第3話 雑木林に恵みを求め。
(……よし、ココのはこんなもんか)
黄色い花をつけた薬草を根元から摘み取って、半分ほど嵩の埋まった麻袋にそれを放り込む。すぐに手の届く位置の薬草は採り切ってしまったから、レクトはその場から立ち上がった。
移動するために袋の口を閉じると、その間際に中の空気が押し出されて鼻腔をくすぐる。甘いようなひんやりするような、そんな香りが舞い上がった。
「レクトさん、これもどうぞ」
「おう、ありがとな」
コモモが持ってきた数輪ほどの薬草も、袋を開け直してまた入れる。
「……にしたって、まさか毒に興味があるとはな」
「ダメ、でしょうか?」
「いいや、あいつらも助かると思うぞ。まあ、この薬草から良い薬を作ったところで役には立たないかもしれないけどな」
そうした用法の研究が進んでいないのには、薬があまり必要とされていないという背景もある。例えば怪我の場合、フレンズだったら簡単に治癒するし、ヒトの自然回復も昔と比べて非常に早い。
病気に罹ることも勿論無いわけではないが、大抵のものは充分な栄養を摂って安静にしていればそのうち治る上、何か重篤な病気になったとしたらそれは薬草の管轄ではない。
ただ、薬草を飲めば身体の調子は多少良くなるため、ほんのりと体調に不安を感じたり、夜を越すような長い仕事をしたりする際の気休めとしてこの時代の人々は薬湯を作るのだ。
「コモモが時々採りに行ってくれれば、俺がしょっちゅう行かされることも無くなるかもしれないな」
例えばエピリなんかは、タバコの葉と一緒に乾かした薬草をひとつまみ加え、それそれが混ざり合った独特な香りを楽しんでいる。レクトの鼻にとっては強烈で、是非とも止めて貰いたいと思っているようだが。
他にも料理に入れられたりと、何かと需要の尽きない植物である。
閑話休題。
そんな風に喋りながら草を摘んでいたら、袋に入れようとしたところでコモモのストップが入る。
「あ、それは薬草ではありませんよ」
「えっ、そうなのか…」
「ほらここ、葉っぱの形が少し異なっているでしょう?」
袋から本物を一つ取り出して、レクトの持っている草の横に置いて形を比較してみせる。彼女の指摘通り、ほんのわずかながら違いがみられた。
「すごいな、気付かなかった」
「観察眼には自信が……ある気がしますわ!」
生まれたばかりのアニマルガール故の不確かさはありながら、コモモはそれでも得意げに胸を張った。こうしてみると、自分の天職はやはり此処にあるのだろうと彼女は思う。
レクトは間違って採った唯の草をコモモに預け、先程までの戦果を詰めた袋を不安げに覗き込む。
「こりゃあ、他にも混ざってるかもしれないな」
「この草に薬効はないので平気ですよ。ちょっと酸っぱい味がするだけです」
その言葉を証明するように、渡された草をぱくりと噛み千切って飲み込んだ。
「……うわ、そのまま食べて平気なのか?」
「うふふ、見ての通り何ともありません!」
「ならいいんだが…」
そんなところで、現在地の薬草は大まかに採り切ったように見える。まだ少し黄色い花が点在しているが、将来のことを考えれば根こそぎ摘んでしまうのは好ましくない。
しかしもう少し量が欲しいため、二人は場所を変えることにした。
次の目的地までの短い間、暫しの雑談に耽る。
「……俺について来たのは、やっぱり
思えばあれ以来、初めてあの”出会いの瞬間”に言及した瞬間だった。
コモモの瞼の裏側には今でも、間一髪のところを救ってくれたレクトの背中と、暗がりの中でランタンに照らされた彼の横顔が焼き付いている。
それだけ強烈な出来事だった。
彼が提示した二つの出来事を天秤の両端にそれぞれ載せたとしたら、薬草なんてものは瞬く間に遥か彼方へ飛んでしまってもきっと仕方がない。しかし自分の選択を『見返りの為』と表現することに、彼女は強い抵抗を抱いていた。
見返りを果たせば、そこで区切りが付いてしまう。
彼女は、無意識のうちにそう気が付いていた。
だから曖昧に、はぐらかす。
「どうでしょう。両方、ではいけないでしょうか?」
「ま、そんな単純な話じゃないよな」
当人でさえも自覚しない真意をレクトが察することは勿論のこと能わず、心底納得したように彼は笑った。
「どっちでもいいけど、エピリさんには気をつけろよ? あの人、どうせ君のことも良い様に使う気だろうからさ」
後ろを歩くコモモの方に振り返り、空を差した人差し指をくるくると回してそんなことを言う。
「そうなんですか」
「間違いない」
レクトから見て全く悪い人ではないのだが、どうにも胡散臭いところがある。言動が読めないことはザラだし、発言の端々から彼の知らない何かを知っている気がしてならないのだ。
