第29話 蛇、身は水に溶ける。
明くる朝を迎えれば、彼らは再び件の荒野にいた。
昨日に遭遇したあの巨大な衍獣が未だこの近辺をうろついているという確証は無いし、何なら平穏無事のままに討伐できる自信もどちらかと言えばないのだが、やはり放置という選択肢は存在していなかった。
「わたし達の手で、やってやりましょう…!」
(……ここまでやるなら、いっそ警察だな)
早くに起床して日が完全に昇り切らない内に出発したことも、何か特別な調査に繰り出した時のようなワクワク感を与える。
歩いているうちに眠気もすっかり吹き飛び、いつ奴が現れても問題はなさそうだ。
「レクトさん、お身体は平気ですか?」
「ああ、大丈夫だ。むしろ元気すぎるくらいかもな」
「あたしの毒、効いてるみたいだね♪」
夜を明かして予想外なことに、メメに流し込まれた毒の影響は――少なくとも、存在が判りやすい負の影響は――朝を迎えたレクトの身体に全く残っていなかった。
負担があるとすればむしろそれは頭の方。
目を覚ますまでの数時間を過ごした夢の中で、彼はずっと言語で表現できない形の郷愁に襲われ続けていた。眼前に映る景色の全てに既視感があるのにそれが何であるか分からない、喉に引っ掛かった魚の小骨を意識し続けなければならない辺獄。
そんなものを見続けていたにも関わらず、彼は調子が良かった。自分の歩む道の先に何かはあると確信できて、前へと進む希望となったのだろう。
ということなので彼の身体に唯一残った不調の種は、未だ疼きの残る首の噛み痕くらいだろう。
「わたくしだってその気になれば、レクトさんを元気にしてあげられますわ!」
「……まあなんだ、無理に張り合うことないさ」
料理に洗濯にその他の身の回りの世話を含めて、既にレクトはコモモにとても助けられている。彼女が半ば無理やり上がり込んできてからというもの、彼の生活水準は大いに上昇した。
だから彼はとても感謝している。故にその感謝の気持ちを直接伝えれば、彼女も必要以上に気張らなくて済むのだが。
そうしない、できないのが彼の欠点。
ままならないものである。
「ところで随分なやる気だが、名探偵さんも戦えるのか?」
「見くびらないでください! どれだけ相手が巨大でも、攻撃に当たらなければどうということはありませんから!」
何かの受け売りのようなセリフを力こぶと共に。
名探偵は知力をかなぐり捨て純粋な力で解決するつもりらしい。
「ワトソン君も調子良さそうで何よりです。活躍、期待してますよ」
「……諦めてなかったのか?」
「ちょっとしたジョークですって。今日くらいはいいでしょう?」
どうにも彼女はレクトに拘っているというより、助手を持つことへの強い憧れがあるらしい。実利云々とは関係なく、彼女に探偵の何たるかを教えた何冊もの小説がそうさせているに違いない。
レクトは衍獣討伐にこそ賛成だがシベリアオオヤマネコの探偵業に付き合うつもりは更々ないため、道中は適当に話を誤魔化しながらターゲットの探索を行っていた。
そうして歩くこと数十分。
「―――見つけた」
昨日の遭遇地点から更にしばらく進んだ先にあるベージュ色の草地で、彼らはターゲットの衍獣らしき存在を発見した。
「昨日は慌てて逃げたからまともにその姿を拝めなかったが、いざこうして目の前にすると……ふむ、そうだな」
彼はその怪物を直視する。
高さは二階建ての一軒家くらい。また全身が真っ黒で、血管のような赤い線が身体のそこかしこに入っている。そして何より特徴的なのは、歯車仕掛けの機械のようなその外観だ。
大自然の中に置いておくには明らかに異質で、いっそ人工物と割り切ることさえも難しい。
正直な感想がレクトの口から飛び出した。
「悍ましいな、とても」
「というかこれ、本当にセルリアンなんですか…!?」
「……どういう意味だ?」
