第27話 人事を尽くして雨雲を待つ。

 それから野を越え山を越え……という程の距離でもないが、茶色く色褪せた芝生が特徴的な石ころだらけの道を歩き抜けて、レクト一行は盗難事件の犯人たる衍獣どもを追い続けていた。


 しかし後悔は募る。泥棒と聞いて溢れ出した名探偵の正義感が皆を大捕物に駆り出したのは良いが、昼食を抜きにして村を飛び出したことにより腹ペコ三昧。


 あり合わせのあんパンで小腹を満たそうとするも、焼け石に水。

 その程度で空腹が収まる訳もなし。


 それはそれとして、周囲の地形がこのカラカラ具合では焼け石を見つけたとて掛ける水すらなさそうで、レクトは内心別の意味で困っていた。


(恐らく戦いは避けられないが、随分と乾ききってやがるな。これじゃ、水を使って優位に立ち回るのは難しいか……)


 幸いなことに致命的な逸失ではない。彼が槍術そのものをも磨いてきたのは、幾度となくこのような場面に遭遇してきたからである。


「見てください、比較的新しい痕跡です。ええ、わたし達は確実に犯人へと近づいていますよ…!」


 そうして追い続けていた泥棒の足跡が、いよいよ直近のモノになって来た。彼女曰く奴らがここを通ったのは最近で、恐らくそう遠くには離れていないようだ。


 名探偵を名乗るだけあってシベリアオオヤマネコの追跡術は目を見張るものがあり、例えば草むらの中に足跡が隠れてしまったり、たまに痕跡がぷつりと途切れるようなことがあったりしても迷いなく行き先を示した。


 その導きに従い、歩く。

 まだまだ歩く。

 頻く、歩く。


 やがてあんパンで誤魔化した空腹がすっかり再燃し始めた頃に、彼らは漸く尻尾を掴み取る。


 推理通り、奴らの根城は洞窟。

 岩陰から身を乗り出し、名探偵はそこを指差す。


「……ここです」

「なるほど、うじゃうじゃ屯ってるじゃないか」

「本当に大丈夫、なのですよね…?」


 滅多に見ないような数の衍獣を目の前にして、コモモは当然のことながら不安に駆られる。秘密兵器もここでは使えそうにないため、余計に心配なようだ。


 ならばこそ、レクトはドシっと構えていなくては。


「まあ任せろ。こっちに誘き出しながら、確実に数を削っていく」

「わたしも力になりますよ! 名探偵には腕っぷしも必要なんですから!」

「もちろん、わたくしも頑張りますわ♪」


 それに、彼は一人ではない。


 元々、衍獣と真正面からやり合える力を持っているのはアニマルガールだけだった。しかし過去のから時間が経つにつれて人間の身体にも地虹が馴染んでゆき、十分な訓練と武器があれば戦えるようになった。


 それでもレクトのように戦える存在は人間の中では上澄み。

 現在も、衍獣の相手は実はアニマルガールが多くを担っている。


 つまり何が言いたいのかというと。


 戦える存在が十分揃っているのだから、きっと勝てるということだ。


「みんな勇ましいね~。だったらあたしは~……ふふっ」


 三人の決意表明を静かに見守っていたメメ。

 意味深に微笑んだかと思えば、彼女はレクトに横から近づいて。


 ちゅっ。


 水音。

 小さく響かせた。


「…えっ?」

「なな、何をして―――!?」

「レッくんに、あたしの加護をあげたんだよ」


 ペロッと舌先をわずかに見せて、悪戯っぽくメメは笑う。視線はコモモに真っすぐ向いていて、まるで彼女を挑発しているかのようだ。


「あたしは戦わないけど、これでレッくんは百人力だからね♪」

「……わ、わたくしだってっ!」


 そんな振舞いを見せつけられて大人しく黙っている筈もなく。


 負けじとコモモもレクトに近づき……またそれだけでなく、ギュッと両腕を広げて彼の身体を抱き締めて。


 ちゅっ。


「わたくしの応援の方がずっと、レクトさんの力になりますからっ!」


 頬に、熱いキスをした。


「お、おう…」


 何の脈絡もなく両側から口づけを貰ってしまい、戸惑うレクト。


 その後方でクイッと眼鏡を押し上げた名探偵は、いずれ起こりうる事件の気配を肌でひしひし感じ取っていた。彼に落ち度はないと知りつつ、忠告が口を衝いて出てきてしまう。


「……いつかわたしが、貴方を調査することにならないよう祈っていますよ」

「ああ、俺もだ」



 ―――そんなこんなで気を取り直し、いよいよ突入の時。



 正義感と共に空腹を募らせている一行は一刻も早く泥棒をとっちめて帰路に就き、村で美味しいカレーライスにありつかなければならない。


「よし、そろそろやるぞ」


 近くに転がっていた小石を広い、洞窟に向けて全力の投擲。


 コツン―――と乾いた音が辺りに響いたかと思えば次の瞬間、穴倉の中から蜘蛛の子を散らすように衍獣がわらわらと這い出てきた。


 交戦開始。


 皆は思い思いに駆け出し、敵の群れに向かって只管に槍や尻尾や拳を振るう。特に見栄えのいい殺陣や大立ち回りがある訳でもなく、ただ粛々と目の前に現れる相手に力をぶつけ続ける淡白な戦いであった。