それを単に”年の功”と形容するには、彼女はあまりにも若すぎる。
「”毒に詳しいかも”って聞いた時、あの人は嬉しそうに笑ってたからな。あの訳が分からない湖の調査に俺と一緒に行け―――って、そんな話になっても全然不思議じゃないさ」
これまで散々足を運び、あの場所の危険性について誰よりもよく分かっている故だろう。
コモモの身を案じるような言葉を掛けるレクト。
「……それも、いいかもって思います」
「そうか。まあ一回本当に行って確かめてみれば、あんな場所マジでどうしようもないって分かると思うぞ」
けれど彼女は、その懸念すべき未来を嫌がりはしなかった。
「しかし先程、”最初よりはマシ”って言っていましたよね」
「ああ、この頃は例の衍獣も大人しくなってきたからな」
レクトが最初に調査に赴いた時、湖の周囲の少なくとも500m程度の範囲は件の怪物の活動範囲内で、彼らの影響を受けてそれらの場所は雑草一つ生えてこない不毛の土地となっていた。
しかし調査を重ねる間に段々とそんな土地は狭くなっていき、今では池の縁から100mくらい。それでも湖の円周の長さを考えれば広い範囲だが、前と比較すればマシになっている。
「だからって、危険な場所に変わりはないがな」
レクトは目を閉じて脳裏の写真を思い出す。
緑と紫の混じった、凡そどんな図鑑に載った生物にも似通わない巨大な異形。
あの怪物の威圧感は今になっても身震いを呼び起こす。
(頼むから、無茶な頼みだけはしないでくれよ)
どうせ言っても通じないからと、エピリに対するそんな願いはずっと喉元に引っ掛かったままである。
§
「よし、もう充分だろ」
七分目まで溜まった袋の口をキュッと締めて、帰り道へと目を向ける。
よく考えてみたら、『人手が増えれば採取量が増える』などという助手の言い分はそれほど正しいものではなかった。何故なら集落の人間が使う薬の量はほぼ決まっていて、植物である薬草には保存が利く時間に限りがあって、森に生えている薬草の数もそんなに多くはないのだから。
しかし、そのような効率重視の思考を抜きにしてみれば、コモモと二人で森を歩き回ったこの時間はレクトにとってさほど悪いものではなかった。面白味もない作業に花を添える、とても有意義な試みであり楽しい一時となったのだ。
「……だから、何事もなく帰らせて欲しいんだけどな」
しかしそのようなか細い趣、”赤の他人”でさえない心無き怪物にどうして理解できようか。
「レクトさん、アレって…」
「衍獣だな。採取の最中に邪魔しなかったことだけは褒めてやる」
丸い胴体から沢山の細い足が伸びている、蜘蛛型の衍獣。身体はさほど大きくないが、彼の者のシルエットからは非常に敏捷な動きが想像される。
レクトは背後に負っていた槍を手に取り、臨戦態勢を取った。
「心配するな。アイツ一体だけなら、何も…」
「待ってください、後ろにも!」
「なんだって?」
コモモに言われて振り返ると言葉通り。
前方にいるのと同じ形をした蜘蛛のような衍獣がおよそ五体、レクトたちの背後を狙って彼らを見つめていた。
「おうおう、こりゃまた珍しく大所帯で」
視線を前の方に戻せば、そちらにも数体の増援が見える。
「ど、どういたしましょう!?」
「ここじゃ分が悪いな、一旦逃げるぞ」
前後は既に挟まれた、しかし左右には抜ける隙間が残されている。完全に包囲されてしまう前にレクトはコモモの腕を引っ張って、全速力でその場から退散した。
走りながら、頭の中に周囲の地形を想起する。
彼らが逃げ出した方角は集落から離れる向きとなり、今からUターンしていては衍獣たちを振り切って帰路に就くことは難しい。万が一にも帰ることができたとしても、集落まで衍獣を案内することになるだろう。
故に大回りをして安全に振り切るか、相性の良い地形などを利用して殲滅するかの二択を迫られる。
―――だが既に、彼の方針は定まっている。
「前に見せてもらった地図のことは覚えてるか? 森をこの方角に抜けるとその向こうには中くらいの川が流れてる。そこまで一気に走るぞ」
彼が選んだのは戦うことだった。
「川に行けば、なんとかなるのですか?」
「まあ見てな」
逃げながら説明する暇も当然ないので、自信満々に言い切ったレクトを信じるより他にない。そのまましばらく走り続けて、背後に衍獣の追跡を受けながらも彼らは目的地へと辿り着いた。
「森を抜けたぞ、川は向こうだ!」
「それで、今から何を…?」
「飛び込むっ!」
レクトは躊躇なく足を踏み切り、勢いよく川へとダイブする。
