第16話 動転の始まりは。
「センパイ、いる?」
件の服毒騒ぎから少し経って、レクトがリビングの窓際で時間を潰していると、やけに聞き慣れた声が外から聞こえた。
まさか、客人?
そんなことはあり得ないだろうと彼は咄嗟に思ったが、しかし自分を呼ぶ言葉は確かに聞こえてしまった。なので仕方なく、彼はまだ調子の芳しくない身体をせっせと動かして外に出てきた。
すると案の定、彼女がそこにいた。
「ティレッタか。……いや、どうやって来た?」
現れたのが誰であろうと、その質問は欠かせない。何故ならば彼は今まで一度も家に客人を招いたことなどないし、家の場所を誰かに教えたこともなかった。
……コモモを除いて。
だから、ティレッタが此処にいるのは極めて不自然なことなのだ。
「”どうやって”って……ねぇ?」
彼女はケラケラと笑いながら、その問いに答える。
「センパイったら妙な場面で不用心なんだから。荷物を載せた台車の轍、全然気にしてなかったでしょ」
「……う」
彼は小さく唸る。
指摘されて初めて気が付いたらしい。
確かに今まで一度たりとも、台車を使って家まで荷物を運ぶようなことを彼はしてこなかった。
故にそもそも、意識の外。
「それを辿って、か」
「良いお家だね。どうして教えてくれなかったの?」
「いいだろ、別に」
そう突っぱねる彼は珍しく投げ遣りな態度を取っていた。仕方がないとはいえ、自分の過失で家を特定されてしまったことが余程悔しかったのかもしれない。
それを裏付けるが如く、話を逸らすようにしてティレッタの用件へと話題を差し向けた。
「それより、わざわざ何の用だ? まさか、家を見に来ただけとは言わないよな」
「当たり前でしょ~。エピリさんが呼んでるの。なんでも緊急事態だって」
レクトの身が強張る。
まさかそんな言葉がエピリの口から出るとは。
ふぅ、と。
一息、やるべきことを整理する一瞬。
「……コモモに一言、聞かせてくる」
「なる早でね。あの人、珍しくめっちゃ焦ってたから」
背中にティレッタの声を受けながら彼は頷く。
そうして再び出てくるまでに、そう時間は掛からなかった。
§
「やあ。いきなりの呼び出しになってすまないね」
レクトがエピリの執務室に入ると、彼女はいつものようにニヤニヤと微笑みながら煙管を吹かして彼を迎え入れた。
もはや見飽きた白い煙が部屋にたむろっており、嫌そうにそれを払いのけて彼は言う。
「社交辞令はいい。本題を早く言ってくれ」
「そっかそっか、じゃあそうしよう」
そう言うと彼女は襟元を整え、真剣な面持ちとなる。
作業机の引き出しから紙を一枚引き抜いて。
レクトにそれを差し出しながら、その内容を一言で形容した。
つまり、問題の原因を。
「―――計測機器が、セルリウムの異常発生を観測した」
彼女がここで言及した計測機器とは、この建物の屋根に設置されているパラボラアンテナ状のセンサーである。正式名称を『地虹・衍澹感知アンテナ』といい、その名の通りに周辺地域の該当物質の分布を計測することができる。
そしてこの文脈で”異常発生”と言われれば、それは基準値を大きく超えた”セルリウム”が観測されたことを意味する。
ただし、彼は彼女が発したその言葉に聞き覚えがなかった。
「セルリウム?」
「衍澹という別名もあるね」
「というか、そっちの方がメジャーだろ?」
辟易する溜め息。
だが、何か抗議があったりはしなかった。
「別にいいさ。で、衍獣の大量発生が懸念されるってところか?」
「噛み砕いて言うとそうなる。ただし、場所が問題でね」
「……どこなんだ?」
小指から一本ずつ折り畳んで拳を閉じる。
少々躊躇うように中空を見上げて、息を吐く。
そしてポツリと、しかし明確な口調で彼女は言った。
「あの湖さ」
「げげっ、それってやばくない!?」
大袈裟なポーズで驚いたティレッタ。
エピリは頷く。
「まずいね。非常に」
そうして僅かな言葉で通じ合う二人であったが、レクトはこの先の会話の流れを想像して顔をしかめた。
なんとなく、何を言われるのか分かってしまって。
だから先手を打つ気持ちで釘を刺そうとした。
「一つだけ言っておく。衍獣の大量発生に対処するのなら、向こうの”都会人”にでも頼んで人を沢山呼んでくるべきだ。少なくとも、この集落の付近にある少ない戦力で立ち向かうべきじゃない」
彼からすれば、それは正当な要求だった。
いくら腕が立つとはいえ、彼は一人。
ましてや水のない場所で大勢とは戦えない。
だからこそ、いくら普段は無茶な要求をしてくるエピリとはいえ、こればっかりは真っ当に対応してくれると思っていた。
そう。
思っていたのだが。
「……それでも、君にお願いしたいと言ったら?」
「は? 俺に?」
「待ってよ、センパイ一人を行かせる気なのっ!?」
エピリはお構いなしだった。
遠慮も配慮も欠片ほどもなく、彼女はレクトを一人で対処に向かわせるつもりのようだった。
「彼は非常に強い。こんなに大きな危機がやって来るのは初めてだが、彼ならば問題なく対処できるだろう」
それは盲信にも似ていた。
全くの無根拠に彼女はレクトを信頼していた。
もしかするとその信念の礎となる何かがあったかもしれないが、彼らに知る由は無かった。
当然、ティレッタが反駁する。
「言ってることが変だよ…! だとしても、アタシ達も一緒に…」
「いいや、必要ないね。彼さえいれば十分だ」」
だか無情。
