第5話 わずかな筈の長い離別を。

 彼らが戻る頃には、既に日は深く沈んでいた。


 木製の街灯が、人々の生活圏を囲む柵に縄で固く括り付けられており、その支柱から『7』の字を成すように突き出た出っ張りに、まあるいランタンが吊り下がっている。


 ゆらゆらと、白い光が夜闇に滲む。地虹と衍獣の死体を混ぜた燃料で燃やされているランタンは、虹と灰色の煤を底皿に貯めていた。


 そろそろ、掃除が必要な時期じゃないだろうか。


「ただいま~……っと」


 彼らが集落の敷地に入ると、間もなく出迎えがやってきた。


「レクト先輩、お疲れ様です!」

「おうフォル。今日も元気そうだな」


 フォルと呼ばれた少年は、こんな夜には全く似合わないほどニカっと明るく笑って答える。


「あったりまえですよ、元気じゃなきゃ何もできませんから!」


 辺り一帯に響き渡る大声を発し、見せつけるように片手を握り、ドスンと力強く地面を踏み鳴らす。


 なるほど彼の元気とは、かなり乱暴そうだと。

 コモモは内心でそんなことを思うのだった。


「あー暑苦しい、もう暗いんだから少しは静かにできないの?」


 そんな風にしていると、また新しい出迎えが現れた。


「なんだよティレッタ、オレみたいに元気な方が絶対イイって!」

「はいはい、そうですか」


 ティレッタと呼ばれた軽い調子の少女は、ひらひらと手を振ってフォルの抗議を受け流し、するりと彼の横を抜けてレクトの目の前へと移動した。


「センパイ、フォルって暑苦しいよね?」


 グッドサインの親指で後ろの彼を指し、言う。

 するともレクトもノリが良く、とても素直に肯いた。


「何を今更。大して短い付き合いじゃないだろ」

「せ、先輩までっ!?」


 あんぐりと口を空けて、ショックを受けた表情。


 ……それを見て。


 ティレッタはカラカラと笑った。

 コモモはどうしていいか分からず苦笑い。

 レクトは翻って、肩を叩きながら励ましてみる。


「お前の勢いが良い所、俺は気に入ってるぞ」

「先輩…」


 大きく開いた口は、瞬く間に安堵の形に。


「あーあ、ホント単純なんだから」


 呆れたような声がティレッタから漏れた。

 それを耳で捉えたフォルが、彼女に再び食って掛かる。


 そしたら彼女は言い返す。

 彼も負けじと声を張る。

 の繰り返し。


 そのような流れを辿り、レクトが会話の輪から自然と外れたところで、コモモは先程からの疑問を彼に尋ねてみる。


「……レクトさん。”せんぱい”、というのは?」

「大したもんじゃない、少し年上ってだけさ。それと衍獣と戦った経験が豊富だから、あいつらにちょっぴりアドバイスしてるってのもあるかな」


 その時は当然ながら、彼の水を操るという特異な力を隠したまま、ただ単に槍術を用いた敵との戦い方を伝授しているのだろう。


 ふとした瞬間にボロを出してしまわないか不安だが、そもそも誰にも明かしていなければ心配も無用といったところか。


(すると、わたくしの所為で彼が間違えてしまう恐れが……?)


 ちょっぴり悪い未来を想像して。

 コモモは在りもしない罪悪感に沈んだ。


「じゃあ俺はこの薬草を届けてくるから、好きにゆっくりしてるといい」

「…わかりました」


 彼は暗がりに消えていく。


 そして一人残されたコモモに、漸くフォルとの言い合いを終わらせたティレッタが話しかけてきた。


「あなたがコモモちゃんね。博士から話は聞いてたけど、こうしてお話するのはこれが初めてかしら」


 コクリ、と。

 コモモはぎこちなく首を縦に振る。


「あはは、緊張しないで。ね?」


 距離感も重みも感じさせない柔らかな物腰の物言いに、コモモの肩からするりと力が抜けていく。ティレッタは物理的にも距離を縮めて、気心の知れた友人のようにコモモの背中にくっつくと、今度は悪戯っぽく耳元で囁いた。


