「タオルは。」

 肩ごしに振り向いて訊くと、男は首をひねり、洗濯してないな、と言った。そして私が文句を言う前に、着ていた白い長袖のTシャツを脱いで、庭から腕をいっぱいに伸ばして押し付けてきた。

 私はTシャツを受けとり、髪や水着に包まれた体をごしごしと拭いた。大股一歩で部屋に入ってきた男は、窓ガラスを閉めてカーテンを引くと、キッチンにつながるドアの桟に引っかけてあったハンガーから私のワンピースを取り、放って寄越した。

 私はその過剰にフリルのついた白いワンピースが嫌いだった。いや、ワンピースが嫌いだったのではない。あの男がそのワンピースを買ってきたという事が不快だったのだ。  しかしそれを抗議することもなく、ふやけた体にワンピースを着せた。男になにかしらの意思を伝えるという事を、私は基本的にしなかった。本当にかわいくない子供だったと思う。

 水を吸ってやわらかくなった肌に、幾分硬いフリルが突き刺さるようだった。

 シャツを脱いだ男の背中と両腕には、びっしりと極彩色の刺青が彫られていた。背中の真ん中に赤と黒の金魚が泳ぎ、流水紋や菊の花が所狭しと散っている。私はその刺青の存在を知ってはいたが見なれてはいなかったので、なんとなく居心地悪く目を逸らした。男はやはりドアの桟にかかったハンガーから黒い長袖のシャツを取り、肌から零れ落ちそうな刺青を隠した。

 教育に悪い男だったと思う。その頃の私は既に、ごく普通の生活をしている人間の背中にはあんな絵など描かれていないと知っていたから、余計に。

 幼稚園生の女の子という生き物は、大抵の大人が思うよりずっと世慣れているものだ。 一日か二日テレビの前に座らせておけば、一般社会の決まりごとについて大体は理解できるようになる。その点私はあの男も母もいない時間帯は一人でテレビばかり見ていた。 だからあの男の刺青に褒められた意味合いがないことくらい、とっくに分かっていたのだ。

 男はシャツを着こむと、黙ったまま私を置いて部屋を出て行った。おそらくはアパートから歩いて三分ほどの場所にあるコンビニエンスストアにパンを買いに行ったのだろうが、そこまでで私の記憶が途切れているので断言はできない。はっきりと記憶に残っているのはこの日の出来事くらいなのだけれど、母親がいない日はあの男と大抵はこんなふうにすごしていた気はする。

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