第34話 本日12時、雨を降らせます。

 草とも土とも砂ともつかぬ、アスファルトに覆われた酷く硬い地面。植物の面影の欠片もない、鋼鉄の根で大地に屹立する無数の街灯。他では目にすること能わぬ大量の人間。空を覆い尽くすために人が育て上げた、鉄筋とコンクリートの織りなす生気のない大樹。


 ―――そしてそれらの隙間から見える、真っ青に血の抜けた空。


 新地球街の入り口に立って見渡す辺りの景色は、異世界との境界に立っているような気分をメメに与えた。


 理性も本能も、脳みそのあらゆる部分が”この先に進むべきではない”と警鐘を鳴らしている。メメの長い後ろ髪をぐいぐいと引っ張って、彼女の身体を安らかな自然界へ押し戻そうとする。


 だが、今日は覚悟を決めてここに来た。

 この街の環境がどうであれ、進むしかない。


「おはよう。気分はどうかな?」

「悪くはないよ。……服、昨日よりきちっとしてるね」

「おや、気付いちゃったか。まあ、その方がんだよ」


 エピリは普段通りのベージュのスーツを普段以上に丁寧に着こなして、とてもフォーマルな雰囲気を漂わせながらメメの前に現れた。彼女が言う”示し”とやらは果たして誰に向けたものなのか、今後の予定を思い起こせば一個人に対してではないことが分かる。


 ならば誰かと問われれば、それは

 この街はそうやって人間を値踏みする。


 故に、彼女はこうしているのだろう。


「メメちゃんのその変装も良く似合っているよ」

「……あたしは気に入ってないよ」

「我慢してくれたまえ、今日限りの辛抱だからさ」


 エピリの施した特殊な変装技術により、メメのトレードマークである長い純白の髪は夜闇のように真っ黒く染まり、ドレスのような淡い白色の装束も今日ばかりは人の世に溶け込む黒いスーツに置き換えられてしまっている。


 ここまで自らのイメージと乖離した姿にされてしまっては不服も止む無しか。尤も、身に纏う服装についてメメが不満を抱いているのは、ふんわりとした普段のドレスと翻ってぴちっと身体に張り付くスーツのギャップに由るものであるが。


 しかし、この変装を仕立てた張本人だからだろうか。

 本人には酷く不評な変装も、エピリからの評価は頗る高い。


「行こうか。観光の時間は長いほど多く楽しめるからね」

「あたしは別に、観光に来た訳じゃないよ?」

「そうでもないさ。だって、この街をじっくり見て回るんだよ?」


 左腕の袖をわずかに引き、銀色に光り輝く腕時計をメメに見せる。その煌びやかな見た目にひととき意識を奪われてしまいそうになる彼女だが、時計の針はただただ素朴に今の時刻を指していた。


 8時57分。


 間もなくの直角を控えて、いよいよ足を踏み入れる時。


「焦りを抱く必要はないよ。ここで暮らすの暮らしに寄り添ってこそ、今の世界に対する明快な視点を得られるんだからさ」


 エピリの言葉を耳にしながらメメはビルを見上げる。やはり彼女は未だ、この街にと呼ばれる類の営みが存在することを信じられずにいた。


 だがそれもこれまで。


「御託はここまでにしておこうか。さあ行こう」

「……うん」


 百聞は一見に如かず。


 二人は街に入るため、金網の隙間にそびえる関所へと向かって行った。




§




「はぁ~、やっと終わった」


 心底疲れ切ったように溜め息を吐き、メメは項垂れる。冗長で面白みのない質問攻めを乗り越えて関所の向こう側に行くまでに、彼女たちは時計の長針が一回転できるくらいの時間を要した。