「だ、だって! わたし達が普段遭遇するセルリアンって、もうちょっと生き物っぽい感じがしてるんですよ? でも、いま目の前にいるのって……」
シベリアオオヤマネコの指があの衍獣を指す。
彼女の言い分に納得するように、コモモがゆっくり頷いた。
「……まるで機械ですわね」
「え~、無機質なのがそんなに珍しいかな~?」
「珍しいですよ、絶対っ!」
断言して憚らない名探偵に疑問が募る。
(そういうものか? 俺も大した違和感は持たなかったが、そうだな。思い出してみれば、ここまで機械を体現したような衍獣とやり合ったことは少ない……というより全く無い)
連鎖し、その疑問はこれまでの経験にさえ向く。
無骨さの範疇を超えた無機質さ、或いは情緒の欠如に彼の背筋は凍った。
(あの形。なんだか寒気がする……)
「まっ、考えてたってしょうがないよ」
「ですね。やるべきことは一つです!」
だが状況は待ってくれない。シベリアオオヤマネコがとうとう足を踏み出し、開戦の時は彼女と衍獣との距離に同期してぐんぐん近づいている。
レクトも腹を括り、槍を片手に強く握りしめた。
ひんやりとした木の温度が掌に伝わり、意識が戦いに切り替わる。
「レクトさん、お気をつけて」
今回の戦いには手を出せそうにないと判断し、コモモは少し離れたところの木陰に隠れて見守ることにしたようだ。
「ああ、コモモも巻き添えにならないようにな」
「これが終わったら、美味しい栄養剤を作って差し上げますわ♪」
「はは、楽しみにしてるよ」
彼は少しだけ早歩き。
名探偵と並び立つ。
「じゃあ、先手必勝?」
「そりゃそうだ、やるぞ」
互いの立ち位置を入れ替え、先行するレクト。足元に転がっていた小石を槍先で器用に手元に飛ばすと、すかさずそれを投げつけて衍獣の注意を引く。
「おい、戦いな」
ギギッ…と、錆び付いた機械の関節を無理やり折り曲げたような音がして、夜空のように黒い頭部の中に光る二つの黄色い眼光がレクトを貫いた。そして緩慢に、巨大な胴体も彼と正対するように向き直り、片腕を掲げた。
ドゴォ―――ッ!!
その動きは拳を叩きつけたというよりも、重力に流されるまま鉄骨が落ちていくような光景だった。重い振動が大地に響き、本能が気を引き締める。
きっとこれが、始まりの号令だ。
「この名探偵も……サンドスターのパワーを全開ですっ!」
その場で少々踏ん張ってから大きく空に腕を掲げると、シベリアオオヤマネコの身体が虹色の粒子に包まれて淡い光を放つようになった。たったそれだけで不思議と大きくなった存在感は、確かに彼女が強くなったことを周囲に報せている。
(あれは、地虹か…)
目立った反応こそ見せなかったが、レクトは少し驚いていた。
特に、彼女の言葉について。
見知った物体を、聞き馴染みのない単語で表現されたことについて。
故に彼は衍獣への攻撃を始めながら、一つ訊いてみることにしたようだ。
「そのサンドスターって、どういう呼び方だ?」
「……おおっ?」
彼に続いて衍獣の左後ろに勢い良くキックを叩きつけていると、ふと質問を投げ掛けられてシベリアオオヤマネコは一瞬戸惑う。
数秒、その質問の意味を思案して。
衍獣が繰り出した重苦しい反撃を軽やかな身のこなしで回避してから、ちょっと表情をニヤつかせてこう返した。
「さてはレクトさん、案外流行に疎い方と見ました!」
「は、はぁ…?」
名探偵の推理とは得てして突拍子もないことがある。
そして、その上で納得させるからこその名探偵でもある。
シベリアオオヤマネコは彼女がそう考えた理由を説明し始めた。
もちろん、衍獣を攻撃しながら。
「最近になって呼び方を……おっと! 変えようって話になったそうですよっ。十数年前に衍獣をセルリアンと呼び変えるようになった時と同じ流れらしいですけど」
