第37話 手を伸ばせども。

「あ、タルジャさん!」

「イエネコさん、ここにいたんですね。急に姿が見えなくなるので心配しましたよ」

「えへへ、ごめんなさい…」

「平気ですよ。普段より元気そうでむしろ安心しました」


 にへらと笑いを浮かべながらテクテクと、イエネコはタルジャの方へ寄っていく。申し訳なさそうにしつつも、自分が叱られるとは露ほども思っていないような態度だ。


 無論、タルジャは怒ったりなどしない。むしろ穏やかな手つきでイエネコの頭を撫でてやっている。彼女は気持ちよさそうに目を細めてその手を受け入れるが、タルジャの指が猫耳の先に触れるとくすぐったそうに頭を振った。


 そんなじゃれ合いも一旦は終わりを迎えて、レクトとタルジャの会話が仕切り直される。


「レクトさんも、目を覚まさなくなったと聞いた時はとても心配しました。ですが少なくとも最悪の事態にはならなかったようで安心しています」


 おそらくこの話は同僚のエピリから耳にしたのだろう。立場もあって警戒していた身だが、タルジャから掛けられた労りの言葉にレクトが特に含みを感じるようなことはなかった。レクトに真っすぐ向けられる彼の視線は、少なくとも今は誠実であるように見える。


 少し待ち返事がないとみて、タルジャはそのまま話を続ける。


「こうなっては改めて考える時間も必要でしょう。お仕事の話への返事については、また後日に改めて―――」

「待ってくれ」


 言葉を遮り、レクトが声を発する。

 張り詰めたような真剣な声色だった。


 察したタルジャも襟元を正し、短く一言を返す。


「はい」

「答えは出た」

「…そうですか」

「引き留めてまで言うには悪い返事だけどな」


 それを聞き、予想は確信に変わる。

 しかし本人の口から聞くのが道理と、彼は待つ。


 レクトは顔を上げ、タルジャの目をじっと見据える。


 暫し躊躇って口を開けば、もう言葉に迷いの色は無かった。


「……悪いが、あんたに手は貸せない」

「そう、ですか」


 タルジャは瞼を下ろし、残念そうに息を吐く。


「理由をお聞かせ願えますか」

「ただ単純に、期待に沿えないと思ったからだ。見ての通り俺は戦いの後にこんな風にぶっ倒れて、コモモやエピリさんにも心配を掛けた。……勝ち負けに関係なく戦うだけでこうなる危険があるなら、俺はアンタらのために戦ってやることはできない」