「さっきのが検問? いくら何でも長すぎるんじゃないの?」

「そういうものさ。外にいる危険な存在を入れないために神経質なんだ」


 ぷっくりと頬を膨らませてメメは文句を言い、エピリは諦めたように笑ってメメの疑問に答えた。


 つまり、なるほど。

 彼女が言及した”危険な存在”とは、きっと衍獣セルリアンのことだ。


 そう思ってしまいかけたが、メメは鋭くこう言い返した。


「……あたしがこういうのに疎いから簡単に騙せるとでも思ってる? 衍獣を警戒してやってることじゃないでしょ。あんな風にアレコレ問い詰めて引き下がるのは人間とアニマルガールだけだよ」


 特に後者は難しい。


 関所における検問の中身は長時間にわたる質問の嵐で、今回はエピリが全て代わりに答えてくれたが、それら質問の半分程度はメメにとって問われていることの内容すら分からないものだった。


 エピリの助けが無ければ、メメがこの街に入ることは不可能だった。


 まあ、それは置いておこう。要は検問の正体が武力による威嚇でない以上、その対象は知性ある存在だと考える他にないのだ。


「―――この街はこうなのさ」


 だが、その指摘があって尚。

 エピリの返す答えは曖昧なものに留まる。


 彼女は話のタネを探そうと辺りをキョロキョロ見回して、しかし結局その視線は自らの腕時計に収まることとなった。


「さて。もう10時になってしまったか」

「ホントに長すぎたよ…」

「まだ早いけどお昼ご飯を食べに行こっか。街を散策しながら店を探せば、たぶん丁度いい時間になると思うよ」


 そう告げて、エピリは返答を待つことなく歩き始めた。置いて行かれる訳にもいかないメメは急ぎ足でそれについて行き、わざと小馬鹿にしたような声を作って彼女に問い掛ける。


「お金はあるの?」

「馬鹿にしないでくれたまえ、ちゃんと持って来てるよ」


 懐から財布をひらひらと。

 見せびらかす様はまるで嫌味な金持ち。


「……あぁ、いや」


 しかしその途中でエピリの視線はメメの後方一点に留まり、歩みも腕の動きもピタッと止まる。


 そして急な角度で進路を変えた。


「先にこのお店に寄るよ。メメちゃんは外で待ってて」

「なにここ?」

「コンビニだよ。まあ、すごく便利なお店なんだ」


 エピリはメメを外に置き去りにして、コンビニの中へ入っていく。


 そして入り口横のケースから傘を二本取り上げると、他の商品には目もくれることなくレジへと向かった。


「失礼、この傘を二つ貰えるかな」

「かしこまりました。傘が二本で合計―――」


 すぐに会計を終えて、エピリが戻って来た。

 彼女は買った傘の片方をメメに差し出してきた。


「お待たせ、はいこれ」

「傘? どうして…」


 メメには今の行動に込められた意味が全く以て分からない。

 空は燦々と晴れ渡っているし、雨の気配もないのに。


 大きなハテナを頭上に浮かべるメメを見て、エピリはクスリと微笑んだ。


「……そのうち分かるよ」


 追及などしたところで致し方なし。

 メメも早々に諦め、二人は新地球街の探索を歩き回って行った。


 天空より人を見下ろす鋼鉄の直方体。

 乱立する無数のオフィスビル。

 綺麗なスーツを着こなした人間が多く出入りし、心なしかその周辺の空気は張りつめているようだ。


 不自然を切り抜いて植え込まれた、人間のための自然。

 簡素に言えば都会の中の公園。

 植物は多く生えているがそれだけであり、かつて地球に生息していた動物の姿も、その成れの果てであるアニマルガールの姿もここには見えない。


 虚構の中で虚構を上映する木箱。

 ポップコーンの香ばしい匂いが漂う映画館。

 打って変わって私服姿の人間が多く見られ、人々はとても楽しげな表情で同行者と言葉を交わしている。


 幾つもの施設。

 幾つもの造物。


 どれも興味深いが残念ながら空腹を満たせる場所ではないため泣く泣く通り過ぎ、時にはエピリが『気分じゃない』と折角見つけた飲食店を却下するなどして、心が躍る食べ物の匂いを探し求めて歩き続ける。