もちろん衍獣も黙ってやられていることはない。ガチャガチャと耳障りな音を立てながら腕の先端を変形させ、露出した高速で回転する歯車をレクトを殴りつける。
彼は咄嗟に地面を蹴り、腕の上に乗って足元を槍先で切りつける。
何度かそのように攻撃を加えた後、衍獣からの反撃がやって来る前に後ろ向きに飛び降り、落ちる時の勢いで縦に一閃。
手応えは、少し乏しかった。
「喰らいなッ! ……しかし、随分と期間が空いてるじゃないか」
「その時に二度目の大災害が起きたらしいです。より脅威が分かりやすい様に、聞き馴染みのない『セルリアン』という言葉を使い始めたと聞きました」
効果の程はさておき、経緯はそのようであるらしい。
無論、問題になるのは彼が知っているかどうかだが。
「ご存じないですか?」
「……幼少期のことだからかもな」
「かもです……ねっ!」
話の途中でも容赦のない敵の攻撃を名探偵が避けて、一先ず世間話も一区切り。
こうして見ると彼らは随分と呑気に振る舞いながら戦っているように感じられるが、それは相対する巨大な衍獣の動きが非常に緩慢であることともう一つ、敵の装甲が硬く矢継ぎ早に攻撃をしても意味がないからである。
やはり、水がないことが響いている。
「どうだ? 勝てそうな気はするか?」
「ちょっと~、厳しいかも…」
名探偵も同様の見解。
打てば響くがそれだけ。
芯に届いた感覚がしない。
だから何処かにあるであろう弱点を突くか、あの装甲を直接貫いてしまう程の力が欲しいのだがそう上手くはいかない。
暫しの膠着状態かと、そう思われた。
「おい、避けろっ!」
「えっ…」
仕掛けたのは衍獣の方だった。
腕による攻撃を避けて一息、シベリアオオヤマネコが安心してしまった隙を突いて、大きく身体を回転させながら巨大な脚で彼女を吹き飛ばした。
「―――わぁっ!?」
地面と平行に、少なくとも十メートルは吹き飛んだ。
勢いこそ中程度だったがやはり金属の巨大な体躯、その質量は侮れない。
「ぐっ、こんのデカブツが…ッ!」
せめて追撃を防ぐため、レクトは攻撃をして注意を引こうとする。
キィン―――ッ
槍を突き出せば、無慈悲に鳴る甲高い音。
この程度のかすり傷では、意識をこちらに向けることはできない。
「レッくん、レッく~んっ!」
「…ん?」
「ほら早くっ、力を出してっ!」
「ち、力ぁ…?」
とここで、コモモと同じく見に徹していたメメが声を上げた。
「あたしの毒をバァーッっと解放して、一気に強くなるんだよ!」
「毒を、解放する…」
見ると、吹き飛ばされたシベリアオオヤマネコは意識こそあるものの、即座に戦線へと復帰するのは厳しいダメージを受けている。
力を見せてしまうと後で様々面倒はありそうだが、このピンチとあっては躊躇ってなどいられない。
(……なら、やってみるか)
レクトは一旦、目の前の衍獣から意識を外す。
そして、自分の内側を流れる毒に集中する。
『ほら、深呼吸して。ゆっくり落ち着いて、込み上がる熱を力に変えるの』
するとメメの言葉が鼓膜をすり抜けて、頭の中に直接響き渡った。
彼はその指示に従う。
大きく息を吸い、そして吐いた。
肺を膨らませるたび、心臓に不思議な力が籠り。
空気を押し出すたび、その力が全身に行き渡る。
今なら何でもできるような気がした。
何にでも成れるような気がした。
どんな相手でも打ち破れるような、そんな全能感に包まれた。
彼がそうなるまでに、数秒も掛からなかった。
けれど彼は頭の中で、何遍もの昼夜を過ごしたような心地を覚えていた。
『さあ、雨が降るよ』
メメがそう言う。
「ああ、降らせよう」
レクトが答える。
合図をするまでもなく。
彼らの声は混ざり合う。
「―――呑み込め、
そして、全てを巻き込む。
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