 竜頭蛇尾の激流に何ができようか。

 命を削る戦いの先に何が残ろうか。

 彼は、本当にそうせざるを得ないのか。


「―――ええ、その通りかもしれません」


 タルジャはハッと息を呑んで、彼の言葉を肯定した。


「分かりました。わたくしどもの仕事については、また別に適任の者を探すことにいたします。どうかお大事に、レクトさんの今後の無事を祈っております」


 彼はそう言い残して部屋を後にする。

 イエネコも、それについて行く。


「お返事、ありがとうございました。帰りましょう、イエネコさん」

「は~い!」


 扉を閉める音が鳴り響き、また部屋に二人きり。


 一仕事を終えたように天を仰いで大きく息を吐いたレクトに、コモモは少々首を傾げながら問い掛ける。


「よろしかったのですか?」

「元々そこまでやる気があった訳でもないからな。やっぱり俺は、程々に森の中で引き籠ってるくらいが丁度いいんだ」


 彼にとっての馴染み深い生活は質素なものだ。


 何もない時は家で槍の手入れをしているか、もしくは外に出て辺りを散歩している。そしてお呼びが掛かれば現場に向かい、衍獣セルリアンをなんやかんやと討伐する。


 時にはフォルやティレッタの修行に付き合ってやり、自らの槍の腕が鈍らないようにしている。一人になれた時に、水を操る能力の調子を確かめることも欠かさない。


 そして忘れてはならないのが、博士や助手からの大不評を篠突く雨のように受けているあの、茹でて軽く火を通した野菜に塩胡椒などで味付けをしただけの料理らしき何か。


 気が付いた時からそんなものに囲まれた日々を送っていたレクトには、新地球街と深く関わる道の先にある多忙な毎日は些か眩しすぎるのだろう。


 だから、これでいい。

 これが心底見合っていると、彼はそう考えていた。


「さ、行くか」


 シーツに手をつき、そこそこの勢いで立ち上がる。


「あっ、急に動いたら…」

「もう平気だ。起きてから時間も経ったしな」

「でしたら、よいのですが」


 コモモはいつになく心配がちだ。

 そうなって当然の事件が起きたからだが。


「帰る準備だ。特に気に掛ける荷物もないが……とりあえず、あの名探偵さんにはちゃんと挨拶しとかないとな」


 そして二人も部屋を出る。

 手荷物も全て持ち、しばらくここに戻ってくることは無いだろう。


 玄関を出て、眩しい陽光を浴びる。


 レクトにその感覚はないが、彼が日の光を全身に浴びるのもこれで数日ぶりだ。心なしか普段よりも大きな開放感が彼の身を包み、全身の血が喜んで巡っているように思えた。


 辺りを見回して人影を探すと、噴水の方に一つ。

 かの名探偵の立ち姿があった。


「……あ、レクトさんっ! 目を覚ましたんですね!」


 彼女もこちらに気付き、急いで駆け寄ってくる。


「おう、無事だったか」

「それはこっちのセリフです!」

「…はは、かもな」


 レクトの軽口に力強く言い返すシベリアオオヤマネコ。


 しかしジロジロと、不安げに彼の身体を上から下まで見回し、謝罪の言葉を口にする。


「ごめんなさい、わたしが軽率に行動したせいで…」

「ああ、気にすんな。誰にも予想できなかったんだ。悔やむより、なんとか無事だったことを祝おうぜ」


 慰めを受けて、沈んでいた名探偵の表情も明るく浮き上がった。

 そして話は変わり、これからの予定について言及する。


「もう、向こうに帰るんですよね」


 彼は頷いた。


「達者でな、名探偵さん」

「はい、またいつか!」


 そして”新しい依頼がある”と言い、シベリアオオヤマネコは足早にその場を後にした。レクトとコモモは彼女の後ろ姿を見送って、帰りの荷車を探しつつ村の中を歩き回ることにした。


 他愛のない会話を交わしながら道を進んでいると、また新しい姿が一つ。


「……レッくん」

「メメ」


 彼女も散歩をしていたのだろうか。

 ぼうっと足元を見つめながら、メメは宛てもなくふらついていた。


 レクトに気付いた彼女はゆったりと顔を上げ、持ち主を失った風船のような表情で彼を静かに見つめる。


 彼は一言、冗談で切り出した。


「泣いたりしないんだな?」

「……頑張って堪えてるんだから」

「なんだ、そうか」


 ぎこちない短文を交わして、二人は黙って見つめ合う。

 もっと何かを話したかったのに、いざ向かい合うと口が動かなくなって。


 ついぞお互いが覚悟を決める寸前。


 そこに割って入る声があった。


「おはようレクト君。思ったより元気そうだね」


 エピリだ。

 レクトはそちらに向き直る。


「コモモから来てるとは聞いたが、本当にここで会うとは思わなかったぞ」


 現れた彼女はメメに目配せをして、メメの方もそれに頷く。

 それを見たレクトは、彼女たちが既に面識を持っているのだと悟った。


「二人は、もう?」

「うん、君も察していたことだろう?」

「そりゃそうだが…」


 そういう話ではないと。

 続ける前に畳みかけられる。


「詳しい話は帰ってからにしよう。君も起きたばかりで難しいことは考えたくないだろう? 」


 言われればその通りなのだから、強く反論できないのが困りもの。


「帰りのはあっちに止めてあるから、先に向かっておいてくれよ。私は少しだけ、タルジャ君と仕事の話が残ってるからさ」


 ああ、もう仕方がない。

 首を縦に振るより他にない。


「ああ」

「わかりました」

「うん、じゃあまた後で」


 そして三人は荷車の方へ。

 一人は新地球街が良く見える村の外れへ。


 その一人は間もなく目当ての人物を見つけ、朗らかに声を掛ける。


「―――タルジャ君。お疲れさま」


 名を呼ばれた彼はそちらを振り返り、いつものように深く頭を下げる。


「エピリさん。貴女にも、ご足労頂きありがとうございました。トラブルは多々あったようですが、無事解決に至ったようで何よりです」


 恭しくありつつやり過ぎずに好印象を与える彼の振る舞いであるが、エピリはそんなものにも、疾うに終わった仕事にも興味がない。


 自らの関心の真心を突く一件に、彼女は早速言及する。


「で、んだろ?」

「仕方のないことです」


 レクトがタルジャの仕事への協力を断ったこと。

 エピリは薄々気付いていたようだ。


 早速に指摘されて、タルジャは苦笑いを浮かべた。


「で、衍獣セルリアンの研究はどうするんだい? 腕の良い協力者がいなくては調査は滞ってしまうだろうに」

「どうにかするしかありません。場合によっては……の手を借りることになるやも」


 遠くに、新地球街に視線を遣り、彼は次善の策の在り処を述べる。


「それって?」

「ええ」


 丁寧な仕草で、五本の指全てを彼女に向けて言う。


「貴女が持っているその歯車の製作者です」

「ああ残念、今アレを持っているのはメメちゃんだよ」

「成程、あの子ですか」


 納得はしつつもあまり興味のなさそうな声色だ。

 それよりもやはり彼は、歯車自体に意味を見出しているように見える。


「今度、を貴女のところに送りましょうか? 貴女の技術があればあの歯車を改造して、『例の武器』に適用することも出来るでしょう」

「……うん、貰っておこうかな」

「ではそのように」


 タルジャは懐から手帳を取り出し、何かをメモした。

 恐らく、エピリとの約束を違えないための備忘録だろう。


 その途中ふとペンを止めて、彼は尋ねる。


「戻る気はないのですか」

「ないよ。もう飽きてしまった」

「…ええ、仕方がないかもしれませんね」


 そう呟くタルジャの姿はどこか寂しそうでもあった。

 そのまま書くべきことを書き終えて、彼はその場を後にする。


「またいつか」

「うん、元気でね」


 旧知の仲故か、別れの言葉も淡白なもの。

 それだけで十分だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る