第10話 帰り道、景色は様変わりして。
『例えば休日に家を空けて、何処かに出掛けるとしよう。
何か特別な事情がない限り、きっと行きと帰りで同じ道を使うことになる筈だ。するとその道中にある自然の地形や或いは人工の建物といった、君の目に映る様々な物体も行きと帰りで当然同じものであるべきだろう。
しかしだ。
かつて慣れ親しんだあの都市にある私の自宅から。
今では忌々しいあの職場までの往路と復路の記憶を思い出すと。
まるっきり印象が違う。
ただ仕事が終わって気が楽になったからという話ではなく、本質的に何かが変わっていたような気がするのだ。
(PS:左側通行だったからかもしれないな)
なぜ私が今日の日記にこんなことを書いたかといえば。
丸一日も経たない間に、少し隣の漁村に出掛けたその短い時間に、関係性がガラリと変わってしまった二人がいるからだ。
まあ、大した問題にならないことを祈ろう。
それよりもここ数日、件の湖を中心にセルリアンの動きが活発になっているような気がする。レクト君とコモモちゃんの出会いの理由になったあのセルリアンも、特徴を聞けば普段その近辺には出現しない種類だった。
少し嫌な予感がする。
杞憂になることを祈るが。』
§
今は夜。
エピリの家にある、広めのリビングルームにて。
「……そろそろ何か喋ったらどうなのですか」
「流石の我々といえども、気まずく思ってしまうのですよ」
博士と助手が文句を言うのは、これから晩御飯を食べようと食卓を囲むにしては些か流動性の悪すぎるこの空気。窓を開けて夜風を浴びても、その冷たさを茶化してやることのできない会話の袋小路。
距離感を測りかねたことによる互いの遠慮が更なる隔たりを生み、レクトとコモモは言葉を交わすどころか、相手のいる方向に目を向けることさえできないのである。
このぎこちない態度は何も食卓に着いてから始まったものではない。
ここにいる博士を始めとした皆は当然知らないだろうが、漁村から森の集落にかけての帰路に就いてからずっと、二人の口は碌に動かなかった。
大方、ホッキョクギツネに凍らされてしまったのだろう。
そうして今も何も喋らないまま、ここで料理が来るのを待っている。
時間は無為に流れていき、食卓を囲む他の仲間も仕事を終えて姿を見せる。
―――ティレッタがやってきた。
彼女は最初、この不自然な場の雰囲気を訝しみ、短い観察の後にその原因がレクトとコモモにあることを見抜いて、物理的に近くにいたレクトに探りを入れてみることにした。
「ねぇねっ、センパイ何かしたの?」
声を掛けられたレクトは指先に熱いものが触れてしまったような仕草で驚いて、身体を小さく跳ねさせた。
そこで初めて外界に意識が向いたらしく、話し掛けてきた相手がティレッタであることを確かめると、覇気のない声で彼女の問いに否定を返した。
「……俺は、何もしてない」
「ふーん?」
短くも示唆的な返事であった。
”てにをは”の使い方がなっている良い回答だ。
ティレッタは確信を胸に、今度はコモモに話し掛けた。
「じゃあ、あなたが何かしたんだ」
「…っ!」
「なるほどなるほど、図星ってこと」
而して当事者である彼らに更なる追及を余所に、彼女は隣でずっと気まずそうにしていた、突破口を待ち望んでいた博士と助手に新鮮な風を当ててやった。
「博士と助手は、何があったと思う?」
「それが分かっていたら苦労はないのです。……ですが」
「ええ、おそらくは」
頷き合う三人。
言葉にせずとも伝わる結論。
「ま、そういうこったろうね~」
彼女たちはコモモがどのような態度でレクトに接し、どのような感情を彼に向けているのか、それを十分に知っている。本人の自覚が正しく伴わなくとも、あの調子ではいつか弾けてしまっても不思議なことではないと、皆の見解は一致するだろう。
つまり。
その時が存外に早く来たと、それだけのことである。
(だけどセンパイまでこんな風に困り果てちゃうなんて、ちょっと意外だなぁ)
ティレッタは心のどこかで、レクトはこういう浮かれた話に興味が無いか、もしくは慣れ切っている人間だと思っていた。今になって振り返ってみればそれは単なる素朴な印象で、彼もコモモに負けないくらい初心だったのかもしれない。
ぶつけられたものをどう掴んでいいか分からない。
可愛らしい少年を胸の内に抱えている。
さりとて困るのはティレッタも同様。
結局これはレクトとコモモの問題なのだから、外野がその内容に多少の見当をつけたところでそれが直接解決に繋がる訳ではない。
彼らの不器用な関係も、この食卓を囲んでいる間には変わらないだろう。
するとティレッタが博士と助手を助けてやるには、彼女が二人に対して適当な世間話を振ってやるのが一番いいかもしれない。
(うーん、どんな話をしよっかな)
彼女が次の問題に目を向けた時。
新しい助け舟が食卓に着港した。
良い匂いと一緒に、溌溂な大声がリビングに響く。
「みんな、ご飯ができたぞ~ッ!」
「フォルぅ、丁度いいタイミングじゃん」
エピリ宅の食事係。
フォルが、大きな鍋を抱えてやって来た。
いきなり飛んできた身に覚えのないティレッタの褒め言葉に、フォルは目を丸くして事情を尋ねる。