 しかし或いはそのような泥臭い戦いでこそ、その人の地力が遺憾なく発揮されるのかもしれない。


 横で見守っていたメメがそんなことを思ったのは、三人の戦い方の様子が明らかに異なって見えたからであろう。岡目八目というものである。


 今も、ほら。


 必死に尻尾を振り回して敵を蹴散らしているコモモの死角から一匹の衍獣がこっそりと近づいてきて、隙を突いて彼女の背中に勢いよくタックルをかました。


「ひゃんっ!?」


 完全に虚を突かれたコモモ。

 体勢を崩して前のめりに倒れ込んでしまう。


「っ、どけっ!」


 彼女のピンチにすぐさま気づいたレクト。


 素早く彼女の傍へと駆け寄ったかと思うと、彼女にタックルをかました不届き者を一突きで串刺しに屠り、正面から追撃を狙って近寄って来ていた複数体の衍獣もバタバタと薙ぎ倒してしまった。


「コモモ、平気か…!?」

「あ、ありがとうございます…♡」


 これにはコモモもより一層惚れ直したか、頬が赤らむ。

 攻撃を受けたにも関わらず彼女は嬉しそうだ。


 それを見たメメの心に”自分も今から衍獣に襲われて助けてもらおうか”……と一筋の魔が差したが、よく考えてみたら自分はそんなキャラではないと思い直し、やはり傍観者に徹することにした。


 彼女にとっては、こうして外から二人を眺めている方が存外楽しいものである。


「思ったより面倒な奴らだ、あまり離れずに戦うぞ」

「承知しましたわ!」


 背中を合わせ、連携して戦うようになった二人とそれを応援するメメ。


「フレー、フレー、レッくんっ!」


 気の抜ける声援に半ば脱力しながらも、レクトは槍を振り続ける。


「呑気なもんだ……なッ!」

「ですが、良い感じに緊張は解れますね」

「全くだ」


 手の届く範囲の敵を着実に片付けながら、そういえば一人にしていたシベリアオオヤマネコの様子を確かめる。


「わー! とりゃー! 探偵をなめるなーっ!」


 彼女は拳一つで迫り来る衍獣を次々に叩きのめし、力強く仁王立ちをしていた。探偵に腕っぷしが必要というのは、やはり本当なのかもしれない。


「あっちもあっちで、安泰そうか」

「シベリアオオヤマネコさんって、思ったよりアグレッシブな方なのですね」


 ともあれ、衍獣退治は順調に進んだ。巣であろう洞窟から出てくる群れの勢いも時間と共に衰えていき、やがて増援は尽きて、メメが戦いの場に顔を出すこともなく決着の時は訪れた。


 それは明確な区切りではなく、長らくの沈黙。最後の衍獣を倒してからしばらくの間、彼らは新手を警戒して身構えていた。


 しかし続く敵は現れない。

 段々と、緊張は薄れていく。


「……ふう」


 そして終わりは、溜め息が告げる。


 一行は洞窟にそそくさと潜り込み、衍獣が盗み出したであろう野菜の山を回収して台車に載せる。他に残したものがないことを十分に確認し、用済みとあっては素早く洞窟を後にした。


 目的を果たした後の帰路。

 最早危惧することなど何もない。


 そう、思われたが。


「………?」


 ふとレクトは、風を感じた。自然に吹いてきたものとは言い難い、何か大きなものにことによって生まれたような、奇妙な空気の大移動だった。


 不気味な風と共にその気配は近くまで、十数メートル背後までやって来ている。

 振り向けば、その姿を拝むことが出来るだろう。


 彼は不安と共に踵を返し。


「なっ…!?」


 驚愕した。


「レクトさん、アレは…!」

「逃げるぞ、早くッ!」


 目にしたのは巨大な影。彼の抱いた認識はその程度だった。肌で危険を感じた彼はその来訪者の正体を詳しく確かめることなく、コモモの手を引き急いでその場を離れることにした。


 急なことに名探偵も驚き、出遅れかける。


「あの、野菜は…」

「荷物を抱えながら生き延びる自信があるなら持って来い!」

「で、ですよね~!」


 頑張って取り戻した物も放り出し、四人揃って全力疾走。これまで歩いてきた道を脇目も振らず逆走し、しばらく後に追い掛けてきていないことを確認して、彼らは漸く立ち止まった。


「はぁ、はぁ……なんだったんですか、アレは…」

「さあな。少なくとも厄介な衍獣だぞ」

「……あ、あんなの放ってはおけませんっ!」


 レクトは驚き、いっそ感心した。

 ここまで怯えていても名探偵の義侠心は削がれていないらしい。


「だとしても今は無理だ。しっかりと準備をしないと。少なくとも、野菜のことだって伝えなきゃならない」


 気持ちでどうにかなる問題ではないのが、歯痒いところだが。


「……そう、ですね」


 項垂れるシベリアオオヤマネコ。


 結局彼らは昼食を返上してわざわざ骨を折りに行き、余計な疲労と災いの前兆だけを村へと持って帰る。ただ幸いにも村に近づく脅威を先んじて発見できたのだから、完全な無駄足ではなかった。


 そう、決して無駄ではない。

 そう考えるより他に、気が楽になる選択肢はなかった。

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