第4話 談笑、ふかし芋を添えて。

「あの、これは…?」


 目の前に差し出された皿と、その上に載せられたものを見てコモモは戸惑う。しかしレクトは何が可笑しいのかと首を傾げて、当然のようにそれの名を口にする。


「何って、見ての通りふかした芋だぞ?」

「そう、ですわよね…」


 何度瞬きをしても変わらない薄茶色の球体と、静かに立ち上る白い湯気。


 襲い掛かってきた衍獣を退けて、川辺の砂利に身を落ち着けて。その少し後にレクトが始めたのは、カバンの中から調理器具とじゃがいもを取り出してふかし芋を作ることだった。


 しばしの待ち時間が過ぎれば、一つまた一つと出来上がっていく。


 その中の一つに鉄串を刺し、小さく切り分けた一切れを自分の口に放って火の通りを確認したら、残りの部分はコモモの手に渡るのだ。


 彼の言い分もまあ尤もらしい。


「色々あって腹も減っただろ? 食べながら話をした方がいいと思ってさ」

「ですけど、どうしてお芋を…」

「はは、言っちまえば慣れてるからだな」


 そう言われて、少し前に博士によって運ばされた箱がじゃがいもで一杯だったことを思い出した。


 コモモが身を置かせてもらっている集落では、主に畑での農業と周囲の森での採集を通して日々の食べ物を得ている。


 かつてこの地球上に生息していた動物たちは、を境に地球のあらゆる場所に出現し始めた『地虹ちこう』や『浸衍しんえん』――エピリはそれらをと呼んでいる――の影響でそのほとんどがフレンズに変化したり、衍獣と化したりしてしまった。


 そのため動物の肉を食する文化は自然と廃れ、人々は野菜や魚を食べて生きるようになった。現在となってはかつての動物たちの面影は、その思い出を模倣して再現する衍獣たちの中にしかない。


 全てが急速に一変し、数十億年をかけて連綿と積み上がったこの星の生態系の歴史は瞬く間に水泡と化したのだ。



 ―――まあ、そんな話は一旦脇に置いておくとして。



 いきなり芋を出されて戸惑っているコモモに、レクトは色とりどりの瓶を持ち出して更なる無意識の追撃を与えていく。


「味なら心配いらないぞ。塩に、胡椒に、カレー粉もある。他にもちょっとクセのあるスパイスも持ち歩いてるから、飽きたら別の味わいにすればいい」


 それを聞いた彼女はより一層押し黙った。

 確かにそれは助かることだが、別に問題も解決しない。


 コモモが心配しているのは『芋オンリー』という質素を通り越して貧乏に足を突っ込んでいる食事模様なのであり、芋の味に飽きてしまうことでは決してない。


 些かの不安を滲ませながら彼女は尋ねる。


「レクトさん。もしかしてお外ではいつもこんな食事を?」

「え? ああ、他にも簡単なスープを作ったりもするが、大体こんなもんだな」


 あっけらかんと、彼はそう言い切った。


「でも博士と助手には結構不評なんだよな。『お前が作っているものは断じて料理などではありません。ただのなのです』……とか言ってさ」


 彼に失礼だとは思いつつ、コモモは内心でその二人の言い分に深く納得した。


 塩をかけて一切れ食む。

 出来立てホクホクで、確かに美味しい。

 素朴な料理と考えればそんなに悪くはない。


「でも食べやすいなら別にいいよな?」


 だけど、集落の外で活動するあいだ毎食のようにこんなものを食べていると考えると、レクトの問いに対し素直に首を縦に振る気にはならなくなる。


 コモモは彼の食生活がとても心配に思えてきた。


「あれ。おーい、コモモ?」

「……」


 彼の呼びかけにもてんで答えず、目の前で手を振られても全く気づかず、彼女は独り思索に耽る。


 きっとこれまで彼は、長い間こんな生活を続けていた。

 何かきっかけが無ければこの先も、同じように適当な食事を摂り続けるのだろう。


 放っておけない。

 彼を変えられるのは、きっと自分だけ。

 そんな考えがコモモの頭に浮かんだ。


(わたくしがお料理を勉強して、レクトさんが毎日しっかりとしたご飯を食べられるようにして差し上げなくては……!)


