第20話 アナタはきっと識っている。
「……やあレクト君、昨日ぶりだね」
「ああ、そうだな」
白い煙を吐き出して来訪者を迎え入れるエピリは、いつにも増して真意の掴めない神妙な表情をしていた。煙管を箸置きのような台に休ませて、椅子を立ち応対用のソファに身を移す。
レクトを反対側に座らせ、少しだけ中空を眺めて、彼女の方から切り出した。
「今日はどうしたんだい?」
「変なことを言うんだな。湖での顛末とか、聞くことは幾らでもあるだろ?」
「あははは、それもそうだったね」
昨日の今日だというのに話を忘れていた不自然さを、芝居がかった様に笑い飛ばしてまた忘れようとするエピリ。
だが悲しいかな。
レクトはその芝居に付き合う気がない。
彼女の言動をいつもの下らない軽口だと判断して、何事もなかったかのように話題を元に戻すのだった。
「気にしてなかったんだな。それはアンタが何を知っているからだ?」
「……全て、と言ったら?」
彼は驚いた。
彼女の言葉の壮大さにではない。
未だ芝居を押し通そうとする大胆さに、である。
その時彼は初めて、昨日の時点からぽつぽつと抱き始めていた数々の違和感をハッキリと意識するようになった。
意識の主眼が向くと同時に、それまで気付いていなかった傷が突然痛みを発する時のようにそれらの違和感が各々の存在を声高に主張し始めて、彼の思考を占拠してしまう。
やはり彼女には思惑があった?
今度の騒ぎに乗じて目的を果たそうとした?
そもそも彼女は何を知っていて、何を知らない?
数々の疑問。
捨て置けるものではない。
「……ならその全てとやらについて、洗いざらい話してもらおうか」
「困っちゃうな、一日掛けても話し切れるかどうか」
言外に、『話す気はない』と告げていた。
別に話の長さなど気にしないと返してやっても良かったが、また適当に理由を付けてのらりくらりと躱されるのが関の山であろう。
一瞬。彼は頭の中を覗く魔法が欲しいと思ってしまった。
しかし叶わぬ妄想。
為せる反撃はあからさまに呆れてみせることのみ。
「食えない人とは前々から思っていたが、ここまで大きなものを腹の中に抱えているとはな」
彼は昨晩、布団の中で自分の過去を考えていた。
メメと出会って、意識せざるを得なくなったのだ。
そして、そういえば大したことを覚えていないのに気が付いた。
幼少期の思い出も。
身寄りをなくした切欠も。
放浪していた日々も。
力を手に入れた顛末も。
具体的なことを思い出そうとした途端に、記憶の箱は空っぽの中身を見せる。
そういえばエピリと出会ったのも、彼が暮らしていた家とそう遠くない場所に彼女が人間やアニマルガールを引き連れて集落を作り上げたことが理由だった。
それまでの彼は専ら漁村に赴いて日用品や食料を取り揃えており、この集落との関係を築いたのは単純に近かったからである。
(―――そうか)
彼女はそもそも、あの湖の為にやって来ていたのかもしれない。
何かを目的にして。
「……なあ、アンタは実のところ何者なんだ?」
「やだなあレクト君、私はこの集落のしがない責任者だよ。誰だって自らの過去を事細かに話し切るには、長編小説を一冊読み切るくらいの時間を必要とするものさ」
「ふん、どうだかな」
どうやら現時点で、彼女自身の秘密に迫るのは難しいようだ。
彼はそう理解し、話を変えることにした。
「―――話は変わるが、白い蛇のアニマルガールを知ってるか?」
メメのことを訊かなくては。
あの湖から姿を現した彼女のことは、同じくあの湖に並々ならぬ興味を抱いていたエピリに話しておかなければならない。
「真っ白な髪の毛は腰の辺りまであり、腰の後ろからは整った鱗のこれまた白い尻尾が生えている。頭には真っ白いヴェールを被っていて、服も純白のワンピースだったが、瞳だけは真っ赤だった」
この場にメメはいないから、なるべく詳細にその外見的特徴を並べていく。
更に一応の情報として。
性格の第一印象も添えておく。
「ちょうどアンタみたいに軽い調子で適当なことを言って、どうにも本心が読めない奴なんだ」
「……レクト君、私のことをそう思ってたのかい?」
エピリはちょっぴり傷ついている様だった。
その反応は、本心のように見えた。
「もしやその娘を、あの湖で捕まえてきたとか」
しかしすぐに真剣な表情に戻って、核心を突いてくる。
「…そうだと言ったら?」
「喜ばしいことだね」
そのクセ返答は謎めいていて、真意を悟らせようとしない。レクトがその相変わらずな対応に顔をしかめると、彼女は笑って手を振りながら言った。
