いてあったコップの水を一息に飲み込む。
朱く上気していた頬もすっかり健康的な肌色に。
どうやら終わったようだ。
「ああ、もう効果が切れてしまいました。そもそも弱く作りましたし、わたくしの身体から出した毒を加工したものですから、仕方ありませんわ」
何故かとてもスッキリした様子でコモモは片付けに取り掛かっている。
その途中、飲みかけの瓶をレクトの手に添えて、一つ尋ねた。
「レクトさんも試してみます? 解毒剤もちゃんと作ってありますから、恐らく大したことにはならないですけれど、万が一の備えも出来ていますわ」
少し、彼の身が強張る。
毒という普通は進んで口にしない物を勧められ、驚いたというのが実情だろう。
「不安でしたら、無理はなさらないでください」
「…いや、試してみるさ。面白そうだしな」
しかし彼は余り悩まず、それを呑んでみることに決めた。ついさっき目の前で彼女が全く同じものを口にして、そして何ともなかったのを見ているからこそ、抵抗も小さかった。
しかし緊張は僅かに残る。
彼は口に当てた瓶を勢いよく傾け、目をぎゅっと閉じて一気に呑み込んだ。
ごくっ。
骨を伝わって、自分の喉が鳴る音も聞こえる。
彼はその毒を味わい、しかめっ面で笑った。
「うえっ、思ったより苦いんだな。てっきりもう少し草の―――――」
それは突然だった。
躊躇なく一時停止ボタンを押したかのように彼の言葉はぷつりと途切れ、それと同時に彼の両手両足も、糸が切れた人形のように力を失い墜ちていく。
べちゃっ。
そんな音を立ててしまいそうな崩れ様だった。
「レクトさんっ!?」
「あ、ぁ…」
膝を突いて彼は呻く。
不愛想な音を立てて彼は倒れ込み、天井を仰ぐ。
明らかに普通ではない身体の痺れをよそに、心臓だけは場違いにガンガン音を鳴らしていた。
目が霞む。
匂いが消える。
耳が遠くなる。
彼を襲ったのは痺れなどと言う生易しいものではない。
身体の中で肥大化してはち切れ、彼を小さな果実のように押し潰してしまう世界の終わりだ。
痛い。痛い。痛い。
彼の脳裏からはやがてあらゆる言葉が消え失せてゆく。
「しっかりしてください、レクトさんッ!」
コモモは叫んでいたが、今の彼には聞こえていたかどうか。
少なくとも一つ。
虚ろに光を失っていく瞳の様子は彼女からハッキリと見えただろう。
「…ク…さん、レ……さ…っ!」
こうして彼が吞み込んだ初めてのコモモの毒は彼の意識を奪い、魂を絡め取って深い深い闇の中へと引きずり込んでいく。
でも、コモモを責めることはない。
遅かれ早かれこうなっていた。
彼はこうして夢を見に来た。
これは運命なんだ。
そんな風に。
『あたし』は思っている。
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