「ひゃんっ!?」
飛び散った水飛沫がコモモを襲い、水の冷たさに彼女は変な声を上げてしまった。だが、その間にも衍獣はお構いなしに近付いてくる。
「コモモ、早く――!」
「わ、わかりましたぁ…」
意を決して川に飛び込み、ぐしょぐしょになった服を気にしながらコモモはレクトの背中に身を隠した。
「ひゃあ…」
身体がブルブルと震えるのは寒さか恐怖の所為か。
「……来やがったな」
斯くして彼らは追いついた。
横並びになって二人を見つめ、襲い方の算段を立てているかのよう。
しかし、それはレクトとて同じこと。
「成程、合わせて十体くらいか。確かに真正面からやり合えば勝ち目は薄い」
背中に仕舞っていた槍を再び手に取る。
切先でせせらぎに触れて、ニヤリと笑う。
伏せていた目を、上げる。
「だが今の俺は……水を得たッ!」
彼がそう啖呵を切った刹那に、衍獣たちは進撃を始めた。
複数の方向から同時に飛び掛かり、例えそのうちの一体が返り討ちに遭ったとしてもレクトを傷つけるつもりらしい。その動きはひどく俊敏で、加えて下半身を水に浸けている彼が逃れる術はない。
まあ、今更逃げようなどと彼は微塵も思っていないのだが。
「……はあっ!」
レクトは水に浸けていた槍先を空に掲げる。すると川の流れはその切先へと収束するように逆巻き、小さくも力強い清水の奔流をそこに生み出した。
そのように水が重力に逆らって浮き上がるので、蜘蛛たちは急に怖気づいたように動きを止めて彼の動向を探り始めた。だがそれでは余りにも遅すぎる。レクトの間合いへと入ってきたのは彼らの側であるというのに。
「いくぞ?」
横薙ぎに、水流を纏いし槍を振り抜く。
「―――押し流せ」
そして大波が起こった。
安穏に流れるべき川のせせらぎは全て衍獣を葬るための怒涛へと駆り立てられ、逃れるべくもない蜘蛛を散らして浸衍の黒い結晶へと無慈悲に還す。それはとても恐ろしい変遷であり、彼はまるで遍く水の主であるかのようだ。
その一撃で半分以上の衍獣が死んだ。
後ろで見ていたコモモすらも目を疑う光景に敵である彼らは更に戦き、逃げるべきかと脚の置き場を引き始める。
だが改めて言おう。遅すぎると。
「……くらえッ!」
僅かに延命した衍獣が内の一体に、天から振り下ろす水纏いの槍が注がれる。
斯く斬撃はもはや鉄槌の一撃が如く全てを潰し、岸辺の砂利を飛沫に乗せて弾き飛ばし、その蜘蛛がいた跡には小さなクレーターしか残されていなかった。
そのままレクトは戦況を握り、残りの衍獣を残らず屠る。
一つは切先に貫かれて儚く爆散し。
一つは空中へ打ち上げられて塵と消え。
一つは地面と熱い抱擁を交わして最後の一粒まで擦り減った。
その全ての常軌を逸した威力を支えるのが水であり、水こそが彼の素朴かつ洗練された攻撃を必殺の一撃へと押し上げていた。
そして、戦いは終わった。
「はっ、おとといきやがれっ!」
決着が付くまで、ほんのわずか。
彼の言葉通り、まさに『水を得た』快進撃であった。
その戦いが終わってから暫しの沈黙。
ようやく呼吸を落ち着けたコモモが寄ってきて、彼に尋ねる。
「レクトさん、さっきのは…?」
「……そういや、これを誰かに見せるのは初めてだったな」
レクトが外で他人と行動を共にすることは非常に稀だった。その上で衍獣に遭遇するとなると更に機会は絞られ、大抵の敵ならば普通の槍術で対処することができてしまう。
そんなこんなで、自分の力について説明することにも彼は不慣れである。
「短く終わらせられる話じゃないし、衍獣の奴らから逃げ回って腹も減ったし、川に入ってこの様だから服も乾かさなきゃいけないし……ひとまず陸に上がって、落ち着いてから話そうか」
レクトは服の端っこを掴んで水を絞り、少しでも体を軽くする。コモモも倣ってそうしようとしたが、服が絞りやすい様に作られていなかった。
そんな様子を見て、彼女に近づいていく。
「ああでも、これだけは先に言っとくか。俺はまだ、この力のことを他の誰にも明かしたことがないんだ。だから……」
コモモの肩に手を触れる。
そしてすぐさま手を離す。
すると彼女の服から引き抜かれた水分が彼の手にくっついて浮かび、彼が川の向こうへとその水をひょいと投げ捨ててやると、後に残されたのはカラッと乾いた彼女の服だけだった。
そうして身に纏った布地を不思議そうに引っ張る彼女に微笑んで。
「……みんなには、内緒にしてくれよな?」
レクトは、慣れない茶目っ気を出してみたりした。
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