第19話 其の名は「メメ」。

 一つのテーブル。

 三つの椅子。

 座るそれぞれの影。


 ただ言葉が交わされることはなく、静かな牽制が続いていた。

 そして苦々しい顔をして、レクトはその様子を見つめていた。


「……」

「……」


 互いに睨み合うコモモとメメ。


 ……まあ、主に眼光を鋭くしているのはコモモの方で、メメは何も言わずにニコニコしていてそれが逆に不気味だ。


 ともあれ向かい合うように椅子が置かれてしまっているため、対立の起きやすさも一層大きいと云える。これならいっそ無理やりにでも椅子を奪った方が良かったかと、彼の後悔は先に立たない。


 もう十数分はこうしている。


 場を支配する緊張感におもねって身体をなるべく動かさないようにしていたら、彼の手足は段々むず痒さに震えるようになってきた。


 そろそろ話を進めるべき頃合いだろう。

 彼は徐に口を開き、小さな声から話し始めた。


「改めて聞くが、名前はで良いんだよな?」

「そだよぉ、それがあたしの名前。ずうっと前に、レッくんが……」

「おかしいですわっ!」


 ドンッ! っと大きく、机を叩く音が部屋に響いた。

 続き、鋭い声で彼女が叫ぶ。


「レクトさん、貴方がこんな女の子と知り合いだったなんてわたくしは初めて聞きました。どうして今まで秘密にしていたのですか…!?」

「秘密というか……本当に知らなかったんだ」

「でも、お名前は知っているんですよね」


 その明らかな矛盾を指摘され、レクトは次ぐ句を継げなくなる。負い目から話せないというよりもむしろ、本人さえ自らがメメの名を知っている理由を合理的に理解していなかった。


 しかし納得できないのはコモモも同様。

 半狂乱になって捲し立てるように、彼に縋りつき答えを求める。


「”本人から聞いた”なんて言い訳は通りませんわ。レクトさんが目覚めてから今まで、彼女は一度も自分の名前を口にしておりません。それに彼女は貴方が起きた瞬間に突然現れ、わたくしの背後に立っていたのです」


 そこで一息。

 幾ら昂っていても休みは必要だ。

 コモモは改めて大きな声で、疑惑を叫び散らかした。


「昔からの知り合いでなくては、お名前を知っている筈がありませんっ!」


 いっそ掴み掛らんほどの勢い。

 それを止めようとメメも近寄った、のだが。


「まあまあ、そんなにカッカしないでよ」

「静かにしてくださいましっ!」

「……コモモちゃんの声が一番大きいよぉ?」


 冷静な指摘も耳には届かぬ。


 両手を握りしめられたレクトは、その手からコモモの高鳴る鼓動が伝わってくるような錯覚を抱いた。


「わたくしは……わたくしは! レクトさんが、わたくしに黙って女の子のお友達を作っていたという事実に悲しんでいるのです!」


 頬を伝う熱い涙。


「わたくしという将来の伴侶がいながら……うぅ…!」

「……初耳なんだが」


 対照的にレクトは冷め気味。

 まあ、同じような熱量を持てという方が無茶である。


 彼女に気に入られていることは承知していたが、正直ここまでとは思っていなかったらしい。そして予想外の情報に動揺しているのはメメも同様のようで、思わず大きい声を出していた。


「ええっ、コモモちゃんってレッくんのお嫁さんなのっ!?」

「い、今はまだですが……将来的には、必ずそうなりますわ!」

(これって、否定しておくべきなのか?)


 面と向かってそう言えば傷ついてしまうだろう。

 故に彼はその場では口を噤んだのだが、正しい選択だったかどうか。


 しくしく。


 彼が自らの行いを省みる間に、隣からすすり泣く声が聞こえてきた。

 メメだった。


「あたしが眠っている間に、二人の仲がそこまで進展してたなんて…」

「驚いてるようだが、『ずっと見てた』んじゃなかったのか?」

「……てへっ☆」

「しらばっくれたのか…」


 ウィンクに舌出し。

 ぶりっ子の標準装備であるといえる。


 だが、彼女は不可思議な存在。


 そのおちゃらけた態度は裏に隠された深謀遠慮の隠れ蓑なのかもしれない。


「でも、コモモちゃんは本気なんでしょ? だったらあたし……レッくんとコモモちゃんの、両方のお嫁さんになっちゃおうかな~♪」


 …かもしれないし、そうではないかもしれない。


「……ええと、どういうことですか?」

「さあ、俺にもわからん」


 まあ、どうにも冗談には聞こえないのが不穏である。しかしそれを言えばメメにも引けを取らないコモモの暴走具合が思い出され、諸刃の剣が彼女に突き刺さってしまうため彼は口を噤んだ。