「……で、センパイのこと気に入っちゃったの?」

「え、えっ…?」


 何事かとコモモは戸惑い、追い打ちを掛けるようにティレッタは続ける。


「わかるよ~、視線がしっとりしてるもん」

「わ、わたくしは別に…」

「そう?」


 歯切れの悪い返答を受けてやや不満げに、しかし敢えてそれを感じさせない笑顔を即座に繕って。


「……ま、どっちでもいっか♪」


 コモモへの追及はお預けにした。

 少なくとも現時点では。


「仲良くしてあげてね? センパイ、ああ見えて案外さみしい思いしてる人だから」


 話題はコロリと、彼の身の上話へと移り変わる。


「さみしい? でも、同じ集落で暮らしている人たちがいますし、そんな風には…」

「あぁ、違う違う」


 ティレッタがさらりと否定する。

 ここに来て日の浅いコモモは一つ、彼について大きな勘違いをしていた。


「レクト先輩は、この集落で暮らしてる訳じゃないんだ」


 まるで青天の霹靂。

 言っている意味がよく分からない。

 コモモはただ目を丸くした。


 やっぱりと言いたげな溜め息をして、ティレッタは続ける。


「センパイったら、このご時世にお外で放浪生活してるんだよ~? 確かに強いから平気かもしれないけど、ついていこうとしたら頑なに突っぱねてくるし、拠点の場所もぜんぜん教えてくれないし」


 そんな彼の言動を上手に形容できる言葉は一つ。


「アヤシイね」


 それしかない。


「実はお外で誰かと一緒に暮らしてるんじゃないの?」

「誰かって?」

「やだなフォル、それくらい自分で考えなよ」


 横から口を挟んできたフォルには何とも冷たい対応。


「でもコモモちゃんとは一緒に考えてあげる~」

「おいっ!」


 それでありながらコモモには甘くするので、当然ながら文句が出てくる。


 だが幼い頃から彼と一緒に過ごしているティレッタが、今更になってこんな些細な諍いに本気になるだろうか。そんな筈はない。フォルの方も、彼女が本気で構ってきたら逆にドッキリを疑ってしまうだろう。


 そんなこんなで女子二人、レクトの秘密を妄想する。


「でも、何があるのかなんて…」

「分かるわけないって?」

「そうです」


 コモモは気にしているのだろう。

 何も手掛かりがないことを。


 ティレッタは……面白い考えさえ浮かぶならば、その辺のことはどうでもいいと思っている。


 そしてターゲットはレクトではない。

 彼女の横で不安そうな顔をしているコモモだ。


 故に、彼女の心を揺さぶれそうなことを言う。


「もしかしたら、カワイイ女の子を飼ってるのかも」

「そ、そんなっ!?」


 不意を突かれた慌て声。

 思惑通りでしたり顔。


 そのまま静かに、背中を押して。


「何が何でも後をつけてみたら? アタシ達じゃもう無理だけど、まだ知り合ったばかりのコモモちゃんならゴリ押しでいけちゃうかも」


 煽る。


 思うに、人の行動を煽るのに最も重要なのは形だけの勢いではない。パッと見では看破しがたい合理性を混ぜた言葉を使って、あくまで冷静に諭すように、考える隙を与えずに進むべきレールを敷くことなのだ。


 おだてられていると知ったら人は冷めてしまうから。


「れ、レクトさん…」

「心配なんでしょ? だったらやろうよ」


 あくまでアドバイスの体で、煽らなければならない。


「ティレッタ、こういうのは…」

「いいの、面白くなりそーじゃん?」

「オレはこういう、探りを入れるみたいなのは苦手だ」

「知ってる、アンタはそういう奴だよね」


 二人の意見は水と油で、それらは互いに弾き合うもので。


 とどのつまり、心配に思うフォルの言葉はティレッタの悪戯心にすっかり跳ね除けられて、コモモの耳に届くことさえなかったのである。


「ところでいいの? センパイの帰りを見に来たみたいけど、まだ倉庫の整理終わってないんでしょ?」

「あっ、やべっ!」


 加えて、彼自身にも幾許かの瑕疵があるのだから、もはやコモモの考えを引き戻す小さな隙も残されてはいなかった。


「はぁ……アタシも手伝うから、さっさと終わらせるよ」

「悪い、助かる!」


 顔の前で手を合わせ、フォルは感謝の言を述べる。

 ティレッタはコモモの方に向き直って、しばしの別れを告げた。


「じゃあそういうことだから、またねコモモちゃん」

「はい、また今度」

「センパイとも頑張ってね~」


 もちろん最後までからかうことは忘れずに。


「……は、はい」


 なんとか返事をしながら手を振るコモモだが、頭の中はどうにも真っ白で仕方がなかった。ティレッタの話を聞いてから、レクトの姿を思い浮かべるたび顔が妙に熱くなってしまうから。