「まあいいじゃないか。友人が増えるのはいいことだ」
「誤魔化さないでくれ、アンタは―――」
反駁を試みる彼の口元に、人差し指が添えられる。
エピリの右手だった。
「すまないね、私に話せることはそう多くないんだ。こうやって仄めかすことでさえ、約束のことを考えればグレーゾーンだろう」
その指を仕舞い、握りこぶしを天井に向けて、開くとそこにはキャンディが握られていた。彼女は包み紙を解いて中身をレクトに渡すのだが、開いた自分の口に投げ返されてしまった。
「…ふふ。でも、大体察しているのだろう?」
エピリの言う通り、推理は有った。
だが、正しいかなど分かりようもない。
それでも彼女は、知りもせぬ彼の推測を肯定する。
「どうかな。全てはきっと君の予想通りだ。だから疑問はここで何もかも飲み干して、彼女と仲良くしてやってくれないか。私の望みはそれだけなんだ」
只管に。
望むべく唯一のことと言う。
「私の仕事もそれだけだ。君を、君たちを、危険から遠ざけることだけ」
初めて。
レクトは、真摯な心の声だと信じられる彼女の言葉を聞いた。
だからその通りにするかは別として、これが彼女の本心だと確信できた。
迷いが生まれた。
「またね、レクト君。楽しい土産話を期待しているよ」
その迷いは、彼を無言で部屋から退出させるに十分なものだった。
§
「先輩ッ!」
レクトが部屋を出て廊下を歩いていると、快活な後輩の慌てた声が響いた。
その声はどたどたと乱雑で大きな足音と共に近づき、やがて息を切らしたフォルが目の前に現れる。
「……フォル? そんなに慌ててどうしたんだ?」
「た、助けてくださいっ! 大変なんですっ!」
フォルはそれしか言わない。
どう大変なのかさっぱり見当もつかない。
「何が起きたんだ? 事情が分からないと何も―――」
だから彼は詳しい状況を尋ねようとするのだが。
「いいから、こっちに!」
フォルが無理やり手を引いて走り出すので、諦めて全ての事情を自分の目で確かめることに決めるのだった。
そのまま走り続けること一分足らず。
彼らは問題の現場に到着した。
玄関先で、ティレッタが見知らぬ人物と話をしている。
「あの、だからアタシに言われても分かんないんだって」
「そうでしょうか? 自分が申し上げているのは、”彼に会わせて頂きたい”ということのみです」
話し相手は黒いスーツ姿の男性だった。
その整った身なりから、恐らく”都会人”であることが窺える。
「それが難しいの! センパイは普段ここにいないし…」
専ら会話をしているのは彼なのだが、その後ろには三毛猫のような色合いの毛髪をした猫耳の少女が控えていた。
イエネコのアニマルガールだろう。
彼の仲間だろうか。
まあ、今は大した問題ではない。
レクトは会話を意図して遮るように、声を大きくして二人に話し掛けた。
「なあ、何を話しているんだ?」
「……あっ!」
先に反応したのはティレッタだった。
傍にいるフォルを見て、彼のお手柄だとすぐに察する。
「フォル、お手柄!」
「よかった、間に合ったんだな…!」
いっそ楽しくなってきてハイタッチをする二人。
その様子を面白そうに眺めた後、スーツ姿の彼はレクトに声を掛けた。
「―――失礼。お二人の様子から見るに、貴方がレクトさんですね?」
一先ず、丁寧な物腰ではあった。
「その通りだが、そちらは?」
問いを肯定し、相手の素性を尋ねる。
流石に名前も知らないままでは話しづらい故。
だが彼は自分の名前ではなく、自らの所属について語り始める。
「新地球街という都市をご存知でしょうか。あそこは浸衍の災害に見舞われた人類が叡智を結集して作り上げた新たなる文明の象徴なのですが……」
レクトはあまり”都会人”が好きではなかった。
その理由の一端が、このスーツ姿の男性の言動に表れている。
「知ってる。で、アンタは?」
「……ご存知のようですね。では、自分の紹介を」
彼は恭しくお辞儀をした。
ぺこりと、後ろに控えていた猫耳少女もそれに合わせて頭を下げた。
「名をタルジャと申します。新地球街に存在する研究所にて地虹と浸衍、そしてアニマルガールの秘密を追い求めている……」
名刺をレクトに差し出す。
そこにはたった今聞いたばかりの名前と。
『新地球街浸衍災害研究所』という、施設の名称。
「―――1人の、しがない研究者です」
その長い名前を見た瞬間に。
彼の背中に、理由の分からない悪寒が走った。
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