 当のコモモも、どこか他人な気がしていなかった。

 初めの勢いはとうとう鳴りを潜め、落ち着いて話を進められるようになる。


「まあ、このお話は一旦置いておきましょう」


 メメから視線を外し、レクトの方へと向き直る。


「レクトさん、今の時間が分かりますか?」

「…夜、だろ? 外が随分暗くなってる」


 彼の言う通り、夜も既に更けていた。

 この場に時計があれば午後10時くらいを指していただろう。


「湖に行ったレクトさんの帰りがとても遅いので、わたくしは心配になって探しに行ったんですわ。そうしたら、湖のほとりで気を失って倒れている貴方を見つけたんですの」


 彼が帰ってこないかもしれないという不安は彼女にとって、空が降ってくる程に巨大な恐怖だったのだろう。


 思い出しながら語る言葉も、耳を澄ますまでもなく震えて聞こえた。


「なんとか背負って連れて帰りまして、ベッドでお休みになってもらいました。気付けのお薬をとも考えましたが……怖くなってしまって」


 脳裏に過るは昼の出来事。

 ほとんど害のない毒で昏倒したレクトの姿。


 あんなものを目の前で見せられては、普通の薬もおちおちと飲ませることは出来なかろう。


「気にするな。助かったよ、ありがとう」

「いえ、わたくしはレクトさんが無事なら、他には何も……」


 レクトはそっと背中を撫でてやり、コモモを落ち着かせる。

 せめて、今の彼にできる最大限のことだった。


「ですがどうして気を失っていたのですか? 戦いに行かれたというのは分かるのですが、あの時のレクトさんの身体には一つの傷もなかったのです。それが、不思議でならなくて」


 無傷だったらしいレクト。

 その理由、本人にはさっぱり見当がつかない。


「……それは、に聞くのが早いな」

「犯人…? ま、まさかっ!?」


 疑念の再燃。

 鋭い視線がメメに向く。


 彼女はお道化るように肩を竦めて。


「あちゃ~、犯人かあ。ひどい呼び名が付いちゃったなぁ」


 性懲りもないことである。


「貴女…!」

「まあ落ち着け。メメ、話してくれるよな?」


 彼に促されて、彼女はその理由を明かす。


「あたしは別に、レッくんを”ごっくんこ”しちゃっただけだよ? 彼の身体の中に潜むには、一回そうしなくっちゃいけなかったから」


 難しい言葉はなかった。

 良く知る単語と動詞が、訳の分からない用途に使われているだけだった。


 コモモは眉をひそめる。


「……何を言っているのか分かりません」

「とにかく、あたしは敵じゃないってこと。もしもレッくんに敵意があったら、あの状態の彼を無事なまま放っておく筈がないでしょ?」


 理由の説明はもう済んだと言わんばかりに、メメは別方面から自分の無実を証明しようと試みている。彼女を訝しむコモモの疑念はやはり膨らむ一方であったが、一先ず抑えなければと自らを落ち着かせる理性も併せ持っていた。


 なら、どうしろというのだろう?

 コモモが黙り込んでそれを考えている間に、思いもよらぬ音が響く。


 ……ぐう。


 その間抜けな、蛙を誤って踏んづけたような音は、レクトの腹から鳴っていた。


「あ、レッくんったらお腹が空いちゃったの?」

「……お昼から何も口にしていらっしゃらないですものね。少し待っていてください、わたくしが晩ご飯を作ってきますわ」


 そう言ってキッチンに行こうとするコモモの背中に浴びせられたのは、予想に反して高い声だった。


「やったぁ、楽しみ!」

「どうして貴女も食べる気なのですか!?」

「え、だってこれから一緒に暮らす仲間でしょ?」


 さも当然のようにそんなことを言う。


「……一緒に、暮らす?」


 コモモは言葉を失う。

 失ったままレクトを手招きし、助言を受けようとする。


 はてさて、どうしたものか。


 彼も暫しコモモと同じように悩み、安穏な道を選ぶことにした。


「まあ何だ。多分悪い奴じゃないし、しばらくは置いてやろう」

「ほ、本当にいいのですか…?」

「ああ、それに…」


 言葉を切って、メメを見る。

 なにか懐かしい物を眺めるように。


「アイツの存在が、俺の過去に関わっている気がするんだ」


 焦がれるように。

 手を伸ばすように。

 追い求めるように。


「―――俺さえ忘れてしまった、自分の過去に」


 コモモは唯々、只管に。

 その視線を羨むのであった。

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