第15話 あなたが見る可き夢で在る。

 これが現実ならばどうして、触れられないのだろう。

 これが夢ならばどうして、こんなに寂しいのだろう。


「うっ……」


 右手で頭を押さえて、ちょっと辛そうな声をして。

 あたしの目の前で彼は目を覚ました。


 ……ううん、その表現は正しくないかもしれない。


 だってここは夢の中だから。


 世界があたし達のために用意してくれた、遍く意識の沼底だから。

 彼はその深い深い底面で、これ以上ない自我を取り戻した。


「ここは、どこだ?」


 彼は不思議なことを呟く。

 だってそんな疑問、ぜんぜん無意味だって知っている筈だから。


 彼があたしの彼ならば、ちゃんと全部解っているに決まっているから。


 ……でも、ちょっと様子がおかしい。

 もしかして、本当に戸惑っているのかな。


「お前、誰だ?」


 びっくりした。

 こっちを見て、急にを言うものだから。


 ヒトのそれとは違う形の、あたしの心臓がキュッと縮んだ。


「見覚えがある、どうして…」


 それは当たり前。

 むしろ、覚えてない方が可笑しい。

 あんな約束までしたっていうのに。


『ねぇ』


 そろそろ怒りが湧いてきた。


 何というか、推理ゲームでプレイヤーである自分が答えに気付いているのに、肝心のキャラクターが一向に答えに辿り着いてくれなくてヤキモキしてしまう時のような、そんな気分だ。


 だって、おかしい。

 もう解っていなければ、おかしいのに。


 あたしは少しだけ、イライラした気持ちを態と声色に混ぜながら彼に問い掛けた。


『久しぶり。あたしのこと、覚えてる?』

「―――おい、なんて言ってる?」


 聞こえていないの?


 そんなの嘘。

 信じないよ。

 だから、話し掛け続ける。


『大きくなったね。あの時より、すっごく素敵になった』

「……口は、動いてるのに」


 どうして応えてくれないの?

 ねえ、どうして?


 あたしの心から段々と、彼に対して何か意味のあることを語り掛けようという気持ちが消え失せていって、最後に残ったのは……何か、宣戦布告のようなものをしてやりたいという考えだった。


 だから、言い放つ。


『逢えるよ』

「……え?」

『すぐに逢える』


 もちろんこれまでの全てを考えれば、辿ってきた道が”すぐ”に終わるものだなんてそんなこと絶対に言えない。


 でも今から考えれば、それは間違いなく”すぐ”なんだ。


『とっても長い時間が掛かっちゃったけど、ようやくここまで取り戻せたから』


 だから、あと少しだけ。


『待っててね、


 それと、一つだけ。

 せめて最後の言葉は聞こえていますように。




§




「……うわっ!?」


 彼は目を覚ました。

 途轍もなく唐突に、ある意味では無遠慮に。


 まるで悪夢でも見ていたかのように額から冷や汗を垂れ流すその様は、もしもそれが普通の夢だった時にとても失礼ではなかろうか。


「はぁ、はぁ…!」

「レクトさんっ、目を覚ましたんですね!」


 倒れている間、ずっと心配して傍に付いていたのだろう。


 彼が身体を起こした直後、コモモは涙混じりの声を上げながら彼に飛び掛かって抱き着いた。その抱擁は誰でも一目見てわかるくらいに熱く、力強く、病み上がりの彼が潰れてしまわないか心配になるほどであった。


 彼女は引き続き泣きながら、目を固く瞑って懺悔する。


「ご、ごめんなさい……わたくしのせいで、レクトさんが…!」


 謝るべき相手は見えていない。

 ただ只管に謝って、痛そうなくらい彼の手を握って。


「毒を口にして倒れてしまった後、慌てて解毒剤を飲ませたのですがまったく効果がなく……お布団を持って来てなんとか寝かせて、それで…」


 捲し立てる様な弁明は段々と痛みを堪えるような悲しみを帯びてゆき、コモモの手はレクトの腕に伸びて絡みつき、離れることを拒み縋りつく。


 そして彼はというと。


 コモモの手を握り返すとか。

 逆に振り払ってしまうとか。


 そのようなことは全くせず、あっけらかんと慰める。


「ま、気にすんな」

「ですが…」

「まさか、もうやめようなんて思ってないよな?」

「だってわたくしの所為で、レクトさんが危ない目に…!」


 止まらない自責を堰き止めるように、コモモの口を指で押さえた。


「そんなん、俺が不注意にに近づかなきゃいいだけの話だ。こういう危ないものを管理するのも、毒作りの専門家の仕事だろ?」


 彼女に責任は無いのだと、重ね重ねの説得。

 目を丸くしながらも頬を赤らめる彼女に向かって、彼は続ける。


「次がない様にすればいいんだ。だから、あんまり重く考えないでくれ」


 最後の言葉は、半ば懇願。

 彼女の高揚も期待も知っているからこそ。

 彼は自分なんかの為にそれを辞めて欲しくなどなかった。


「……いけませんね。こんな風に落ち込んでいては」


 レクトの言葉を数分ほど噛みしめて。

 彼女はそれに応えた。


「わたくし、まだまだ頑張りますわ。始まったばかり……ですものね!」

「おう、その意気だ」


 その返事に安心し、彼も微笑む。


(これでいい。……そうだよな?)


 少なくとも自分なんかの為に彼女が情熱を捨ててしまうようなことが無くて良かった。


 彼はそう思い、深く安堵した。


「それはそれとして、何でこんな風に倒れちまったんだろうな?」

「詳しいことは分かりませんが、レクトさんの体質のようなものではないでしょうか……」


 今回のレクトの身体に引き起こされた症状は、彼が口にした毒の毒性と比較して不自然なほどに重篤なものだった。


 それ故に、彼女はそんな推測をした。


「体質?」

「例えば、どんな毒や薬を飲んでも重症になってしまう……みたいな」

「だとしたら、どっかのタイミングで死んでそうだがな…」


 彼は苦笑いを浮かべる。


「薬を飲んだことはあるのですか?」

「まあな。大体は怪我した時とかに、普通の痛み止めを」


 要は何の変哲もない薬だ。


「……もしかすると」

「何か心当たりでもあるのか?」

「いえ、まだ推測に過ぎませんから……レクトさんの身体のことを思うと実験なんて出来ませんし、心に仕舞っておくことにしますわ」


 無理をして答えを追い求める必要はない。

 彼が先程言った通り、備えなく毒と触れ合わないようにすればいい。


 それだけなのだから。


「片付けてきますわ。レクトさんは、まだ安静にしていてください」

「ああ、わかった」


 コモモは向こうでテーブルの整理を始める。

 彼は布団に再び仰向けになり、独り思考に耽る。


(……あの夢)


 気を失っている間に視た夢。

 真っ白な空間と、同じく真っ白な誰か。

 知らないようで知っている何者か。


「ただの夢じゃ、ないんだよな?」


 微かな呟きは空気に融けて、消えた。


 ―――あゝ、思い出せますように。

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