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私を担いでアパートを出た男は、ひたすらに走った。暗くて周りの風景が見えなかったし、動揺しきっていて時間感覚も失せていたのでよくは分からないのだが、30分以上は走り続けたのだと思う。男の肩に腹をのせる形になっていた私は、腹部を圧迫されている上に横揺れ縦揺れも酷かったので、すぐに吐き気を催した。それでもともかく30分くらいは辛抱したのだが、耐えきれずに男の肩の上でばたばたと暴れた。男は私の腰のあたりに回していた腕の力を強めてがっちりと固定し直して、尚も走ろうとした。
「吐く!!」
必死でわめくと、男はようやく私の状況に気がついたらしく、立ち止まって私を肩からおろした。
私はアスファルトに膝をついて深く呼吸をしたが吐き出すものはなく、しばらくすると具合はそれなりに改善した。
「痛い?」
男は私の隣に立ったままずっと黙り込んでいたのだが、不意にそんなことを訊いてきた。どう考えてももはやタイミングを逃しすぎた問いだったし、いっそ間抜けなくらいだった。
私はそれには答えず立ち上がり、両膝をはたいた。男はまた私を抱き上げたが、今度は肩に担ぐのではなく安定性の高い横抱きにしてくれた。男の身体からは、濃く血の匂いがした。
男は私の体勢が安定しているのを確認すると、また走り出した。今度は多分、10分くらいだろうか。たどり着いたのはこぎれいなマンションの前だった。男は慣れた仕草でインターホンを押し、部屋番号を呼び出す。私はじっと男の腕に乗っかったまま息を潜めていた。なにがどうなっているのか、状況が理解できなかったのだ。
大理石材を模した外壁に埋め込まれた自動ドアが開き、男は私を抱えたままエレベーターに乗った。そして一番上の階の一番奥の部屋の前まで行くと、すでに部屋のドアは開けられており、玄関で男と同年代くらいの女の人が待ち構えていた。
「あんた、なに、顔、また仕事?」
女の人は呆れたようにそう言った後、私の存在に気が付いた。
「え、あんた、ついに誘拐までやってんの? 帰ってよ、嫌よ。」
男は肩で女の人を押し込むようにして玄関に上がり込むと乱雑に靴を脱ぎ捨て、迷うことなくすたすたと短い廊下を抜けて正面の部屋に入った。
「ねえ、困るってば。」
「誘拐じゃない。」
「あんたの子?」
そこで男は頷きもしなかったし首を横に振りもしなかった。曖昧な角度で首を傾げ、私を白いソファの上に下ろした。
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