 そして、時計の長針が更に一回転半ほどした頃。


「おっ、いいのを見つけた」


 二人は漸く、落ち着ける場所を見つけたようだ。

 それはどうやらエピリが昔、贔屓にしていたラーメン店らしい。


「お昼はここでラーメンにしよう。昔はしょっちゅうこのお店でお昼を食べていたんだけど、まだやってくれていたとはね」

「ラーメン…」

「おや、緊張しているのかい? 大丈夫、私が全部教えてあげるから」


 世俗に疎く普通の飲食店にさえ物怖じして身体が強張るメメを、エピリがその腕を引っ張って中に連れていく。扉を開けると美味しそうな匂いと、味のついた熱気が共に気管を通って身体に入り込んでくる。


 ここでは彼女たちも、普通の利用客だ。


「ほらメメちゃん、食べたいのを選んで」

「なっ、なにこれ!?」

「券売機だよ。ほらほら、後がつっかえちゃう」

「……こ、これっ!」


 注文にさえ手こずったり。

 椅子に座って縮こまったり。


「どう、美味しい?」

「……あつい」

「あははっ、ちゃんとふーして冷まさないと」


 割り箸の使い方が覚束なかったり。

 スープの熱に舌を焼かれてしまったり。


 色々と面白いことはあれど、特にトラブルもなく彼女たちは昼食を済ませた。


「いやぁ~、流石の味だったね。メメちゃんも気に入ってくれたかな」

「……まあ、少しは」


 歯切れの悪い返答をするメメ。


 熱いスープをまともに受けてまだヒリヒリしているようだ。隙を見ては舌を外に出し、外気に触れさせて火傷を冷まそうとしている。その度にちょっぴりの余計な痛みを受けて、メメは一瞬の後悔を繰り返す。


 エピリは左袖をまくって、時計の針を確かめる。


「そろそろか」


 誕生日を目前にした子供のように、エピリは溢れ出る笑みを隠せなかった。


「近くの公園に行って休もう。ちゃんと傘は持ってるよね」

「持ってるけど、こんな綺麗に晴れてるのに………え?」


 彼女の様子を怪訝に思ったメメが辺りに視線を遣ると、不可思議な光景を目の当たりにした。


 周囲を歩く人の全員が晴れているのに揃って傘を持っていて、しかもその中にはそれを大きく開いて空に向けている者さえいるのだ。日傘ということでもどうやらなさそうで、彼ら彼女らは何が目的なのだろうか。


 戸惑って、メメはたじろぐ。


「待って、なんで…?」

「おや、気付いてしまったか」


 そう呟くエピリはまるでドッキリ箱を開ける直前の悪戯っ子のよう。

 袖を肘の辺りまで引き、じっと腕時計を見つめている。


「そうだね、ならちょっとしたマジックをしよう。ほら、空を見上げて」

「空を…?」


 メメは見上げる。

 そして、エピリが唱える。


「5、4、3、2、1……」


 カウントダウンは降りてゆき、0を迎えれば鐘が鳴る。


 それは正午の合図。

 12時ピッタリ。

 その瞬間から。


「え」


 遥か上空の大自然が成す晴天を嘲笑うような、普通の雨が降って来た。


 既に傘を差していた人々は予想通りといった表情でそのまま歩き続け、傘を持っていただけの人々は思い出したかのように手持ちの時計や電子端末を覗き込み、納得したような顔をして傘を開く。


 優美な所作で傘を開いて、呆然としているメメの身体を雨から守ってやり、エピリはにこやかに呟く。


「今日の雨も予定通り。流石は新地球街の技術だね」


 傘に空を遮られてしまったら、メメは俯いて顔を隠した。


「……すごい場所だね」

「ああ、そうだろう?」


 二人はゆっくりと、雨の降る街を歩き始める。


 ぴちゃ、ぴちゃ。

 別に驚くことはない。


 この未来を往く街とあらば、お天道様の泣かせ方さえ知っている。


 ただなのだ。

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