病院から戻った私となつみさんは、二人で割れた皿と冷え切ったピーマンの肉詰めを片付けた。そしてその日以来、私は学校の課題以外では自分の作った料理を食べなくなった。食事当番の日にはなつみさんように料理を作り、自分は適当にコンピに出買ってきたパンかおにぎりをかじった。代わり映えこそしないそれは、私にとっては子供の頃から慣れた味だったから、毎食でも苦にはならなかった。

 あの男は梅雨の生ぬるい雨の晩、当然のようになつみさん宅のリビングで私が作ったスパニッシュオムレツを食べていた。

 「それ、なつみさんの。」

 学校帰りで疲れていた私の口から咄嗟に出たのはそんな台詞だった。男は半分以上消費し終わっているオムレツと私とを見比べ、あんたが作ったの、と訊いてきた。私は不承不承に頷き、幾分やつれた気もする男の顔をじろじろ眺めた。

 「ごめん。」

 端的に詫びた男は、オムレツの皿をテーブルの上に置いた。そしてふらりとソファから立ち上がり、私の視界を塞ぐように目の前まで近寄ってきた。私は黙ったまま、男が纏う雨の匂いを深く胸に吸った。

 「アパート、借りた。この側。」

 「私は行かないよ。」

 「なんで。」

 「なんでもだよ。」

 「佐山に会った?」

 「会ったけど、理由はそれじゃない。」

 「じゃあ?」

 「あんたと暮らしたくない。」

 男はしばらく黙った後、私の目をじっと覗きこんできた。男とこんな至近距離で視線を交わしたのは、多分それが初めてだった。

 私は怯みたくなくて、目の奥にぎゅっと力を入れた。そうしなくては泣いてしまいそうだった。男が戻ってきた喜びでもなければ悲しみでも怒りでもなく、混乱から。

 私はその時まで内心では、男はもう戻ってこないと思っていた。実の父親であろうがなかろうが、犯そうとしたタブーがこの男の帰還とともに、また私の足もとに口を開けてしまう。また二人で暮らしたら、今度こそ私はこの男と寝るだろう。

 「どうしても?」

 そう男が訊き、私は頷いた。両目からは勝手に涙が出てきて、ぱらぱらと丸い雫になって床まで落ちた。

 「気を付ければ、大丈夫だろ。」

 男は静かにそう言った。私にはその言葉は信じられなかった。いくら気を付けていても、足元を掬われることにきっとなる。それなのに私は頷いていた。男は当たり前のように頷きかえし、私の先に立ってなつみさんのマンションを出た。

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