 心を決めて、ぎゅっと両手を握りしめる。


「レクトさん、何も心配することはありません」

「おう、コモモもそう思うだろ」


 コモモの励ましとレクトの安心。

 そこには少しのすれ違い。


「はいっ、わたくし頑張りますから!」


 自分がご飯を作ってあげて、彼がそれを笑顔で食べる。

 そんな将来を想像してみたら、コモモの頬は当然ふにゃりと緩む。


「……え、頑張るって?」


 何故そんな必要があるのだろうと、彼の頭上にはハテナが浮かぶ。


(よくわからんが、随分とやる気みたいだな……)


 相手の胸中が分からずとも余計な口を挟まない。

 平気な顔でふかし芋を出す癖に、彼はそういう気遣いのできる男だった。




§




「ふう、満足満足」


 程なくして完食。

 これで間食は充分だろう。


「どうだ、美味かったろ?」

「ええ、はい」


 相も変わらずレクトはふかし芋を立派な料理だと信じ切っているらしいが、の料理で彼の心を掴むことを既に決心していたコモモは、もはや慈愛の眼差しさえ湛えて彼の問いに頷いた。


「……そんなことより! さっき川で戦った時のは、いったいなんなのですか?」


 そして話は本題に。

 しっかり興味がありそうなこと、彼女の目の輝きから窺える。


「おっとそうだった。見せた以上はちゃんと説明しないとだもんな」


 より直感的に理解させるために、彼はペットボトル入りの水を取り出した。


「とは言っても簡単な話で、水の動きを自由自在に操れるってだけなんだよな。何も無いところから水を生み出せる訳じゃないから、さっきみたいに水のある場所まで行かないと力を発揮できない」


 キャップをひねり、ボトルを傾けて水を零す。


 ボトルの口から落ちていく水はレクトの手の平に当たって、びちゃびちゃと音を立てながら辺りに向かって跳ねた。


 その一滴を指先でつつけば、周囲の水は既に彼の支配下。


「その分、ハマった時の効果は覿面なんだ」


 水を集めてぎゅっと握って、ビー玉ほどの球を成す。それを向こうの木に向かって放ると、綺麗な直線を描いてまるで弾丸のように超高速で飛んでいく。



 ―――ズガンッ!



 その直後。

 水のビー玉は鈍く重い音を鳴らして、木の幹に深い穴を空けた。


 一連の流れを見せて、レクトはとても自慢げな表情をする。


「レクトさんはいつからこの力を?」


 コモモは目を丸くして尋ねた。


「……あー、そうだな。物心付いた時には、もう使えるようになってた」


 具体的にどんな経緯を通してこの水を操る異能を手に入れたのか、今となっては本人さえもよく覚えていない。


 分からないのは、それだけではないが。


「生まれはどちらに?」

「どっかの集落さ。みんな死んで、もう無くなったけど」


 空を仰いで遠くを見つめる。

 視線を向けるべき方角も持たぬ侭に。


「そ、そうだったんですね。ごめんなさい…」


 気の重くなる話を思わず聞いてしまって、コモモの口から謝罪が漏れた。


「いいんだ。幼い頃の話だったから俺も後から事情を聞いただけで、自分自身では事件のことも他のことも何一つ覚えてない」


 そう、今は無き故郷の場所さえも。


 彼の起源は暗い水底に沈んで、引き揚げられなくなってしまった。墓標の在処を知ったところで今更、弔うべき人々の顔一つ思い出すことができない。


 まあ。

 荒れて廃れたこの世界。

 結局はそんなものだ。


「暗い話はここらでやめにして、そうだな」


 ぱたぱたと、嫌な気持ちを遠ざけるように手を振る。


「そろそろ帰る身支度でもするか。途中で空も暗くなりそうだし」


 薬草採りを始めた時にはまだ天頂から少し落ちたくらいだった太陽が、今では空の端っこに差し掛かりそうな所にいる。そうなった原因の大半はふかし芋の調理に掛かった時間にあるのだが、一旦それは忘れるとしよう。


 片づけはテキパキと。

 彼らはすぐに森を後にした。


「なあ。この薬草で、何か作ってみるつもりなのか?」


 帰る途中に、レクトは気になって尋ねてみた。


「……そう、ですね。わたくしはやってみてもいいと思っています」

「そっか。なら、楽しみにしてるよ」


 彼は期待の籠った目をして明るく微笑んだ。


「ここからは一気に行こう」

「わかりました」


 そうして、二人は集落へ帰るのだった。

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