「ど、どうかしたのか!?」
「別に~」
ティレッタは適当にはぐらかした。
話しても、フォルは相手では面倒が増えるだけである。
「それよりさっ、今夜の献立はなに?」
「きっと、レクトが持って来てくれた魚を使っているのでしょう」
「料理の腕は壊滅的ですが、それ以外のことでは頗る役に立つ奴なのです」
ティレッタが話題を料理の方へと確実に引っ張っていき、博士と助手はその流れに全身を乗せて推し進めていく。普段からの癖か、それともしばらく居心地を悪くされたことへの鬱憤晴らしか、レクトに対しては賞賛と半分こずつの嫌味を投げつけながら。
しかし。
やっと。
やっと思うままに口を動かせるぞと、二人の顔はとても明るかった。
「……ああそうだ。魚屋のおっちゃんが、お前たち二人が直接来てくれればいいのにって言ってたぞ」
レクトも再び、ぽつりと喋る。
先程の嫌味によって昼間の記憶を呼び起こされたようで、口調には若干の自嘲が混じっているように聞こえた。
「そうしたいのは山々ですが」
「その為には、エピリを働き者に変えなくてはならないのです」
「…だろうな」
途方もない無理難題にため息が出る。
衍獣百体斬りの方が遥かに易いだろう。
「まあまあ、今はいいじゃんか! めっちゃ美味しくできたからとにかくいっぱい、い~~っぱい食べてくれ!」
いっぱい食べる。
そのフレーズをフォルはやたらと強調して。
「……その、作りすぎちまったからな!」
「全く、フォルは本当に見通しが甘いんだから」
「へへっ…」
そう彼が言った理由は、思わず喉から空気が抜けるほど仕方のないものであった。
とはいえ。
お残しの心配など必要ないかもしれないが。
「ん~、おいしい!」
「これを言うのも何度目でしょうか、やはりフォルの腕は流石ですね」
「ええ、料理というものを良く解っているのです」
大仰な賞賛。
その裏にはやはり、レクトへのちょっかいが隠されていて。
「お前も見習ってくれていいのですよ」
「無理に真似しなくても、俺には俺のやり方がある」
「……ええ、知っていますとも」
そのやり方を選んでいるのではなく、他のやり方が出来ないだけであろうと、そんな刺さりの深すぎる返答は胸に仕舞い込んで、博士は適当に矛を収めた。
しかしまだまだ、人は増える。
この建物の主たるエピリが、そろそろお腹を空かせたのか書斎から外に出てきた。
彼女は食卓の賑やかな様子を見て、自分が少し遅かったことを悟る。
「わわ、もう食べ始めちゃったのかい?」
「あ、エピリさん」
「今夜はお魚か、レクト君が持って来てくれたんだね」
魚といえば漁村。
漁村に行くのはレクト。
大体そんな感じだ。
「そういう約束だからな」
「助かるよ。私はあまり外に出たくないからねぇ」
「確かにお前はいつも暇そうにしていますね」
「誰かに仕事を押し付けているから、忙しくする必要もないのでしょう」
呑気なエピリを、容赦なく刺す。
少しは響いてくれと思いながらその刃物を握るが、未だ芳しい反応が得られたことはない。
今回の非難もエピリはすっかり無視した。
そしてコモモに声を掛ける。
「そうだコモモちゃん、キミのお家の用意ができたよ。今までは宿の部屋に泊まってもらっていたけど、これでゆっくりできる筈だ。そうだ、すると合鍵を渡してあげないといけないね、確かポケットに……」
ゴソゴソと、ポケットを漁り始める。
幾つかの穴に手を突っ込んで、およそ四つ目の探索に取り掛かったころ。
「あの」
「……うん?」
コモモは静かに制止して、自分の主張をし始める。
「折角用意していただいたところ悪いのですが、その必要はありません」
「それはまた、何故だい?」
エピリが尋ねて。
コモモは、エピリの目をまっすぐ見つめて。
強い決意を以て、告げた。
「わたくし、レクトさんと一緒に暮らしますわ」
「……へ?」
「ほう?」
間の抜けた声を上げるレクト。
面白そうに返事をするエピリ。
その目はコモモから、渦中にいる彼に向き。
「レ~ク~ト~君?」
そちらへと、興味を移した。
「どうやら私が思っている以上にキミは手の早い男だったようだ。なに、責めている訳ではない。寧ろ安心したくらいさ」
「いや、待て、俺はそんな……!」
こんな話など全く身に覚えのないレクトは、必死にとはいかないまでも、コモモの言葉を否定しようとするポーズを取る。
だがそれも予想の範疇。
「レクトさん」
コモモは彼の手を握り、諭すように自らの想いを伝える。
「大丈夫ですよ。わたくし、心に決めましたから」
「だ、大丈夫って何の話だ…?」
「一緒なら、乗り越えられない試練なんて一つもありません♪」
「えぇ…?」
話せば話すほどわからなくなるとは、こういうことなのだろう。
だがただ一つ、コモモが絶対にこの主張を譲らないであろうことはその瞳を見るだけで伝わってきて、自らの言葉が無力なのだと感じたレクトはそこで押し黙ってしまう。
「うふふ…♡」
蛇に睨まれた蛙のよう。
どこか怯えたように身体を縮こまらせるレクトを、コモモはとても愛おしそうな目で見つめるのであった。
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