第35話 天気模様も人の業。

 雨が降り始めた時に開き忘れて、一歩ごとに強くなる『この期に及んで』と思う気持ちに固く縛り付けられた傘を左手に握りしめたまま、メメはエピリと相合傘の形で街を歩む。


「……ねぇ、次はどこに向かってるの!?」


 ザアザアと降り注ぐ雨の中では、張り上げなければ声もおぼろげ。


 正午になった途端にもくもくと煙りだし、瞬く間に新地球街を覆ったあれら雲の居場所はとても低く、あのビルが少しだけ背伸びをすれば簡単に突き抜けることが出来てしまいそうだ。


 あんな奇妙な空模様を見ると、この雨がヒトの降らせたものだと言われても何ら疑いを持てなくなってしまう。


 それはさておき、行先はいつだって気になるものだ。

 数十歩分の思案を経て、エピリはメメの質問に答えた。


「そうだねぇ、何と云うべきか……この街のがある場所、かな」

「心臓?」

「もちろん比喩だよ」

「知ってる。けど、なんだか大事そうじゃん」


 当たり前だが心臓はとても重要な器官だ。

 仮に突然動かなくなったとすると、その生き物は間違いなく息絶えてしまう。


 そしてその言葉に『街の』という接頭語が付いたとすれば、エピリが言うその何らかの物体は、その有無が新地球街の存続に直接的に関わってしまうようなであることを疑いようがない。


 少し楽しみな気持ちと、その裏返しの緊張がメメの背筋に走る。


 いよいよ聞いたばかりの言葉さえ信じられなくなり、エピリへの問いを重ねた。


「ホントにあるの?」

「私たちみたいな観光客がホイホイと入れる場所にそんな重要なものがあるとは思えない、そういうことかい?」


 流石、彼女は察しが良い。

 メメは静かに頷いた。


「あはは、尤もだね。ただ心配は要らないよ」


 彼女はメメの心配を半分だけ肯定し、しかし大丈夫だと言った。


「アレを壊すなんてとてもとても……できたもんじゃない。色々とね」


 ああ、今から行く先には何が待ち受けているのだろう。

 目的地にて、彼女の含みのある言い草の一欠片でも意味が解れば幸いだ。


 そのまま歩くことしばらく。


 二人は辿り着くべき場所へと行き着いた。


「ここは、街の中心地?」

「そうだよ。分かりやすく巨大なオブジェまで置いてあるだろう」


 傘を持っていない方の腕を伸ばし、エピリが指差した先。


 そこには非常に巨大な円筒状の水槽が聳え立っており、その水槽に空気の隙間なく注ぎ込まれた水の中。四方八方からライトアップされた青色の中心に、透き通るような赤色の球体が浮かんでいた。


 人工物に塗れた街の中心に、まるで時代ごと取り残されたようにポツンと佇む暖色の神秘。


 あれこれ論理立てて考える隙間もなく、呟きが喉を飛び出す。


「まさか、アレが……」

そのものだとしたら、とても大胆だね」

「その言い方、合ってると思っていいんだよね?」

「うん、そうなんだ」


 とうとう目にすることができた。

 特にメメにとっては、アレは初対面ながら因縁深い存在だ。


 エピリが静かに、あのの持つ力について語り出す。


「周囲の地形から吸収した地虹を元にエネルギーを産み出して、そして街中にそれを循環させる。或いは街の領域からセルリアンを遠ざけて、人々の生活を守っている。挙句の果てにはこの街に、毎日のように雨を降らせることさえしている」


 それら多彩な能力を、ただの石のようにしか見えないあの単一の物体が全て持ち合わせているなど―――とてもではないが信じがたい話だ。


 しかし、なんとなく。

 メメはそれが本当のことのように思えた。


 エピリへの信頼がそうさせたのではない。


 もっと違うもの。まるで生き別れたを見たかのような。

 そんな妙な親しみが、エピリの説明をメメにスルッと呑み込ませた。


「アレがこの街の心臓。通称は『龍の眼』。その名を聞くと、なんだかアレが巨大なルビーのようにも見えてこないかい?」


 エピリはとても楽しそうに説明をしている。

 気分が乗ったのか、雨の中なのに煙管まで取り出してふかし始めた。


 メメは鼻にかかったタバコの煙をパタパタと手で吹き飛ばし、距離を取るように自分の傘を開いて後ずさる。


 そして何事もなかったかのように話を続けた。


「……これは、いつできたの?」

「さてどうだったか。結構昔のことだった筈だけど」

「使われてる技術も普通じゃないんでしょ」

「材料すら、滅多に手に入らないよね」

「誰がこれを作ったの…?」


 非常に不思議なことだ。

 メメは質問を繰り返しているのに、その声色から疑問の気配が段々と消えていく。


 問いを重ねていくうちに、自ずと答えを知ってゆくのだ。それはエピリが彼女の質問に答えたからではなく、忘れていた幾つもの事実を彼女自身が問いの中に見出したからである。