 けれど。


 この熱は、突然生まれたのではなくて。

 彼女に色々言われる前から、種火はあったように思えて。


 悶々。


 レクトが戻ってくるまで、コモモはその場で固まっていた。


「おまたせ。……ん、どうした?」

「えっ!? それは、その…」


 きっと待ち望んでいた彼の声を耳にして、コモモは思わず飛び跳ねた。


 その過剰な反応に訝しむような視線が向けられたが、レクトに何かを尋ねられる前に彼の思考を遮るが如く疑問を投げかけた。


「……ティレッタさんから聞きました。レクトさんって、普段はこの集落の外で暮らしているんですか?」


 ああ。

 と、手を叩いて。


「そういやまだ喋ったことなかったか。ティレッタの言う通り、俺は集落に身を置いてる訳じゃない。拠点は大体この近くだけどな。ちょっと離れた漁村まで行って魚を貰ったり、逆にこっちの木の実とかを持ってったりもしてる」


 そこまでは口にした。 


「ま、理由は想像に任せるぜ」


 肝心な部分ははぐらかすのだが。


「今日はもう遅いから泊まらせてもらうけど、明日の朝にはまたここを出る。丁度エピリさんからの依頼もすっかり片付いたしな」


 彼が今後の予定を告げると、コモモの尻尾が動いた。


 うねる尻尾はぐるぐると自分自身の足に巻き付いて、きゅっと縮まった脚と伏せた顔、そしてレクトに向けられる上目遣いの視線からは言葉にするまでもない彼女の心情が窺える。


 それにはさしもの彼もバツが悪い表情をして、弁明を図った。


「そう寂しそうにするなって、またしばらくしたら―――」

「イヤですっ!」


 しかし堰を切る。


 感情のダムにティレッタが徒に土を放り込み、伴って上がった水嵩がその限界点を越えてしまったのだ。


 さりとて面白いのは、自身を突き動かす衝動の正体に彼女がいまだ見当を付けられていないということで、少なくとも意識の上ではその気持ちに未だ名前が付いていない。

 

 腹を抱えてしまうほど、岡目八目の様相。


「わたくしも、一緒に行きます!」

「え、ちょっと待てって、コモモはここに住むんだろ…?」

「まだ決まったわけじゃありません! 成り行きでこの数日間は置いてもらいましたが、どこで生きるかは自分で選んで良いはずです!」


 コモモの言い分はもちろん事実だった。

 だがそうでなかったら、彼女は嘘をついただろう。


「そうだとしても、なんで俺に…」


 確かに危ない所を助けはしたが。


 彼の感覚からすればそんなことは紛れもなく日常茶飯事であり、十分に恩義へと報いさえすれば、のちに引き摺ることなど何もない。


 だからコモモが、”彼にとっての必要”以上に彼を気に掛けているという現状は、なんとなく居心地のすっきりしない奇妙な状態として彼の身に纏わりついている。


 別に嫌ではない。

 嫌ではないが。

 どんな顔をすればいいか分からないのだ。


 コモモは、尚も想いを熱弁する。


「レクトさんが心配なんです。腕っぷしの話じゃありません。お料理だってすごく得意ではないんでしょう? 他にもたとえばお洗濯とか、身の回りのことはちゃんとできているんですか?」


 聞けばまるで母親のような心配。


「うっ…」

 

 思わずレクトの心に深く突き刺さった。

 もちろん、普段から身辺を適当にしているが故の自業自得だが。


「ええと、ほら。別に命に関わるわけじゃないだろ?」

「……レクトさん?」


 ぐいっと詰め寄る。


 つい先程まではか弱い乙女のように寂しがっていたコモモ。

 気付けば彼女は、簡単には太刀打ちできないほど強気になっていた。


「わたくしも一緒に連れて行ってください。既にを共有してしまった仲でしょう? 何も気にしなくて平気です」


 それとこれとは話が別だが、有無を言わせなければ関係ない。


「……ね?」


 ぎゅっと両手で彼の手を包み込んで、願う。

 

 そんな風に。

 わずかな筈の長い離別を、彼女がひどく厭ったから。


「…わかった。わかったよ」


 縋ってくるその両手を振りほどくこと。

 レクトにはそれができなかった。

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