エピリは簡単に反論を切り捨てた。
「な、なんで…」
「…どういうつもりだ?」
「自分を卑下する必要はない。君の槍捌きは目を見張るものがあるし、戦場での危機管理能力も同様に素晴らしい」
褒めながらわざとらしく手を叩く。
一周回って”疑ってくれ”と言っているかのような仕草。
「……それに戦場は湖だ。君にとっては、ホームグラウンドのようなものだろう?」
彼女は幾つも付け加える。
可笑しな言葉を。
あり得ない言葉を。
「…なんだって?」
「ちょっとエピリさん、どういう意味?」
ほとんど同時にエピリに向けられた二人の同じ質問は、しかしそれぞれにとって意味合いが確かに異なっていた。
ティレッタは唯々戸惑うのみ。
しかしレクトは警戒心をあらわに、相手の一挙一動に神経を尖らせる。
どうしてだろうか、エピリは二人から向けられた質問に一切の返答をすることなく、楽しそうに見つめ返すだけだ。
(これだけ怪しく振る舞っておいて、まさか何も答えない気か? ……それとも、俺に対する密かなサイン? 今までそんな素振り、無かったのに)
彼は押し黙って悩む。
彼女の思惑と、この事態への対処可能性。
様々なものを天秤にかけて、考える。
「……すぐに行かなきゃまずいか?」
「早い方が良いね。時間を掛ければ掛けるほど、同時に多くの敵を相手取る必要に駆られてしまう」
湖の水を使って思う存分に戦えるなら、きっと幾らでもやりようはあるとレクトは考えた。エピリが彼一人を向かわせようとしているのは、彼がその力を遺憾なく発揮できるようにするための配慮なのかも。
考えすぎだろうか。
いや、必ずしもそうとは思えない。
詳しい事情は後で良い。
きっとなんとかなる。
だからこの企みに乗ってやろう。
―――彼はエピリの思考を追いかけることを止めた。
「…え、待ってよ。センパイも納得してるの?」
「安心しろ、死ぬ気はない」
「じゃなくてさ。え、なんで? だってエピリさんの言ってること、訳わかんないんだよ?」
ティレッタには悪いが、彼から話せることは他に何も無かった。
出来るのは、どうにか安心してもらうことだけ。
「アンタの知ってること全て、戻ったら詳しく聞かせてもらうからな」
「ははは、そうかい」
エピリはやはり、飄々と笑うだけ。
「待ってよセンパイ! 戦いに行くのは分かった。でも一つだけ。別の話をさせて」
悲しいかなティレッタは蚊帳の外。
それでも諦められない彼女は、レクトの手を引い決して
「場所変えよ。すぐ終わるから」
「……ああ」
彼の考えが既に固まっていたからこその余裕だったのだろう。
エピリは微笑みを湛えたまま、何も言わずに部屋を出ていく二人を眺めていた。
そして外に出てすぐの玄関先で。
ティレッタが話を切り出した。
「突然だけど聞かせて。コモモちゃんのことどう思ってるの?」
「…はあ、何かと思えばそれか」
「答えてほしいな。大切なことだから」
ティレッタは真っ直ぐにレクトを見据えて、そう訊いた。
そのある種容赦のない姿勢は彼に妙な緊張を招く。
彼女は生半可な返事を決して許したくはなかったのだ。
そんな彼女の思いは幾らか確かに彼に伝わり、暫しの思案を挟んで返答をした。
「別に俺は、大してアイツに執着してる訳でもない。もちろんアイツが俺を大事に思ってくれているのなら、その気持ちを無下にする気はないけどな」
ある意味、誠実な答えではあった。
それと同時に、卑怯な逃げの一手でもある。
「そんな答えが聞きたいんじゃないよ。センパイはどう思ってるの?」
「……それが大事なのか?」
レクトは目を逸らした。
ティレッタは見つめ続けた。
それが全てを表していた。
「大事だよ。だってコモモちゃんはきっと、センパイにも自分のことを沢山好きになって欲しいって思ってるはずだもん」
彼は片手で耳を、ティレッタに向いた方の耳を押さえた。
そんな事をして聞こえなくなる筈はない。
ただ、無意識のうちにそうしていた。
「時間がないからこれで終わるけど、言わせて。コモモちゃんに対してセンパイがハッキリしてあげないと、いつか拗れちゃうかもしれないよ」
「……」
沈黙。
返す言葉もない。
否、返したくない。
「センパイがどう思ってるのか、なんでそう思うのか……アタシには分かんないけど。でも……」
聞きたくない。
聞こえないでいたい。
自分は、空っぽでいたい。
「お願い、センパイ。自分のことも幸せにしようとしてあげて」
伸ばした手を払われるくらいなら。
そもそも望まない方が気楽に済む、だなんて。
―――ねぇ?
そう思ったこと、あるんじゃないかな。
けどそれが、彼女には嫌みたいだ。
ノリは軽くとも実直な彼女にとって、許せないことみたいだ。
「お前、そんなしんみりした話をする奴だったか?」
「いつもはしないよ。でもお世話になったセンパイにとって大事なことだから。アタシ、ちゃんとみんなのこと見てるんだからね?」
こんな風に諭すなんて、彼女にとっても慣れないこと。
きっとそうだ。
だから冷や汗を流している。
「ちゃんと無事に帰ってきてね」
「ああ」
「それと戦いに行くなら、コモモちゃんにもハッキリ伝えてあげてね」
「……それくらい分かってるさ」
それを聞いて、ティレッタはやっと安心したように笑って。
「行ってらっしゃい」
彼を送り出すのだった。
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