 ああ、彼女は気が付いた。

 アレの正体が分からない筈などないと。

 だって、あの『龍の眼』に自分自身を感じるんだから。



 ―――悪夢のような記憶が彼女の脳裏に木霊した。



「メメちゃんには中々思うところがあるようだけど。うん、そろそろ終わりだ」

「終わり? まだ帰らなきゃいけないような時間じゃ……!」

「ああいや、そういうことじゃないよ」


 エピリは傘を閉じ、掌を空に向ける。

 しかし彼女の身が濡れることはなかった。


「終わるのは雨さ。もう三十分が経ったからね」

「……そっか」


 メメもそれに倣って傘を閉じた。


「話を戻そう。誰がアレを作ったか、だったね」


 ニヤリと、エピリは目を細めて口角を上げる。


 この場にレクトがいれば彼は間違いなく、彼女のこの仕草を悪い冗談の前兆とすぐさま判断したことだろう。


 続くは咳払い。

 そして素っ頓狂な告白。


「…おほん、実は私なんだ!」

「……ハァ」

「あらら、そんなハッキリ呆れないでくれたまえよ」


 折角張り切って言葉にしたのに、とでも言いたげな表情である。

 しかしエピリのそんな想いもメメには当然伝わらない。


「真面目に言って」

「五十年ほど前に出来上がったものだからね。図書館に行って記録を漁れば見つかるだろうけど、あまり意味は無いと思うよ」

「……うん、そうだよね」


 この世紀の大発明を成し遂げた偉大なる科学者は、残念ながらもうこの世にはいないのだろう。彼もしくは彼女の為した偉業の陰には一人のアニマルガールの苦痛が存在するが、それを本人に咎めることも出来はしない。


 しかし、メメはあまりその気になれなかった。

 少なくとも『龍の眼』は、人々を守るために働いているのだから。


 誰かを守るための存在や行動を、どうやって責められようか。


「やっぱりを感じるかい? 自分を使った研究成果を目の当たりにした実験体は、その時に何を思うんだろうね」

「少なくとも破壊兵器じゃないだけ、全然マシだよ」

「それは良かった」


 アンビバレントとは、きっとこんな時に使う言葉だ。

 メメは苦痛を背負った張本人であるだけ、純粋に喜べないのだから。


 そして、それだけではない。


「どうしてこの街が”都会”なのか、よく分かったよ」

「逆に言えばこれだけのモノを作らないと、この規模の都市でさえセルリアンの脅威に晒されて維持ができないんだ」


 誰かの為した偉業とか。

 誰かが働いた悪行とか。


 そういう善悪を秤にかけて裁こうとする心を無にして。


 此処までのことをして初めて、ようやく人間の文明がその形を保つことのできるこの世界に、簡単には呑み込みようのない寂寥感をメメは覚える。


 ”自分が生まれて来た”という今更変えようのない事実を、呪ってしまう。


「ヒトの文明は、より前とはすっかり違う」

「変わってしまったんだよ。遠い昔に」

「……うん」


 でも。

 そんな自分を肯定してくれた彼がいるから。

 呪ってばかりではいたくない。


「なんか、気分が悪くなってきちゃった」

「気持ちの問題だけじゃないかもね。『龍の眼』は地虹や衍澹に影響を及ぼす。メメちゃんのように地虹との繋がりが深いアニマルガールだと、数時間近くにいるだけで身体に変調をきたしても可笑しくない」


 すらすらと詳らかな説明が成されるが、メメは自分の体調を整えるのに精いっぱいでよく聞いていなかった。


 それに気づいたエピリは笑い。

 小さく、メメにも聞こえない声で呟く。


「けど、驚いたな。こんなに出力を上げているなんて」


 彼女がスーツの内側で隠し持っていたも、あの『龍の眼』の頑張りっぷりに少し感化されていた。


 どちらかと言えば、憂うべきことなのだが。


「まあ見るべきものも見られたし、君の身体のことも考えてそろそろ帰ろうか」

「待ってよ、まだ疑問は残ってる」

「おや、そうかな?」


 エピリは失念していたが、メメは確かにを覚えていた。

 懐から黒い歯車を取り出してそれを目の前に突き付ける。


「あの歯車は? この街のどこから出てきたものなの?」

「……あぁ、これか」

「どう考えても、『龍の眼あれ』じゃないよね」

「まあね。ただ無関係とも言い難い」


 この街のインフラは全て『龍の眼』に深く支えられているため、何にせよ完全に無関係と言い切れる存在はここに無いのだが、とりわけこの歯車は関係が深いと言えるだろう。


 タルジャも所属している例の『研究所』によって作られたものなら猶更だ。


「でも、今日は行けそうにないな」

「どうして?」

にあるからさ」


 その深くとやら。

 物理的になのか。

 それとも他の意味があるのか。


 どうして、エピリはここまで事情をよく知っているのか。

 知っているなら、何故直接教えてはくれないのか。


「だからまた今度にしよう。機会があったら、今度はレクト君も一緒に見に行こう」


 それら幾つもの疑問が氷解する時が来るとしたら、きっと。


「―――この街の、『排水口』をね」


 その氷が融けて出来た水は、この街を呑み込んでしまうだろう。

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